図書館暮らし。

佐賀瀬 智

とあるJKの二ヶ月間

 初めてその人に会ったのは、二学期が始まって間もない頃、ママに頼まれて図書館に本を返しに行った時。


 入り口で、中から出てくる人と鉢合わせになりそうになったその時、その人は「どうぞ」と言ってドアを開けてあたしを先に入れてくれた。その『どうぞ』がとても自然で素敵で、片眉毛を上げて涼しげに微笑む。明るい茶色で少しカールした髪、線の細い顔立ち。すらっとしてて、その人は男の人なんだけど、女性的でもあって、もしかしてどこか異世界からやって来たんじゃないのって思うくらいにオーラを放っていた。それに、初めて男の人に、レディーファーストって言うのかな、ドアを開けて待ってもらうなんて、大袈裟に言うと初めてレディーとして扱われた気分だった。あたしにとってあの人は異世界から来た王子さま。


 その人に、お近づきになりたいとか友達になりたいとか、そんな大それたことではなくて、ただ、その美しい王子さまにまた会いたい。そんな想いから、あたし山内絵里菜、高校二年生は今日も図書館にいる。


――今日は来てるのかなあ?王子さま。あっ、来てる。ラッキー!!


 王子さまはいつもの窓際の席に座って本を読んでいる。あたしは図書館に入るなり、一番近くにあった本棚に手を伸ばし適当に本を取り、王子さまの座っている同じ長机の一番端にちょこんと座った。そしてその読むふりをする本を開いた。『堆肥の作り方』と言う本だった。今度からとりあえずはタイトルをちゃんと見て本を取ろうと思った。


「最近、帰りが遅いわね。どこにいってるの?」

 家に帰るとママが心配してた。

「図書館」

「ええっ、うそっ!!どうしたの、大丈夫??」

 そう言われた。

 

 あたしは王子さまに会うために日々図書館に通う。ママの言う通り、自分でも大丈夫なのかなって思うくらい、学校が終わると図書館に直行。友達には「最近付き合い悪くない?」って言われるけど、そんなのお構い無し。今や図書館にいることがあたしの生活の一部になった。


 そんなある日、ピンクのセーターを肩に掛けて王子さまがいつもの窓際に座っていた。あたしはちょっと勇気を出して王子さまの座っている斜め前三席空けたところに座った。どんな本を読んでいるんだろうと気になったし、あたしのことに気づいてほしかったから。椅子をちょっとだけ音が出るように引いて、椅子に座るとき小声で「よいしょっ」と言ってみた。こっちを見るかな? こっちを見たらにっこりしよう。その準備はできている。けれど、王子さまはこちらを見ない。本に集中しているようだ。あたしは横目で王子さまの読んでいる本と机の上に置かれた何冊かの本のタイトルを見た。それらは、全部、薔薇についての本だった。


 その日からあたしも薔薇の本を手に取った。王子さまと同じ本を読んでいるって素敵じゃない? 王子さまが来る時も来ない時も、図書館で待つ時間は薔薇についての本を棚から取った。最初は、パラパラとページをめくるだけだったけれど、ちょっと読むと、薔薇ってすごくたくさん種類があることがわかった。それに日本の野ばらがルーツの薔薇もあったりして、薔薇って面白いなと思った。本などあまり読まないあたしが薔薇の本は何冊も読んだ。


 ある日、いつものように少し離れたところで、王子さまを見つめたあと、そろそろ帰ろうかなと思ったとき、王子さまも席をたった。跡をつけるわけじゃないけど、ちょっと距離をおいて王子さまの後を歩いた。歩いてここに来てるのかな?自転車?それとも電車かな。どっち方面に帰るのかな、とか、とても知りたくなった。これは決してストーカーじゃないよ。あたしだって家に帰るんだから。ただ、帰えるタイミングが同じなだけ。と自分に言い聞かせた。


 王子さまが図書館を出て、黄色の薔薇のアーチを抜けて向かったのは駐車場だった。そこには赤い見たこともないスポーツカーが停まっている。運転席の窓がスーっと下りて中からゴージャスな女の人が顔をだし

 「ヒロキ!」と呼んだ。

王子さまは軽く右手をあげて助手席に乗り込んだ。そしてその赤いスポーツカーはギュインと砂煙をたてて走り去った。あたしは王子さまの名前を知ることができて、とてもハッピーな気分になった。ヒロキって名前なんだ。ヒロキ様。ヒロキ様も素敵だけど、あの車を運転していた女の人の美しかったこと。彼女さんなのかな。品のよい、サロンできちんとセットされたような茶色の巻き髪、赤い口紅、頭の上に掛けた大きめのサングラス。まるでモデル。二人とも外国のファッションマガジンから抜け出して来たみたい。お似合いの二人だ。


 あたしはふと自分の姿を見た。お気に入りの制服、ハイソックスにローファー、鞄に付けているウサギのマスコット。JKであることに優越感みたいなもを感じていたけれど、突然それらすべてが野暮ったくて、ぱっとしなくてダサくて、ものすごく子供っぽく見えて、とても惨めな気分になった。


 ああ、あの人たちとあたしは住む世界が違うんだ。あたしなんかとは一生接点はないと思った。見たこともないどこの国の車かわからない赤いスポーツカーがそれを象徴していた。ただ、こんなあたしでもわかるのは、それはとても高価な車なんだろうなということ。


それでもあたしは図書館にいた。次の日も次の日も。


 あれは十月の始めだった。黄色の薔薇のアーチをぬけて図書館に入ろうとした時、向こうの駐車場に赤いスポーツカーが見えた。その車のそばで強い口調で話しをている二人がいた。ヒロキ様とスポーツカーの女だ。遠すぎて何を言っているかは聞き取れないけれど、言い争いをしているのは確かだ。しばらくそれは続いて、女の人が何か言ったあと、プイッとして車に入ってドアをバンっと閉め、その赤いスポーツカーはブロロロンッ、ギュインと音を立てて、ヒロキ様を残してすごい勢いで去って行った。かと思うと、駐車場の出口でキキッと止まった。片手を顎にやり、片腕を組んでそれを見ていたヒロキ様は、髪を片手でかき上げながらゆっくりと赤いスポーツカーに向かって歩いてゆく。ゆっくりとゆっくりと。それ以上ゆっくりと歩けないほどにゆっくりと。そしてヒロキ様が車に乗り込んだかと思うと、車は急発進してけたたましく去っていった。


 あたしは満開の黄色い薔薇のアーチに身を隠して、覗き見なんて趣味悪すぎと思いつつもその一部始終を見た。黄色い薔薇のむせかえる甘い香りが、なんだか見ちゃいけないものを見ている気分に余計にさせた。あんなに美しい人でも喧嘩するんだ。もうちょっとでおいてけぼり? ちょっと笑える。なんか親近感がわいた。


 それからも、ヒロキ様に会うため、あたしの図書館暮らしは続くのだけど、その喧嘩を目撃した日を境に、もう一ヶ月もヒロキ様は現れない。ヒロキ様とたまに一緒にいた友達らしい大学生ふうの男の人はよく来るけど。この人にヒロキ様のこと聞いてみようか。いや、やめておこう。ストーカーに間違えられたら嫌だ。


 もう図書館には来ないのかな。ヒロキ様。あなたがいないと意味を成さないあたしの図書館暮らし。あなたのおかげでちょっと薔薇のことに詳しくなったし、うっとりするような時間だったけれど、もう、そろそろやめようかな。図書館暮らし。


 もとのJKにもどろう。図書館なんか行かないもとの絵里菜にもどろう。大体、あたしが図書館なんて笑える。トボトボと家に帰る道でそう思った。


「なんか、マジ醒めちゃったんだけど。バッカみたい」


 明日からもう図書館には行かない。





 おわり

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図書館暮らし。 佐賀瀬 智 @tomo-s

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