第13話 相談室にて 空に放つ
彼を突き動かしているのは両手だった。
「あの、すみません」
僕が病棟内を歩いていると、びくついた動きで話しかけてきた警備員がいた。
僕はおや、と眉を上げる。
「入口の警備はどうしました?」
自然、尖った声になってしまった。この前の事件を忘れたわけでもないだろうに、職務を中断してまで僕を呼びに来るとは。
彼は周りを見渡しながら少し怯えたように僕を見ている。通り過ぎる少年少女たちが警戒心を含んだ目で彼を見ているからだろう。
僕は彼らに向けて安心させるように頷いた。
「あ、いえ、その……この病棟に入院希望の子供が来ておりまして」
僕は視線を動かし、ますます眉をひそめた。
「それは……専用の医者がいらっしゃるでしょう?」
「いえ、それが────先生でないと駄目らしいのです」
僕は一つ瞬いて、ゆるりと首をかしげた。
この病棟に入るには二つほど方法がある。一つは全国の病院から紹介状を渡され、この病棟に繋がっている病院で診察を受けること。
そしてもうひとつは、病棟に直談判しに来ることだ。
正直、前者も後者も同じくらいいる。様々な事情で病院にすら来られない少年少女たちが、噂と執念だけで縋るようにこの病棟にやってくることも少なくないのだ。
そしてもちろん、今回の場合は後者である。
「やっと来たか」
病棟内にいくつか設置されている相談室の中で、少年はふんぞり返って椅子に座っていた。だぼだぼのパーカーを着て、その目を鋭く細め、僕を睨みつけている。
僕はひとつ息をついて、少年の前に座った。
「僕を呼んでもどうにもなりませんよ。入院するか否かを決めるのは僕ではありません」
「まあそうだろうな。でも推薦くらいはできるだろ?」
「……何故僕なんです?」
本気で分からずに問いかけると、少年は驚愕に目を見開いて身を乗り出してきた。
「もしかして、俺のこと覚えてないのか?」
「……はあ、残念ながら、全く」
眠り続ける彼女ではないが、僕も病棟外の人のことについては結構無関心だ。一度二度顔を合わせたくらいでは覚えられない。
彼は僕をじいっと観察すると、不意に不服そうなため息をついた。懐から何通もの手紙を取り出す。
綺麗な淡い色の封筒。女子が好みそうなものだ。
見覚えのあるそれに僕は片眉を上げた。
「これは……」
「覚えてるだろ?」
僕は浅く頷いた。味覚が消えた彼女から、僕が毎回預かっていた手紙だ。
ということは、つまり。
「あなたは彼女の恋人なのですね」
「いや、なのですねって……お前、俺と会ったことあるだろうが」
「ええ、そうでしたね」
彼から手紙を受け取ったことならある。
僕は鹿爪らしく頷いた。
「……調子狂うな」
呆れたように言い放ち、彼は背もたれに背を預けた。パーカーの首元を弄る。
「だから俺は今お前を指名してるんだよ」
「……すみません、繋がりが分からないのですが」
僕が手紙を受け取ったことと、僕を指名したことがどう関係しているのか不明だ。
彼は淡々と説明する。
「お前、俺と会ったとき、いつも俺と目を合わせてただろ。だから、俺はお前がいい」
「…………………………え、それだけですか?」
「なんだよ、それだけじゃ悪いのか」
「目くらい、普通に合わせますよ」
「その普通を俺はお前以外にされたことがなかったんだよ、あの病院に行ったときはいつもな」
少年はそう吐き捨てた。僕は閉口する。
病棟への贈り物は食べ物以外は基本的に認められていて、それらはここから少し離れた病院で受け取ることになっている。
そこで用を告げると、皆同様に目をそらすのだという。
「俺は病棟の患者じゃない。それなのにあんな目をするってことは、ここの患者にも同じ目をしてるってことなんだろ?」
少し首を傾けた少年の顔から、一切の表情が抜け落ちた。
「あいつにもそんな感情向けてるってことなんだろ?」
許さない、と彼は呪詛を呟いた。ぐっと首元のパーカーを握りしめ、目を血走らせる。
「そんなことは許さない。普通の人間だった俺にもそんな対応をするなら、あいつのことはなんだと思ってるんだよ、人じゃないってのか?」
彼は手の甲が白くなるほど布地を握りしめていた。
光を突き通す視線が僕を向いた。
少しだけ、目から険が消える。
「でも、あんたはちゃんと俺の目を見た。だから、俺の話をするならまずあんただと思ったんだ」
なるほど、と今更ながらに合点がいった。
僕は定期的にその病院に行っている。病棟内に棲む彼らへの贈り物を受け取るためだ。そのときちょうど鉢合わせた贈り主から直接に受け取ることももちろんある。
毎回ではないが、二、三回なら彼から受け取ったこともあった。
そしてそのとき、僕は彼に関わらずそういう人々の目を見ていたのだろう。
「あんたの目にあいつを怖がる色はない。同情もしてないし自己中心的な優しさもない。そうだろ?」
「……確かに、僕は彼らが自分とは違うものだと思ったことはないですが」
「そうだ。そういうことだよ。だからやっぱ、最初に見せるならあんたなんだ」
皮肉げに笑って、彼は椅子から立ち上がり、部屋の中心に立った。そう言えばこの部屋は随分広いなとぼんやり思った。
「馬鹿だよなあ、あいつもさ」
言いながら、彼は背中のジッパーを下ろした。
僕はそこで初めて今までの違和感に気づいた。
彼はパーカーを後ろ前逆に着ていたのだ。
「…………助けてくれって一言言えば、俺はすぐにでもあいつのところに飛んで行ったのに」
ばさりと大きな音がした。
僕は目を見開いて少し仰け反る。
彼の背中からは、灰と茶を組み合わせたような翼が一対、部屋を蹂躙するがごとくに生えていた。
悠然と震えるそれは意思を持つかのように見える。
「……
「ああ、多分な。急に手が二つも増えて気持ち悪いったらないけどな」
冗談めかして言いながら、彼は笑った。
「いつからですか?」
「ひと月くらい前からだよ。おかげで慣れるまで大体の服を破いた」
からからと笑って、彼は油断なく僕を注視している。
「十分だろ?」
僕は何も言わなかった。言えなかった。
ここまでシンプルで強烈な奇怪病はほぼ見たことがない。人間としてのあり方を真っ向から否定する姿だ。
彼はまだ小さく笑っている。
「なんだよ、これじゃ駄目か? その場合、俺には人体実験とかしか残ってないと思うけど」
「認めます」
遮る勢いで告げた僕の声に、彼はきょとんとして動きを止めた。
僕は懐から一枚の紙を取り出す。
「僕からの推薦状です。あなたの名前をここに書いてください。そうすれば、あなたの『入院』はほぼ決定します」
「おいおい……本気か?」
「あなたは本気ではないのですか?」
挑発するように問うと、彼はぐっと口を引き結んで、嘲笑うような笑みを刻んだ。
「本気に決まってるだろ、舐めるなよ」
叩きつけるような勢いでざかざかと自分の名前をそこに記していく。
無事に書き終えた彼は満足そうに口を歪めた。
「これでいいんだろ?」
「はい、ありがとうございます」
ふとその名前を見て、おや、と思う。
「どうした、何か不備か?」
「いえ、ただ、あなたの名前は変える必要がなさそうだと思いまして」
「名前? ……ああ、病棟に入ると病状に合った名前をつけるんだっけか」
味覚を失った彼女から聞いていたのか、少年は納得したように頷いた。
「まあ、変える必要はねえよな。同じような状態の患者が来たら変えることにするか」
一人でぽつりと呟く。
僕はもう一度、書類に目を落とした。
流れるような少し右上がりの字が、「翼」という文字をたなびかせていた。
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