第六章 斯くして《春殺し》
第三十三譚 悪政の《冬》
暖炉がたかれた食堂は、喧騒に満ちていた。
賑やかな声があちらこちらであがり、食器をならす音が重なる。それなりの面積があるはずの食堂が人に埋めつくされていた。椅子はすべて埋まり、立ち飲みする者もいた。食卓には端から落ちそうなほどに大量の皿が乗せられている。
料理はどれも豪華なものではない。硬い野生動物を煮込んだ料理に雑魚を焼いたもの、穀物や農畜産物は税として巻きあげられるので、食堂には行き渡らないのだ。
杯には強いだけで香りもない安酒が、なみなみと満ちていた。
町の若者ばかりが集まっており、熱気が凄い。窓を細雪がたたいているというのに、建物のなかは真夏の暑さだ。呑まずにはやっていられないのだ。
「聞いたか? また増税だと!」
「くそっ、どれだけ締めつければ気が済むんだ!」
「都からやってきたお貴族さまには、政というものがわからんのだ。政の基本は、締めつけすぎない程度に搾取することだ。こう、真綿で首を絞めるようにじわじわとだな」
「それもそれでどうなんだよ……」
「昔はよかったな。直接収穫の量を報せれば、税をさげてもらえた」
「いまは男爵の軍が中央都まで税を運んでいるから、明細がわからん。増税分で私腹を肥やすのみならず、わざと収穫量を報せて、残りを横領しているに違いない」
「中央都まで税を収めにいく必要はなくなったが」
「いや、もともと都までの旅なんか、そんなに大変だったわけじゃないさ。なにせ、わが町の自警隊は最強だからな! 街道に出没する賊なんか敵じゃねぇ」
「なんだ、自慢かよ! まあ、確かに俺らは、男爵の騎士隊にも勝る精鋭の隊だがな」
隊の若者たちはいきりたって杯をあおる。
不満を募らせて、だがどうすることもできずに、酔いつぶれて憂さを晴らしているのだ。
争いのない町で暮らしてきた者は、男爵がいつかは政策を改めてくれるはずだと待ち続けることしか知らなかった。根雪の下で春を待ちわびる水脈のように辛抱を重ねて、三年が経ち、税は重くなり、減税を訴えたものは処刑された。
彼らはどこまでも、冬に根を張る民だった。
「いや、いい加減に辛抱ならん!」
ばんっと音がして、みなが驚いてそちらを振りかえる。
男が杯をたたきつけるように置いたのだ。木製の杯が罅割れる。
「いかに冬が豊かな地域だといっても、今期は収穫が減っている! こんな増税が続ければ、翌年の夏には町の者がみな飢える! 悪政を続ける男爵を放置していていいのか! いや! たえ続けた結果がこれだ!」
髭を蓄えた男が叫んだ。目を見張るほどに体格のよい若者だ。
食堂に集っている若者は一様に逞しかったが、彼に勝るものはいなかった。頑強な樹木の根が、さらに鉄の鎧を着込んでいるような、鍛え抜かれた堅い身体だ。だが野生の獣のしなやかさも持ちあわせている。どこの扉を抜けるのにも身をかがめなければならない長身は天から恵まれたものだが、鍛えあげられた筋肉は彼の弛まぬ努力によるものだ。
彼は町一番の槍の遣い手であり、自警隊の隊長だった。
「杯を壊さないでくれ、ダグ」
新たな杯を持ってきた男が、昂った熱をさげるように声をかける。
男は黒い服に前掛を巻き、料理人の帽子を乗せていた。この食堂の料理人にして宿屋の経営者だ。目が細く、頬がこけているので老けてみえるが、隊長――ダグと年齢の差はない。
ダグは割れた杯に気がついていなかったのか、慌てて杯を持ちあげ、相手に詫びた。
「いやあ、すまん、ユラフ! かっとして乱暴に扱いすぎた」
「杯は構わんが、机や椅子は壊してくれるなよ」
幸いなことに割れたのは、飲み終えた後の杯だった。新たな杯にはまた、たっぷりとおかわりが注がれている。喉を潤してから、ダグは真剣な表情になり、ユラフに訴えかける。
「増税に次ぐ増税。男爵のやりかたは悪辣だ。これでは町がだめになる。養鶏場のドァ一家が税を払えず首を吊った。牧場も来春を迎えられるかどうか。おまえの考えはどうだ、ユラフ」
ユラフは数秒考えてから、喋りだす。
「男爵は政がわきまえていないと言われているが、恐らくそれは違う。男爵は重税で領民を破産させて、町ごと乗っ取るつもりだ。中央都からやってきた男爵私有の騎士隊が、町の南端にそれぞれの邸を構えるそうだ。来春から順に屋敷が建設されていく。職人だけではなく、町の若者もかりだされるだろう。それを口実に、自警隊の解散が強制されるはずだ」
「確かなのか?」
「俺の想定だ。俺ならば、そうする」
「意外とこわいことを考えてるんだな……」
「冗談だ」とユラフが肩を竦めれば、ダグは「ずっと真顔だから、冗談が冗談に聞こえないんだよ」と苦笑い、話を戻す。
「だが、そうか。ならば、やはりいまが、最後の好機だな」
「いったい、なにをするつもりだ、ダグ」
不穏なものを嗅ぎとって、ユラフが尋ねた。
「変革だ。男爵とその騎士隊を殺す」
「なんだと」
眉を持ちあげて、ユラフが驚きを表す。
のぞき込んだダグの瞳には焔が燃えていた。激情の焔は灼然と燃えあがり、瞳孔に濃い影を落とす。強暴な光だ。冬の豪雪まで焼きつくすような。
「言葉のとおりだよ。反乱だ。男爵を殺すんだ。おれたちの町を取り戻す。もとは男爵なんていない、おれたちの地域だった。男爵を殺せば、もとの暮らしに戻せる。すでに隊の幾人かと策を練っている」
浅はかだと、ユラフは思った。
「そう、簡単にいくはずがない」
「俺たちの隊は強い。それに地の利はこちらにあるんだ、男爵の騎士隊になど負けないさ」
「そうじゃない。男爵を殺したからといって、事態が解決するとは俺には思えない。男爵は
「中央都がなんだ。領地争いは、各地で勃発しているんだ。領地間の争いに中央都は関与しない。内乱でも大差ないだろう。それに中央都がこんな辺境の男爵を気にとめるはずもない。去年は直接、中央都に嘆願したが、地域のことは地域で解決しろと言われただけだった。こっそりと嘆願書を配達した町の若者は後日男爵に捕縛され、処刑された」
「それは、そうだが」
「だから地域で解決するだけのことだ!」
怒りの焔がごうと、燃えさかる。
馴染んだ親友ながら、ユラフは一瞬、激しい焔に竦んだ。
ダグは椅子から立ちあがった。若者の視線を一斉に集める。食堂に集まっているすべての隊員を見まわして、彼は火を噴きだすように声をあげた。
「ここはおれたちの町だ! よそ者の男爵などに父祖の地を奪われていいのか! 黙っていては搾取されるだけだ! いま、町の者が立ちあがらなければ、変革はあり得ない! 取り戻すんだ! いまこそ、その時だ!」
隊長が強く鼓舞する。若者たちがこぶしを挙げた。
「取り戻すんだ! おれたちの町を、地域を、権利を! 護り抜け! 我々の剣は護る為にあたえられたものだ! 剣を取り、侵略者を排して、町を護るのだ!」
不満という豪雪に埋もれていた、体制に諍おうとする気概に彼は火をつけた。氷のなかを脈々と流れ続けていたものは水脈ではなく、油脈だったのだ。
「この、ダグ・ディ・ノルテが先陣をきる!」
だが油が燃える勢いとは凄まじく、人には予想がつかないものだ。
どこまで油脈が延長しているのか、彼らは分かって燃えるのだろうか。否だ。護らなければならないものまで、焼きつくしてしまう危険があるということに、彼らは遂に気がつかない。
ユラフだけが危機感を覚えながら、燃えあがる焔をふり仰いでいた。
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