第一章 終わらない《冬》の町
第一譚 《雪》の山脈と羅針盤の旅人
雪は祈りだ。冬の、細やかなる祈りだ。
豊かなる実りをもたらした大地を雪の真綿が
雪は
だから雪は祈りだ。生の祝福にも死の
冬の山脈を旅する青年は、そのようなことを考えながら、また一歩、雪を踏みしめた。
青年は毛皮の
いまは晴れているが、いつ天候が崩れるかもわからない。山の天候は変わりやすいものだ。ましてや冬。山岳地帯を旅をするのにもっとも危険な季節だ。吹雪いても旅人に極寒を凌ぐすべはなく、雪崩に遭っても逃げ場はない。冬の
それでも青年は黙々と、真っ新な大地に足跡を残す。
雪の大地はどこまでも純真だ。晴れた午後の日差しを受けて、きらきらと輝いていた。
ふり仰げば青。白と青の境界には、峰の稜線がくっきりと浮かびあがっていた。
前触れもなく、強風が雪氷を巻き込んで、吹きおろしてきた。
青空が霞んで、風景は白に覆われた。青年の視界も雪に塞がれる。
彼は外套のえりを握り、凍える空気を吸い込まないように
「まさか、ここまで遠いとはねえ」
颪が落ち着いてきたのをみはからって、青年がぽつりと言った。
「だからいったじゃない! これじゃあなたが凍えちゃうわ」
雪の
外套を巻きつけた背に、翼はない。
ひるがえるのは羽根ではなく、銀の髪だ。少女の髪は産まれたての
季節を問わずに咲き誇る大華が、瞳のなかに息づいているかのようだ。光が差すと紫になり、影が差すと青になる。雪を乗せた長い睫毛に
「いまからだってかまわないわ。ひきかえしましょうよ。あなたが捜している町だって、雪に埋もれてほろんでいるに決まっているわ!」
雪のなかを進み続けて、すでに幾晩も経っているのであろう。食糧が減ってきていることを青年は背にかかる重みで常に意識していた。
されど少女の提案に青年は苦笑する。
「それはどうか、わかりませんよ? なにせ、昔に大雪が積もってそれきり、この冬の砦を越えられた者はいないんですから。旅人が町にいくどころか、町からやってきたものもいない。町が滅んでいないともかぎりませんが、町が滅んでいるとは言いきれません」
「着いてなんにもなかったら、頑張ったのがぜんぶ、むだじゃない!」
「ですが、声がしています」
青年は細い瞳を、さらに細めた。
「呼ばれているのに、いかないわけにはいきませんからねぇ」
霞が晴れて、また雄大な峰が姿を現す。
生物の息も絶えた大地の果てから、不思議な響きをともなった遠吠えが響いてきた。
地吹雪のなかでも彼は進み続ける。傾斜が増してきた。
風も地形も無視して少女は飛んでいる。外套と髪が風に曝されて、激しくたなびいていた。
押し寄せる時とおなじく、不意に風はとまる。
青年は坂を登りきったことに気がついた。正確には、人の足で登れる坂はここまでだ。ここからは坂が絶壁になっている。
いきどまりかと青年が肩を落とす。だがなにかが目に止まって、青年は絶壁に走り寄った。
崖づたいに鉱物の杭と鎖が打ち込まれていた。崖をけずって造られた、道とも言いがたい足場が崖をくだるように続いている。いつ頃に造られたものかもさだかではない。それでも青年は先人が残した
ここを越えれば、峰々にかこまれた盆地までおりていけるはずだ。
青年は外套に手を差し入れた。
「やっぱりいまは、《春》のはずですねぇ」
彼が言葉にした《季節》は、現実の風景からは遠くかけ離れたものだった。
眺める大地は雪に覆われ、肌を刺すような極寒がやわらぐことはない。
《春》の息吹は絶えている。
青年は意を決して鎖をつかんだ。始めは緩く、続けて体重を掛けられるか試す。取りあえず問題はなさそうだ。彼は慎重に、鎖場を進んでいく。
順調に進んでいたはずが、突然に足場が崩れた。
「っ……あ」
青年が鎖を握り締める。されど不運は重なるもので、鎖を繋ぎとめる杭が抜けてしまった。青年は雪と一緒に転落する。少女が悲鳴をあげながら、青年を追いかけ、急降下していった。
またひとつ、遠吠えが響いてきた。
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