第二譚 《冬》の砦に《常冬の町》

 意識を取り戻すと、まずは暖かいと思った。

 寝台ベッドに横たわっているようだ。

 青年は目蓋まぶたを持ちあげる。天井板が見えた。家のなかだ。ぱちぱちと暖炉の薪が弾ける音の後ろでは複数の人が喋っていた。声の距離からして壁をはさんだところに誰かがいるようだ。ここはどこだろうかと青年は考える。頭がぼんやりとしていたので、崖から転落したことを思いだすまでにしばらくかかった。

 慌てて身を起こす。

 隣を見れば、頭まで外套がいとうをかぶった少女が寝台にもたれかかり、眠っていた。

 少女が無事だったのだと分かって、青年はひとまず胸をなぜおろす。

 安堵の表情をたたえると、青年はまだ幼さを残していた。よわいは十九を迎えたばかり。大人になりかけた微妙な年齢だ。瞳は細いが、育ちのよい穏やかなふんいきが漂っている。

 青年が声をかけるまでもなく、少女は気がついた。


「よかったわ! 目が覚めたのね、セツ!」


 起きるなり、少女は青年に跳びつき、毛布が掛けられた胸もとに顔をうずめた。

 勢いよく腹に馬乗りになられて、セツと呼びかけられた青年がうぐと呼吸を詰まらせる。せそうになりながらも、彼はちゃんと少女を受けとめた。


「すみません、心配をかけてしまって」

「ほんとうよ! けど、あなたが無事でよかったわ」


 ふたりの声が聞こえたのか、扉が開いて、白衣を着た男がやってきた。

 しわの数からして、老年に差しかかったばかりとみえる。鷲鼻わしばなにこけた頬、青みがかった白髪は額にかからないようになぜつけてあった。冬枯れた細い樹木のようであり、どこか神経質な印象を受ける。


「意識が戻ったか」


 男は寝台ベッドの枕もとにあった小椅子に腰かけた。


「気分はどうだ。痛むところはないか?」

「あ、いえ、どこもなんともありません」

「ほお、ずいぶんと頑丈なことだな」


 嫌味なのか、感心しているのか。男はまったく表情を動かさない。しいて言えば、どちらとも取れた。口振りや格好からして彼は医者なのだろうかとセツは考えた。


「ええっと、すみません、僕はなんでここに」

「それはこちらが尋ねたいところだがな」


 医者は渋りながらだが、先に質問に答えてくれた。


「午後になったばかりのことだ。町のはずれにある牧場で旅人が倒れているのを、町の若者が発見した。死んでいるものと思われたが、息があった。今朝は天候に恵まれていたからな。雲っていたら、凍死はまぬがれなかった。運がよかったな」

「そうだったんですか。いやあ、助けていただいて、ありがとうございます」

「礼ならば、君を運んできた若者に言いたまえ」


 医者が振りかえって、声をかけた。


「先ほどの旅人が意識を取り戻したぞ」


 体格のよい若者が扉の枠に頭をぶつけないように身をかがめて入室してきた。上背もあるが、肩幅などがたくましい。厚手のごわついた毛織物けおりものの服を着ていても、鍛えられているのが分かる。医者が枯れかけた老木ならば、彼は隆々と根を張った若き大木だ。


「あなたが僕を助けてくれたのですねえ。ありがとうございます」


 セツが頭をさげると、若者はこまったように首の裏を掻く。


「あらたまって礼をいわれるとなんか。放っておけなかっただけだから、気にすんな。それよか、助かってよかったな。見つけた時は凍死してるかと思ったよ。そいつが騒いでいたから、見つけられたんだ」


 そういって若者は、寝台ベッドに乗っている少女を指す。

 少女はいまだセツにしがみついていた。若者が指をむけると、首だけで振りかえって、きっと睨みつける。髪の先にも警戒がみなぎっている。人に慣れない野生の小動物みたいだ。


「こらこら、睨んじゃいけませんよ。助けてもらったのに失礼じゃないですか、ね?」


 セツは少女の髪を梳いてなだめながら、医者と若者に視線をむける。


「僕が意識を失っていたあいだに、彼女がご迷惑をかけていませんかねぇ?」

「君になにをするのかと騒いではいたが、それだけだ」

「それはよかった。僕のお姫さまは、ちょっとばかり気難しいんでねぇ……」


 医者と町の若者が胡散臭うさんくさげに眉を寄せる。お姫さまと言われた当人は頬を膨らましていた。


「わたしはちゃんとおとなしくしていたわ」

「そう、えらかったですねぇ」


 頭をなぜて褒めれば、少女は機嫌をよくして腹からおりてくれた。

 セツは起きあがって、寝台の端に腰かけた。ひょいと膝に少女を乗せる。

 寝かされるにあたり、外套は脱がされている。彼は外套のなかに上質な絹で織られた礼服のようなものを着ていた。夜宴ならばともかくとして、旅にふさわしい格好ではない。それなりに鍛えてはいるのだろうが、絶望的に身長や肩幅に恵まれていなかった。町の若者とならんでいると、ずいぶんと頼りない。

 医者が咳ばらいをしてから、あらためて話を切りだす。


「それでいったい、君はどこからやってきたんだ。まさか、雪と一緒に空から落ちてきたわけじゃないだろう? 荷の量からすれば、ずいぶんと長旅をしてきたようだが」


 質問の端々には疑いが滲んでいた。疑いと警戒だ。少女が他人を睨みつけるような、あからさまなものではない。だが本質は変わらない。良識の範囲で繕っているかどうかというだけだ。セツは気がつきながらも素知らぬふりをする。


「山を越えてきました」


 医者が微かに眉を持ちあげた。


「信じられない。あの《冬のとりで》を越えたのか」


 冬の砦。

 あの雪の峰が、砦と言われていることは旅人でも知り及んでいた。

 冬の季節には決まって豪雪に道が塞がれ、どの方角からも峰を越えることはできない。北側だけは峰がなく海に面しているが、流氷の影響で上陸できるのは夏季にかぎられている。盆地に町があることは知られていても、盆地までたどり着けたものはおらず、盆地から山を越えてやってきたものもいない。どちらからも通れないのならば、砦ではなく壁ではないかと思うのだが、領地争いがあった頃に防衛の拠点となっていた名残だそうだ。

 故に冬の砦。

 医者は驚いてはいたが、旅人がここにいることが砦を越えた確たる証だ。


「危険をおかしてまで、なぜこんな辺境へんきょうの町に」

「噂を確かめに。ノルテ地域の《冬の砦》を越えたところには、豪雪で孤絶こぜつしてしまった町があるとか。しかも数十年に渡り《春》が来ていない。ここが、その町なんですねぇ」


 セツがうっすらと微笑んだ。ただでさえ細い目が、さらに細くなる。

 医者と若者がざわりと表情を曇らせる。旅人の来訪を喜んでいる様子はない。興味本位で砦を越えられたことが気に障ったのか。あるいは他に彼らの機嫌を損ねるなにかがあったのか。セツは気にとめていないふりを続ける。


「僕は《季環師きかんし》として各地を渡っています」


 先ほどから聞きに徹していた若者が、耳慣れない職業に声をあげた。


季環師きかんし……だって?」

「ええ、季環師です」

「聞いたことがねぇな。なあ、先生は知っているか?」


 若者が話を振る。医者は難しい顔をして首を横に動かす。医者も季環師という職を知らないようだ。セツはこまったなあと肩を竦めて、概要を話そうと試みる。


「ええっと、季環師きかんしというのは」

「いや、話さなくとも構わない」


 医者はそれを遮り、話題を戻す。


「ならば、満足だろう。ここが常冬とこふゆの町だ。雪と氷の他にはなにもない。ただの田舎の町だ。気が済んだのならば、すぐにでも帰るんだな。ここには旅人さんが思っているようなおもしろいものなど、なにひとつないところだ」


 愛想も素気もなく、よそ者は拒絶される。

 おおよそ、そうなるだろうと予想していたセツは、わざとらしく哀れっぽい声をあげる。


「そんなつれないことを言わないでくださいよぉ。寒いなか、旅を続けてやっと町まで到着したんですよぉ。そりゃ歓迎してくださいとはいいませんがねぇ。まだ町の見物どころか、木の壁と暖炉しか見ちゃいないのに、追いかえそうとしなくても」

「君が勝手に来ただけだ。来てくれと頼んだわけでもない」


 とりつきようのない言葉を投げつけられ、セツは肩をすぼめた。

 医者の剣幕には、町の若者も戸惑っている。


「けど、先生。帰るって言ったって、街道は」


 若者が言いかけたが、医者は取りあわない。


「雪の砦を越えてここまでこれたんだ。街道が雪で埋まっていても、帰れるはずだ。怪我もないんだろう? 幸い天候が落ち着いている。すぐに発つんだな」


 事のなりゆきがよくないのを察して、セツはわざとらしく「あ」と声をあげた。


「あの、実はぁ、膝を痛めたみたいでして」


 医者がいぶかしんで、眉根にきつく皺を寄せる。

 あからさまな嘘だ。疑われて当然だった。医者はため息をつく。


「なんにせよ、君は重傷ではない。ここは診療所だ。町の患者が優先だ。置いておくわけにはいかない。町にいたいならば、他に宿を捜すんだな」


 よそ者を置きたいものなどいないことを踏んでの提案だ。

 セツがなにかを言いかけるのをさえぎるように、もうひとつの部屋から「こんにちは」と声がかけられた。患者だろうか。医者が出迎えにいくまでもなく訪問者は慣れた様子で病室の扉を開け、ひょこりとのぞき込んできた。


「やっぱり、こちらにいらっしゃったんですね」


 若い町娘だった。木製の車椅子に乗っている。

 町娘はセツをみて、瞳を輝かせた。

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