前編

「大魔女様!」

 朱色の髪を持つ少年は、机に身を乗り出して大声を出した。

「だからぁ、ワタシは大魔女じゃないって何度言やぁ理解できんのさ?」

「いいえ、貴女こそ、大魔女様に違いないのです!」

「ちっとは大人しくできないのか〜? ったく、これだから王都育ちのお坊ちゃんは……」

 耳の穴を小指でかっぽじりながら、「大魔女」と呼ばれた少女は目を伏せる。しかし、その口角は不自然につりあがっていた。「王都」、という単語を聞いた少年は、バツが悪そうに少し勢いを弱める。

「ぼ、ぼくを、王都の人間と一緒にしないでください……」

「ワタシにとっちゃ、全部一緒だよ」

「それは、貴女が大魔女様であるからでしょう?」

「ちーがーうーよっ! ワタシはただの世捨て人!」

 銀髪を振り乱し、赤い瞳をカッと見開いて、少女は歯をむき出した。だが、少年は臆する様子がない。

「この森は——貴女が住居を構えるここは、かつて起きた『第二次災厄』の副作用でできた場所。普通の人間にはまず、立ち入ることすらできない」

 先ほどより落ち着いた様子で話し始める少年を横目に、少女はキッチンの方へ踵を返す。

「何故ならそれは、『災厄』のために起こった気候変動や環境の急激な変化により、この森の植物全てが、我々人類にとって猛毒を撒き散らす兵器になったから」

 少女がすい、と白魚のごとき指先を動かせば、食器棚の扉は触れることなく開き、中からティーポットやカップが彼女の手に吸い寄せられるように出てきた。

「そんな場所にいられるのは、世界中どこを探しても大魔女様だけ。そう、『第二次災厄』そのものである貴女にしか」

 ぱちんと指を鳴らすと、空だったはずのティーポット内部に突然茶葉が現れ、底から湯がみるみるうちに沸き起こってくる。少女はそれを、また手を触れることなくカップへ均等に注いでいく。少年の方に振り返ることは無い。

「王都は『災厄』を封じ込めていない。彼らは間違った歴史を正史として伝え続けている。ぼくら一族には、それが許せないんです」

 ぎゅ、と少年は膝の上に置いた手を握りしめた。そうして、強い決意を宿した瞳で、顔を上げる。

「だからぼくはここに来た。貴女に会うために。お願いです。ぼくと……この、メイ・エメリフと共に、王都へ来てくれませんか。そして——」

 と、彼の目の前に、乱暴にティーカップが置かれた。その音にメイは驚き、肩をすくめる。笑顔をその顔に貼り付けたままではあるが、凄みのある声で少女は言葉をメイに投げかけた。

「これ飲んだら、帰んなよ」

 目を合わせることなく、少女は自分の分を一気にあおった。メイは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、その様子を眺めていた。

「ワタシは、王都の奴らと関わりたくないからここにいるんだ。それに何度も言ってるが、ワタシは大魔女なんかじゃない」

「嘘です、そんなはずは……」

「残念だが、アンタの期待には応えられないよ」

 よっこらしょ、と外見の歳にそぐわない掛け声とともに、彼女は椅子を軋ませた。

「か、帰ると言っても……」

 メイは、机の隅に置いてあるマスクだったものを指さした。

 それは、彼がこの森に降ってきた時に壊れたもので、森の毒を無力化する特注ものであった。これがなければ、メイはこの結界のはられた家の中から、出ることすら出来ない。さらに、彼の乗ってきた空飛ぶ箒——ジェットエンジン搭載の自作品——も、同じく着地に失敗したことによって、粉々に砕け散った。

「……そうだったね。あの珍妙なものがなんだったかは気になるけど……とりあえず、転移の魔法でもかけてやろうか」

 ぽ、と少女の指が青白く光る。それを見てメイは気色ばんだ。

「ちょっと待ってください! 貴女が大魔女様ではないなら、普段使っている外出用のアイテムがあるんじゃないんですか⁉」

「うっ」

 光はたちまち薄れ、どうしたものかと少女は頭をガシガシと掻く。そうだ、自分は平気だから、この森に蔓延する毒の性質というものを、完璧に失念していた。

「貴女が魔法使いであるのは理解していますが、ここの毒は精神を蝕み、さらに魔力も吸い尽くすと、我々エメリフ家の研究によって明らかにされています!」

 この世界に存在する人類は、魔法使いとそうでない者に分けられる。しかし、どれだけ強力な魔力の持ち主でも、森に立ちいればたちまち魔力も失って、死に至ることになるのだ。

 ——ただ、魔力の底がない、大魔女という例外を除いて。

 メイは、あえてそれを伏せた上で話を進めていたのだ。案外利口だぞ、と少女は片眉を上げる。

 この世界は魔法によって支えられているといっても過言ではない。昔から魔法使いは、己の精神力を犠牲として魔法を発現させることができた。そのため、魔法使いには所謂変人が多い。度を越して魔法を使いすぎれば狂人と見なされ、隔離されることもあった。

 少女はあくまで自分は狂人であると、メイに主張するつもりでいた。ある種言い逃れとしては正当だ。少女の住む場所が特殊すぎる、という点を除いては。

「研究熱心なこと……。もっと他にすることがあるだろう」

「ここを追い出されたとしても、貴女が大魔女様ではないと確信するまで、ぼくは何度だってここに来ます。どんな手段を使ってでも……!」

 メイは握り拳をぐっと突き出した。少女に入れてもらった紅茶は、すでにティーカップの中でぬるくなりはじめていた。

 少女はしばらく俯いたままであったが、やがて「ひひっ」と笑いを漏らすと、片腕をゆっくりと上げた。そうして、メイの拳を包み込む。

「——じゃあここで、お前さんを殺したとしたら?」

 その言葉と同時に、少女の背後から真っ赤なオーラがその存在を主張し始めた。

「っ……! 大魔女様は、そんなお方ではないと、ぼくは信じています……『災厄』と化す前は、慈悲深きお方だったと……!」

 今の自分も、無益な殺生はしないと思われているのだろうか。それは全くの見当違いである。メイは、少女にとっては、日々の平穏を脅かそうとする厄介な存在に過ぎないのだから。

 少女はため息をついた。久々の賢い来客かと思えば、ただの狂信者であったのだ。残念にもなる。

「アンタは結局、大魔女を盲目的に崇拝しているだけじゃないか。大魔女なんて存在はね、底なしの魔力を暴発させた、ただの気狂いなんだよ。一度救った世界を自分の手でめちゃくちゃにした、ひどい愚か者さ」

 少女が目を細めて自嘲気味に空笑いをすれば、メイは訝しげな顔をした。

「そんな気狂いが、愚か者が、突然立ち入ったぼくを見殺しにしなかったのは、何故ですか」

「それが、ワタシが大魔女じゃないという、れっきとした証拠じゃないか」

 自分が殺されるかもしれないというこの状況を目前にしてこんなことを言えるのは、よっぽどの馬鹿か、覚悟を持っているか。はてさて、この少年はどちらだろうと、少女はメイの拳を握る力を、少し強めた。

 するとメイは、その思いを見透かしたように、

「ぼくは……殺される覚悟はできています。どうせ、王都には目をつけられているのですから。けれど、何も知らないままに殺されるのは、嫌だ」

「じゃあ、どうするんだい。アンタはどうやら、魔法使いではなさそうだ。ただの人間が、魔法使いに勝てるとでも言うのかい」

 メイは冷や汗を垂らしながらも、ニイ、と不敵に笑って見せた。

「やはり貴女は大魔女様だ。百八十年前——『第二次災厄』以降生まれた技術を、ご存じないという様子でいらっしゃる」

「何……?」

「ぼくたちエメリフ家は、『災厄』を経験して以来、魔法使いでなくとも使える、魔法のような力を開発するために心血を注いできました」

 王都は、『第二次災厄』を、改造人間を元に作られた魔法使いたちによって封じ込めたとされる。それにより、魔法使い達の地位はそれまでに比べてさらに高いものとなった。しかし、魔法に頼るだけではいけないと考えた者達も、中にはいたのである。

「——科学。ぼくたちはそう呼んでいます。今日乗ってきた箒や壊れたマスクもそれによるもの。そして、ここでの会話は全て、録音機で記録させていただきました。ぼくの家にある装置に、すでにデータは全て転送済みです」

「……!」

「つまり、ここでぼくが死のうが、貴女の情報はエメリフ家に残る……それに、」

「だぁっ! もう分かったよ!」

 少女は気を緩め、再び椅子にドカッと腰を下ろした。

「ここまで熱心に愛されるなんて、ワタシもついてないねぇ」

 少女は、ここで面倒事を処分できればそれに越したことはないと思っていた。しかし、こうまで先手を打たれてしまうと、魔力に底がないといえどあまりにも面倒が過ぎる。

 かといって、このままでは王都の人間と顔を合わせなければいけなくなる。はて、どうしたものか。

「——まぁ、それは後で考えればいいやァ」

 少女は、メイに向かって広げた手を、ぐっと引いた。途端、メイの懐から小さな銀色の塊が飛び出す。

「あっ……!」

「ふん、こいつがそのカガクの結晶ってやつかい。随分ちっこいもんだね。これは当分、預からせてもらうよ」

 ぎゅっと両手で挟み込むと、それは途端に消えてなくなった。唖然としているメイを尻目に、少女は続ける。

「しばらくはここにいな。ガスマスク壊れてんだ。そこまでくしゃくしゃだと、ワタシでもどうしようもない。代わりになるものを見繕ってやる」

 その過程でどうにか策を練って、この少年を追い出してやればいい。少女はそう考えた。

「た、大魔女様……!」

「大魔女はやめなって。そうだな……ワタシのことは、ツェリアでいいよ」

 ツェリアが歯をむき出したままで笑いかけると、メイも笑顔を浮かべた。

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瘋癲正伝 靑命 @blue_life

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