とても授業を受けられるような状態ではなかったし、イロナの勧めもあったので、辰子は午後で早退した。汚れた制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びたあと、何も手につかずベッドで寝転がっていたら、いつのまにか眠ってしまっていた。

 そして目が覚めると、夕暮れの薄暗いなかでイロナにひざまくらされていた。辰子はあわてて跳ね起き、イロナから距離を取った。机にあった手鏡で首筋を確認するが、血を吸われた形跡はない。

「心外だな。キミが望まないかぎり吸血しないと言ったぞ」

「どどど、どうしてアタシの部屋にっ?」

「今日からボクの部屋でもあるからさ。この前言っただろう? 寮暮らしをしてみようかなって。ちょうど空きが出たからね」

「空きって……」

「フレデリカ・P・オルロックは、急な都合でルーマニアへ帰国した、というコトになった。明日の朝にホームルームで担任から知らされるだろう」

「さすがは理事長の娘ですね。そんなカンタンに隠蔽できるなんて」

「言っておくがホントの親子じゃないぞ。彼女はボクの元生徒で、忠実な下僕だ。かつてこの学校の創設者だったアラニュ・ジャーダと同じように」

「元生徒……つまりスコロマンスの、魔術の生徒ですか」

「そうだよ。ボクはジャーダとともにこのスコロマンス女学院を創設し、才能ある少女を見出しては魔術の薫陶を授けてきた。そして辰子、キミにもその才能がある」

「アタシに、魔術の才能が?」

「オルロックが吸血しているところを覗き見したとき、タイミングよく雷が光っただろう?」

「それが何だっていうんです? そんなのただの偶然でしょう」

「キミが不安や恐怖を感じると、いつも雲が出て来て、ときには嵐になったんじゃアないか? それは偶然なんかじゃない。その身に宿る膨大な魔力が、無意識のうちに天候へ影響を与えていたのさ」

 辰子はまさかと思った。そんなコトがホントにありえるのだろうか。しかし、心当たりがあるのも確かだった。幼い時分から心が曇り模様のときは、実際の空も曇っているコトが多かった。

「スコロマンスの魔術のなかでも、嵐と雷を操る魔術は特別だ。あの悪魔さえ竜の力を借りる必要があったし、ボク自身も吸血鬼の膨大な魔力を手にするまでは使いこなせなかった。それをキミは誰に教わってもいないまま無意識で、しかも昼夜問わず天気に干渉した。制御できないからこその暴走状態ではあるだろうが、もしキミが正しく魔術を身につけたらと思うと、空恐ろしいものがあるね」

 そこまでほめられると、さすがに辰子も悪い気はしなかった。受験に失敗してこのかた自信を喪失していたので、何にせよ才能があるというのは救いに思えた。

「ホントに、アタシにはそんなすごい才能が」

「そう、キミならきっと史上最強の――魔法少女になれるとも」

 辰子は思わず訊き返した。「魔法少女? 魔女じゃなくて?」

 イロナはやれやれと肩をすくめた。「魔女なんてカビ臭い。時代は魔法少女だよ」

 そう言って腰かけていたベッドから立ち上がると、ふところからファンシーな杖を出して構えた。

「パプリカ・トカーニュ・パーリンカ!」

 イロナが呪文のようなものを唱えた瞬間、イキナリ身に着けていた衣服が塵へと還った。全裸でクルクルとバレエのような動きで回転しているうちに、周囲を漂っていた塵がふたたび集まり、女児向けアニメに出来てきそうなフリフリのドレスとして再構成されていく。どことなくハンガリーの民族衣装ゼンプリンにも似ていた。

 そうして変身という名の着替えを済ませると、かっこいいポーズを決めて口上を述べる。「トランシルヴァニアに咲く一輪の花! 魔法少女ふにゃでぃ☆イロナ、ただいま参上!」

「うわぁ……」

 辰子は絶句した。この状況にどう反応していいかわからなかった。

 イロナは得意げに笑う。「どうだい? ボクの教えを受ければ、キミもすぐできるようになるぞ。才能があるからね」

「い、いやいやいや! ムリムリムリ! そんな恥ずかしい恰好して、恥ずかしいセリフなんて言えませんから! ていうかそれ以前に、変身中ハダカになるのはイヤですって!」

「なんと!」イロナは心底おどろいた様子で、「日本の少女たちはみんな、幼いころ魔法少女に憧れたものじゃないのかい?」

「それはチビッ子のころの話です! この歳になっても魔法少女になりたがるヤツなんて、いるワケないじゃないですか!」

「そんなコトはないぞ。キミ以外の生徒たちは超ノリ気だったしね」

「エッ? アタシ以外にもスコロマンスの生徒が?」

 辰子は思わず疑問が口に出た。てっきり才能を見出されたのは自分だけだと思っていたのに。

「オヤオヤ? もしかして選ばれし者は自分だけ、とか考えていたんじゃアないだろうね? スコロマンスはかならず一度に十名の生徒を集めるのだよ。とはいえ、なかでもキミの才能は群を抜いているが。だからそうスネない」

「べつにスネてませんッ」

「だったらいいんだ。ほかの生徒たちとは、明日の放課後にでも引き合わせるとしよう。これでようやく十名そろった」

「いや、アタシまだ魔法少女になるなんて一言も――」

「名前はもう考えてある。名付けて、魔法少女かみなり☆タツコ」

「まんまじゃないですか! ていうかクソダサい!」

 するとイロナはため息をついて、「……こうなったらしかたない。なるべく脅すようなコトは言いたくなかったんだが」

 辰子は身構えた。「な、何です?」

「言ったように、キミは自分の膨大な魔力を制御できていない。これまでは運がよかったかもしれないが、いつかキミの大切なひとたちに害をなす。そうなるのはイヤだろう?」

 その言葉に辰子はショックを受けた。考えてみれば当然だ。感情に左右されて嵐を起こしてしまうという力は、あまりにも危険すぎる。これまでは本当に幸運だっただけなのだ。

「アタシが魔術を憶えれば、もう暴走する危険はなくなるんですね」

「ああ、それは保証する」

「……わかりました。アタシ、魔法少女になります」

 辰子は覚悟を決めた。それに恥ずかしい変身さえ除けば、ホントは魔法少女に憧れがないワケでもない。

「そうか。では、この契約書にサインを書いてくれたまえ」イロナはカバンから一枚の書類を取り出した。

 そこにはこう記されていた。「『甲はスコロマンスを卒業するまでの期間、十日に一度、乙に二〇〇ミリリットルの血液を提供する。ただし体調不良の日は免除される。また乙は採血の際、甲に対して痛みがないよう十分配慮する義務を負う。』――って、ヤッパリ吸血するつもりじゃないですかァ!」

「大丈夫だ。そのくらいの少量であいだを空ければ、吸血鬼化する心配はない。むしろ瀉血代わりになって健康的だぞ」

「いやいや、瀉血の効果は大昔に否定されてますから」

「ジョークだ。ともかくスコロマンスの生徒になるなら、この条件は受け入れてもらおう。イヤならこの話はなしだ」

 そう言われても、今さらことわるワケにいかない。ひょっとしてハメられたのではと辰子は思った。しぶしぶ契約書にサインする。

「さて、それじゃアさっそくいただこうか」

「イキナリですか! ……ハァ、もういいです。好きにしちゃってください。なんか抵抗するのも疲れましたし」辰子は上着をはだけ、首筋を露出する。「ホラ、さっさと済ませちゃってください」

 するとイロナはどういうワケか、噛みつくのではなく、唇にキスをしてきた。辰子は抵抗しようとするが、力が強くて振り払えない。これが吸血鬼の怪力か。

「あむぅ! ちゅぶ、れろっ、ぴちゃ、ぶちゅ! ちゅるるぅ――」

 舌を絡める濃厚なキスだ。たがいの唾液が口のなかにあふれて交ざり合う。呼吸がままならず、溺れないためには呑み込むしかない。

 グズグズに融かされていく感覚。相手との境界があいまいになる。

 数十秒でいったん解放された。唾液が糸を引いて、おたがいの舌をつないでいる。そのまま垂れ下がり、あごから首を汚した。

 辰子は顔を上気させて、酸素を求めてあえいだ。「ハァ、ハァ……何、するんです……血を吸うハズじゃア、なかったんですか……」

 一方、イロナは手慣れてた様子で、腹立たしいほどに余裕の表情だった。「契約書に書いてあっただろう? 吸血するときは、痛みがないように配慮すべしと」

「それが、どうしてこんな」

「痛みをごまかすには、性的快感が一番手っ取り早いからな。副作用もないし、どうせならおたがい気持ちイイほうがいい」

 そういえば、あの日記にそんな記述もあった気がする――などと考えているうちに、イロナは辰子の衣服をテキパキと脱がせにかかり、あっという間にハダカにされてしまった。そしてイロナの唇が、舌が、今度は下の唇へと近づく。息がかかってくすぐったい。

「あっ、待って! まだ心の準備が――せめてシャワーを! シャワーを浴びさせて――」

「大丈夫。ボクは気にしない」

「いやいやいや! 先輩はよくてもアタシが気にす――アッー!」

 実際、辰子はまったく痛みを感じなかったので、いつ血を吸われたのかまったく気づけなかった。というかクセになってしまいそうだった。

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スコロマンスの魔女 木下森人 @al4ou

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