Data.7 : Secret
これは、愛情の記録。
※ ※ ※
2X87 ??? ???
「なんで……」
暗い部屋の片隅で、私は小さく呟きました。
ベッドの上では彼が眠るように、永い眠りについていました。
「なんでっ!」
叫んでみても、答えてくれる人はもういません。
彼はもう二度と目を覚まさないのです。
「なん、で……」
それは本当に突然でした。
いつもと同じように、彼は作業をしていました。
いつもよりも早く作業を終えた彼が、ベッドを借りてもいいかと聞いてきたので、床に座って本を読んでいた私は了承しました。
そうして、ベッドに横たわった彼が、「メル、愛してる」という言葉を呟いたのが最後でした。
何が起こったのかなど私には知りようもありません。
今の私にはただ、深い虚無感があるばかりでした。
「まだ、何も教えてもらってないのに……」
もっと、彼と話していたかった。
もっと、彼のことを知りたかった。
一緒に外の世界を見に行きたかった。
これからどうしようだとか、そんな彼のいない世界のことを私は考えることができませんでした。
ただ呆然としていました。
何時間も、もしかしたら何日間も。
そうしているうちに、いつの間にか私は彼のそばで眠っていました。
夢を見ていました。
海辺で、彼と笑い合う夢でした。
彼の髪は黒く、いまよりもずっと若く見えました。
不意に彼が走り出して、私は追いかけるのですが、追いつけません。
どんなに必死に追いかけても、待ってと叫んでも彼はどんどん離れていきます。
そして、
『やあ、目を覚ましたかい?』
そんな声が聞こえた気がしました。
「ん……」
目を覚まして彼の顔を覗いてみても、彼は眠ったままでした。
「……夢か」
夢でも彼の声が聞けたのだからそれでいいと、そう思った瞬間。
『聞こえてますか。見えてますか』
「っ!?」
顔を上げた先、机の上にあるモニターの一つが起動していました。
そこには彼が映っていました。
「なんで……?」
『キミがこの映像を見ているということは、僕はもう死んでいるのでしょう。そして多分、キミは今ごろなぜと思っていることでしょう』
「っ……!?」
こちらを見透かした発言に、私は困惑しました。
映像の中の彼は顔色も良く痩せぼそってもおらず、映像は随分と前に取られた物のように思えました。
それなのに、なぜ?
『僕は今からキミが疑問に思っていること、僕の過去、そしてキミへの願いを話します。どれも一度しか言わないから、よく聞いていてほしい』
私は黙って彼の言葉を待ちました。
そして、彼は話し始めました。
『まず、僕がこの映像を撮っているのは2X87年の6月20日。僕が死ぬ一ヶ月前だ。なんで僕は自分が死ぬ日を知っているのか。それは僕がメルから僕が死ぬ日を聞いたからだ。キミに教えて貰ったわけじゃない』
「…………?」
彼は続けます。
『この時点で聡明なキミなら気づいているかもしれない。僕が言っているメルはキミじゃない。僕はキミを一度もメルと呼んだことはない。数回、メル・アイヴィーとフルネームで呼んだだけだ』
『僕が今までメルと呼んでいたのは、キミと全くの同一人物であり、全くの他人である過去のキミだ』
「え…………」
私は彼が何を言っているのかわかりませんでした。
けれど、彼は畳みかけるように続けます。
『メル・アイヴィー、僕が十年間ともに時を過ごしたのはキミではない。キミはただの一度も重い病気に
その事実に、私は何も言うことができません。
『僕がメルに出会ったのは26年前の2X61年。そしてメルは2X87年の未来から来たと言った。見たことも会ったこともない彼女は、僕に言ったんだ。「私は、未来のあなたに造られたんです」って』
『それから僕はメルと十年間を共にした。よく一緒に歌を歌ったんだ。メルの歌声は本当に綺麗だった。本当に幸せな十年だった。世界で一番幸せだったという自覚があるね。でも十年近く経ったある時、メルが重い病気に
『不治の病だった。日に日に弱っていくメルに、僕は看病している時に聞いたんだ。死ぬのが怖くないのかって。今思えばものすごく失礼な質問だったけど、メルは「怖くありません。むしろ少しだけ楽しみです」って、笑って言ったよ。僕はめちゃくちゃに泣いたけどね。その時にメルが歌ってくれた子守唄を僕はいまだに覚えてる』
『最後にメルは全てを教えてくれた、僕に託してくれた。僕の命日も、未来の僕がキミに何を願ったのかも。それを聞いた僕はキミを造るための研究とその部屋を直すための作業に明け暮れた。そして16年経ってようやくキミが生まれたってわけさ。これが、僕の過去だ。同時にキミの疑問にも答えられたと思うのだけど、答えきれていなかったらごめんよ。キミが何を疑問に思うかまでは知っていなくてね』
彼はそこで一拍おいて、『ああ、あと一個あったね』と言って少しだけ悲しそうに笑いました。
『僕がキミを名前で呼ばなかったのは、情がうつらないようにするためだったんだ』
『キミを好きになるべきなのは、いまの僕じゃない。過去の僕、これからキミに出会う僕だ。だから僕はキミを名前で呼ばなかった。僕が自分の名前を言わなかったのは、いまの僕がキミに名を名乗ったら未来が変わってしまうかもしれないと思ったから。僕が、メルに出会えなくなってしまうかもしれないから』
『単純に、これから会う僕を好きになって欲しいと思ったからってのもある』
『僕はもう、一生分の名前をメルに呼んで貰ったからね』
『さて、録画時間も残りわずかになってきたね。最後にお願いがあるんだ! 聞いてくれ』
彼は言いました。
『どうか、過去の僕を見つけて欲しい。
一人で泣いている僕を、救ってほしい。
これから一人になるキミを、救ってほしい。
どうか、幸せになってほしい』
最後に、彼は一枚の紙を胸元に掲げました。
そこには、
『
と、書かれていました。
「あ………」
思い出す、彼の言葉。
−−−−Vには『
−−−−キミの名前だって『月が綺麗ですね。』と同じロマンがあるんだよ。
「あぁ……」
私の、メル・アイヴィーの名の意味は。
彼が死ぬ間際に言った言葉と、同じでした。
「あぁぁぁ……うぁぁぁぁ……」
気づけば、私は泣いていました。
涙が後から溢れて止まりませんでした。
何時間も、もしかしたら何日間も。
そうしてようやく泣き止んだ私は、モニターの前に何かが置いてあるのに気づきました。
そこには『最後の最後に、キミに贈り物をします。キミが贈り物をつけたらこの部屋が起動する仕組みになってるので、しっかりと支度を整えてからつけてください』という書き置きとともに、黒いチョーカーがありました。
私の瞳と同じ、青い石がつけられたチョーカーでした。
裏側には小さく、『
ここまで細かく趣向を凝らすなんて、どこまでも彼らしい。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれ、涙を拭った私はゆっくりとチョーカーを首につけました。
その瞬間、今まで静かに眠っていた電子機器やモニターがいっせいに動き出しました。
起動音と共にモニターと照明が、だんだんとその光を増していきます。
私は決意しました。
この喉は、あなたに声をかけるために。
この声は、あなたとともに歌うために。
何年かかろうと、必ずあなたを見つけ出す。
そうして光が部屋を満たし、私は決意とともに光へ飲み込まれていきました。
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