第十二譚 この町に《春》はこない
「私はヨウジュ・ゴァ・ノルテだ。君はなんだったか」
医者が名乗った。そう言えば、まだお互いに名乗っていなかったのだ。
「セツです。
「ふむ、季環師とは薬を取り扱うのか」
「仕事の一貫です。季環師の本旨ではありませんが」
「本業にしてもよいほどの知識と腕だ。いまの丸薬はいくらする?」
「お構いなく。助けてもらった礼だと思ってくだされば、有難いです」
ヨウジュは数秒考え込んで、年のわりに
「……季節の、祟りなどは」
何事かを言いかけて、自制するように言葉を噛みつぶす。ぐっと顎にちからをこめてから、彼はまた、表情を硬くする。
「いずれにしても、この町に滞在していても、なにも愉快なことはない。冬患いに罹りたくないのならば、すぐにでも立ち去るのだな」
「残念ですが、春が来るまでは、この町からは出ていけそうにないのですよぉ」
セツが柔らかく微笑みかけた。
「《春》はこない」
ヨウジュが言いきる。
絹を裁つようにばっさりと。
「諦めて、冬の砦を越えるんだな」
老眼鏡を掛けた瞳と細い
「《冬》を、終わらせることができるとしたら、あなたは」
「《冬》を終わらせる必要などはない。この土地は、君が旅をしてきた他の地域にくらべれば豊かではないだろうが、貧しくもない。冬が終わらずとも、なんの問題もないんだ」
「ほんとうに問題がないのであれば、冬患いは蔓延していませんよ」
「冬を患っても若者はそうそう死なんよ。春など知らずとも生きていける。生きてはいけるんだ。……だから、構ってくれるな」
最後の一言はやけに重かった。
屋根から雪が落ちたのかと思うほどに。
言葉の裏にあるのは諦観と決意だ。薄々と気がついていながらも、セツは黙らなかった。
「ですが、不自然だ。理からは、はずれています。いまはまだ、実りがある。おそらくは《冬》が実りを繋ぎとめている。けれど、いかに辛抱強い《冬》でも、果たして百年維持できるかどうか。循環できない季節は徐々に衰えます。流れのない水が
「だからなんだ。数十年後が、なんだ」
「ですから」
「いいかげんにしなさいよッ!」
問答を繰りかえしていると、鈴を割るような声があがった。
クワイヤだ。腕から逃れ、彼女は着地する。その場にいた全員が、彼女のことなど意識していなかったので、呆気にとられた。
「だまっていたけれど、もうがまんできないわ」
頭にかぶっていた
銀髪が
彼女が帯びていたふんいきが急に、透きとおった。
「にんげんってこれだから、愚かだわ。季節の加護がなくても、暮らしていけるつもりなのかしら。つけあがって、ほんとにいやんなっちゃうわ。季節に護られなければ、すぐに息絶えちゃうような矮小ないきもののくせに」
声は静かだ。
なのに、怒涛のような響きがあった。
低い目線から大人の群を睨みつけ、彼女は毅然と胸を張る。
たかが子供の
本能が彼女を恐れているのだ。
だがそれを理解できたものはいなかった。
こんな小娘を本能的に恐れているだなんて、誰が納得できるだろうか。
か細く、幼く、普段から他人を恐れ、旅人の影に隠れているような。
「愚かすぎていやんなっちゃうわ、うんざりよ」
クワイヤは乱暴に扉を蹴り、外に走り去ってしまった。
残されたセツがはっとして、どうするべきかと視線をせわしなく動かす。なんとか相棒の発言を撤回しようかと考え、だがいまは裸足の相棒を追いかけるべきだと思い至り、彼は会釈か謝罪か、どちらとも取れる動作をして、開けっ放しの扉から飛びだしていった。
ふたりとすれ違ったハルビアは戸惑いながら、医者のところに戻ってきた。
「なにかあったんですか? おふたりともなんだか尋常ではない様子でしたけれど」
エンダは首を後ろを掻き、どう言っていいものかと思案している。ヨウジュが老眼鏡をはずして、ハルビアを振りかえった。
「春を望むのは子供の頃に卒業したんじゃなかったのか」
すべてを見透かされて、ハルビアが肩を震わせた。
ハルビアは黙っていたが、握っていた車輪が肯定するように軋んだ。
「ハルビア嬢、君はこの町が好きか」
「もちろんです、おじさま」
ハルビアが頷く。
「だったら、他を望むな」
ヨウジュは静かに言いふせる。
エンダはなんと声をかけていいものか分からずに、おろおろと当惑していた。木製の車輪に掛けられた手が震えていることに気がついても、エンダにはどうすることもできない。
ハルビアは黙って、視線を落とす。
外では雪が降り始めていた。
積もりそうな、重い雪だった。
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