第十三譚 《季節》殺し

 本格的に降ってきた雪を肩に乗せて、セツは相棒の後を追いかけた。広場を抜けてからは雪の壁に視界が塞がれて、後ろ姿も見当たらなかったが、足跡が残っているのが救いだった。分岐はないので道なりに走る。牧場がある町の東側ではなく、西側の道を進んでいる。進んでいくと雪の壁が崩れた跡があり、外套がいとうが落ちていた。


 ふり仰ぐと、頂上には妖精の如き姿があった。

 雪の城に腰かけ、ゆるい吹雪に髪を遊ばせて、彼女はなにを考えているのか。頬づえをついた横顔は凍りつくほどに綺麗だ。無慈悲が、なめらかな頬から滲んでいる。


 外套などいらない。靴もいらない。

 彼女には髪があり、肌があればよかった。


 それが、彼女のあるべきすがた。


 一緒に旅を続けてきた彼でさえ、声をかけることがためらわれた。

 けれど声をかけなければならない。


「クワイヤ」


 銀のひとみが、こちらを見おろす。

 思わずひざまずきたくなるような視線だった。外套を握り締めて、服従の衝動を堪えていると、ふっと相手の視線がやわらいだ。銀の瞳孔に万華鏡がひろがる。


「セツ」


 クワイヤはふわりと浮かびあがり、雪の壁からおりてきた。

 裸足はだしの裏で霜を踏みしめて、彼女は機嫌をうかがうように仰視してきた。


「あのね、わたしはね」

「わかっていますよ、ちゃんと」


 こういう時に彼は、想いだす。彼女の本質が、どのようにあるべきものだったかを。そうして、それを縛るほどにみずからが愛されていることを。彼女に偽らせている。外套を着せて。彼女に子供の目をさせてしまっているのは自分だと、セツは胸のうちで懺悔ざんげする。


「でもね、がまんしようとおもっていたのよ。にんげんなんてそんなものだもの。わかりきっていることに怒るだなんて、はしたないものね。けどがまんできなかったの、ごめんなさい」


 セツはクワイヤを抱き締めた。


「あなたは、ちゃんと我慢できていた。わかっていますから」


 微笑みかければ、落ち着いてきたようで、クワイヤはこくりと頷いた。腕を解く。クワイヤはふわりと浮かびあがった。雪の絶壁の縁にすわる。頂からは町がのぞめるのだろうか。遥か遠くに視線を流して、彼女は唇の先端をとがらせた。


「この町はいやなかんじだわ」

「歓迎されていないから、でしょうか」

「ううん、違うわ。そうじゃないのよ。はじめはなんでか、わからなかったけれど、やっとどうしてなのか、わかったのよ」


 言いながら、彼女は万華鏡の眸をひどくゆがめた。

 嘲りと侮蔑と、確かな悲しみと。


「この町は《季節殺きせつころし》だわ」


 衝撃があった。

 セツはなんとかその衝撃を飲みくだそうとして、失敗した。

 腹を殴られたように身体を曲げ、口を押さえる。凄まじい拒絶に胃が燃えた。燃えた町と急激に朽ちていく森が網膜によぎる。みっともなく頽れるには時が流れた。その言葉だけで崩れてもいい時期は終わった。終わらせたはずだ。

 数秒、息を詰めて、彼は素早く意識を整える。


「そう、ですか。そう、だったんですか」

「土地に季節の死のにおいが染みついているもの。だからずっと、冬が終わらないんだわ」


 彼女の声は細かったが、吹雪に負けないほどに通っていた。


「気がついてはいました。季節が滞るのはいつだって、ひとが侵してはならなかったものを侵してしまった時だ。季節から理を違えることはないのだから」


 低く、セツは言った。それに鈴の声が続く。


「にんげんはほんとうに愚かだわ」


 春がこなくなってから、数十年。

 当時の季節殺しはまだ、生き続けているのか。あるいはすでに全員が命を落としているのだろうか。半端な者ならば、季節を殺めた時に理に抵触して、その場で息絶えているはずだ。


「けれど、町に春の加護がのこっているのはなぜかしら」

「春の加護、ですか?」


 数秒考えたが、すぐに思いあたる。


「そうか。黄金のほのおは、春の」


 疑問がひとつ、霧散する。黄金の焔といわれているそれは、なるほど《春》の加護だ。


「《新たな春》を縛っている者がいるのか、あるいは」


 季節を縛りつけ、天恵地恵てんけいちけいを搾取することは可能だ。冬季の収穫物とはいっても、ひとつの季節だけで恵みを維持するのは難しい。だが春の加護があれば、豊かな実りが続いているのも納得できる。だがそれほど優れた才能を持った者が町にいれば、セツにも分かるはずだった。

 疑問は残るが、ここで考えていてもしかたがない。憶測がすぎれば、逆に真実が遠ざかる。


 崩れた雪の塊を足場にして、セツが相棒の隣にいこうと壁を登る。崩れないかと確かめながら、慎重に。浮遊できればこんな大変な思いをせずに済むが、それこそ考えても意味がない。彼は、人間なのだから。

 登りきる。

 壁の頂上からは、人の暮らす町が一望できた。

 頭巾の群にかこまれた広場がふたつ。宿屋がある大広場と、おそらくは職人が暮らす区域の作業場がわりの広場だ。広場を取り巻く屋根は、決められた距離を置いて、三重に連なっていた。想像よりも多数の人が暮らしている。


 人間の町。

 春を殺して、冬に安穏とする人間の。


「僕のお姫さまは、そんな町に留まるのは嫌ですよねぇ」

「がまんできる。がまん、するわ。だって、わたしにはあなたがいるもの」


 彼の外套のすそを握り締めて、彼女は囁きかけてきた。


「わたしは、にんげんが嫌い。あんなに愚かで、傲慢で、貪婪どんらんで、みじめないきものって他にはいないわ。けれど、あなたのことだけは、好き。愛しているわ、セツ」


 ふわりと舞いあがる。純銀の髪をなびかせて、彼女はセツの目線まで浮かびあがった。外套のあいだに指を差し込んで、柔らかくもない凍えた頬を包み込む。


「あなたが好きよ」


 美しい少女は彼の頬に接吻くちづけを落とす。

 遠くから鐘がとどろくような遠吠えが響いてきた。遠吠えにあわせて、雪が横殴りに激しさを増す。遠吠えが遠ざかれば、また雪は緩やかになり、強く響けば、また荒ぶ。遠吠えの在処を捜して、目を凝らせば、雪霞ゆきがすみとばりのかなたに城の輪郭が浮かんでいた。

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