第三十四譚 それは《冬》を終わらせる戦だった

 五日後、食堂にはまたも自警隊の面々が集まっていた。

 これまでとは違って、食堂は静まりかえり、酒を程々に策略を練っている。焼きあがったばかりの料理を盆に乗せて、ユラフは席から席に走りまわっていた。繁盛するのは有り難いが、調理をしながら料理を運ぶのはなかなかに大変だ。

 慌ただしく働いていると、後ろからダグに声をかけられた。


「日取りが決まった」


 首根っこを捕まえられたみたいにユラフが立ちどまる。


「今季は寒い。いつ、雪が積もるかもわからん。冬の砦が塞がらないうちに、男爵が騎士隊を引き連れて、中央都ちゅうおうとに帰還するそうだ。五日後の朝だ。出発時に襲撃する。隊の者だけに留まらず、変革を望む者が続々集まってきている。戦いに直接参加するだけではなく、物資を提供してくれるものもいる。老いも若きも反乱軍に加盟する者が後を絶たない」


 ダグは遠慮がちに、だがはじめから意を決していたのか、ためらわずに言葉を続ける。


「ともに戦ってはくれないか?」


 ユラフは首を真横に振った。


「悪いが、俺は」

「勝利は確実だ。敗けるはずがないんだ」

「だとしても」


 浅はかだと言いかけて、ユラフは黙った。

 隊の若者は昂っている。士気をさげるような発言はためらわれた。


「俺は、昔から運動がにがてだ。剣や槍などは、握ったこともない。君とは違って」

「知っているさ、幼馴染だからな。だが、おまえは賢い。それに天候が読める」

「季節や空模様を眺めるのが好きなだけだ」

「おまえは子供の頃からそうだった。いつだって、ぼうと季節の風景を眺めていた。おまえの勘は確かだ。おれは、おまえを信頼している」

「嵐か、晴れるか、いつ頃から季節が変わるか。分かるのはその程度だ。たいして役には」

「いや、おまえが教えてくれたから、おれは去年も吹雪に巻きこまれずに済んだ。おまえが戦略を練ってくれれば、かならず、この戦いは勝利できる」


 頼むとばかりに、がしりと腕をつかまれる。


「五日後はどうだ? 雪はまだ積もらないよな?」


 親友から懸命に尋ねられて、ユラフは無視するわけにもいかず、渋々教えた。


「……雪は五日後の昼頃からだ。積もる雪に、恐らくは吹雪になるはずだ」

「ならば、天候もおれたちの援軍ということだ」


 ダグが歓喜する。ユラフは複雑な心境だった。とっさに嘘をつけなかったが、奇襲をかけるのには天候が悪いと偽ればよかっただろうかと、後悔する。

 ユラフがなやんでいると、聴き慣れた足音が階段からおりてきた。

 振りかえれば、妙齢みょうれいの優しげなふんいきを纏った美人がいた。薄紅の髪をひとつにたばねてゆとりのある服を着ていた。腹はなだらかに膨らんでおり、妊娠していることが分かる。

 彼女はユラフの妻だ。


「リリィ! なにかあったのか!」


 ユラフが慌てて声をかける。


「ごめんなさい、なんだか喉が渇いてしまって」


 リリィは柔らかく微笑んだ。


「なんだそうか」


 妊娠が発覚してからというもの、妻が階段をつかったり、外に出掛けたり、果てはなにかを持っているだけでも、ユラフは寿命が縮みそうになる。


「すまない、気がきかなかった。水差しを置いておけばよかった」

「そんなに気をつかわないで。わたしが妊娠してから、あなたが料理から接客まで全部やってくれて。接客はわたしの仕事なのに。身のまわりのことくらい、わたしにさせてくださいね」

「いや、君こそ、もっと頼ってくれ。宿屋の下階で食堂を始めた頃は、宿屋の仕事もあわせて全部、ひとりでやっていたんだ。いまは宿屋を休業しているから、暇なくらいだ」

「ほんとうに頼もしいわ。けれど、この頃はお客さまが大勢いらしているもの。生まれてくる子供の為にも元気でいてくれなくちゃ」


 そう言いながら、彼女は愛おしむように膨らんだ腹をなぜる。

 薄紫の髪をなびかせた彼女は、昔から微笑を絶やすことがない。幼少期に親を失い、義理の親に育てられた彼女は、不幸の影をかぶって涙を流すよりも、辛くとも笑い続けることを選んだ。胎に最愛の夫との愛の結晶を宿してからは、ことさらに幸せに満ちていた。

 リリィが水差しを取りにいく。若衆は彼女を気遣って道をあけてくれた。

 妻の後ろ姿が遠ざかってから、ダグが詫びた。


「……悪かった。おまえには護らなくちゃいけないものが、できたんだよな。ごめんな、なんだか。おまえが結婚したのが夢みたいでさ。けど、うん、おまえは参加しないほうが、いい。隊の集会もこれきりにする」


 ダグが苦笑いながら、首の後ろを掻いた。

 彼も敗北した時のことを考えていないわけではないのだ。直接戦いに巻き込まれることはなくとも、敗北後に戦略を講じたことが発覚すれば、まちがいなく処刑される。食堂に隊が集まっている段階でも、相手に知られれば危険なのだ。


「君だって、護りたいひとはいるんじゃないのか。絵本作家の彼女が君のことを案じていた」

「か、彼女とはそんなんじゃない」


 ダグは慌てて否定するが、耳まで赤くなっていた。どうやら、噂はほんとうだったらしいとユラフが微笑ましい気持ちになる。だがそれならば、なおのこと、無謀なことはやめたほうがいいのではないだろうか。勝算はあるとしても、犠牲なくしては勝利は得られない。

 ダグは、隊長だ。最前線に赴き、戦うのだ。殺される危険も重々にある。


「おれは町を護らないと。町が奪われたら大事なもんが全部、なくなっちまう。おれは、戦うよ。おまえは女房と子供を護ってやれ」


 ダグが笑った。瞳は、暖炉の火のような、穏やかな熱を帯びていた。

 ダグが拳を掲げる。ユラフは、かつんと拳をあわせた。

 それは、昔に取り決めた、ふたりだけの挨拶だった。


「なに、それぞれのところで戦うだけのことさ」


 護るには戦わなければならない時がある。それが現実だ。

 季節は循環する。季節の冬は寒をしのげば、また暖かな春が訪れるが、悪政の冬はあらがわなければ越えられぬ。それは条理だ。

 だがユラフは、胸に黒い影が落ちるのを感じていた。

 胸騒ぎがとまらない。嵐が来ると、彼は思った。

 季節ならざる嵐が。

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