慢性的中毒症状 番外編

日向葵(ひなた・あおい)

キャンディミルクの夜

 夜、バイトの帰りだと雅人の下宿を訪ねてきたみのりは、手にコンビニの袋を持っていた。

「何?」

「塾の子に教えてもらってね」

「へえ?」

 玄関にみのりを招き入れてから、雅人は内心でどうしたものかと顔をしかめた。「ちょっと待って」と言いおいて、パソコンをスリープにして机の上からどかし、広げていたマンガや雑誌を隅にまとめて片づけたことにする。

「ごめん、どうぞ」

「うん。突然すまないね」

 大学に上がり、お互いに下宿を始めてから、こうして互いの部屋に行き来することができるようになった。特にみのりは、こうして時間に関わらず訪ねてくることが多い。

 一人暮らしではしゃいでいるのだろうと思うが、雅人としては気が気ではない。

 そもそも、みのりは地元の公立大学を目指していた。それを、家を出なければならない地方の大学を受けたのは、雅人の進学先に合わせたからだ。そうして家を出たみのりが非行に走ってしまったら、多少なりとも雅人の責任になるのではないだろうか。

 そんな雅人の心配には気づいていないのだろう、みのりはいそいそと部屋に上がり、袋の中身を広げる。

「牛乳ならあったのに」

「そうだろうとは思ったけど、あてにするのも悪いと思って、ね」

「飴? え、風邪?」

「違うよ。たしかにのど飴だけど、ハチミツ味が欲しかったんだ」

「そうか、よかった……」

 ほっと息をつく雅人に、みのりはくすくすと笑う。ふと浮かんだ雑念を振り払い、牛乳を冷蔵庫にしまうために立ち上がる。勝手知ったる他人の家で、みのりもそれについてきた。

「ん? 何か飲むか?」

 訊いてから、雅人はみのりがバイト上がりだったことを思い出す。

「何か食べる?」

「いや、バイトに行く前に軽く食べたからね。それよりも──」

 と、みのりは洗って伏せてあるマグカップを指さす。

「ホットミルクが、飲みたいな」

「ああ、そうか」

 考えてみれば、当然のことだ。そのために牛乳を買ってきたのだろう。頷いて、雅人は食器棚からマグカップをもう一つ取り出す。もともと冷蔵庫にあった牛乳を時分のマグカップに注ぎきり、みのりに了解を得て新しい牛乳パックを開ける。もう一つのマグカップに牛乳をなみなみと注ぎ、残りは冷蔵庫にしまった。

 電子レンジにマグカップを並べて入れ、ボタンを押す。

「ホットミルクは、膜が張るのがなぁ……」

「牛乳用のモードなら、そうならないようになっているんじゃないのかな」

「あんまりいいやつじゃないからな、このレンジ」

「ふぅん?」

 レンジの中で回るマグカップを眺めながら、温めが終わるのを並んで待つ。

「家出る前は、そんなにいいやつじゃなくていいかと思ったんだけどな」

「一人暮らしだと、よく使うものね。僕ももっと使いやすいのにすればよかったな」

「買い換える?」

「そういうわけにもいかないよ」

 会話の合間に存在を主張するように、レンジがチンッと鳴る。雅人が両手でそれぞれのマグカップを取ると、みのりが心得たようにレンジの扉を閉めた。

「スプーンも借りていいかな?」

「あ、俺のも」

「この干してあるやつ?」

「それ」

 雅人がマグカップを、みのりがスプーンを、それぞれ二人分ずつ持って机に戻る。みのりが来た時にいつも使うクッションを渡し、腰を落ち着けてから、雅人は思い出して声をあげた。

「あ、なんか入れるか? 砂糖とイチゴジャムならあるけど」

 夜分に飲むには甘い代物になるだろうが、たまにはいいだろう。そう思ったのだが、みのりは何やら企んでいる顔でふっと笑った。

「そのために、これを買ってきたんだよ」

 言って、飴の袋を開ける。

 個包装のひとつを手に取り、残りは、広げた口を雅人のほうへ向けて机に置いた。スプーンでミルクの表面に薄く張った膜をすくい取って食べ、飴の個包装を開いて、飴玉をミルクに沈める。

 とぷん、と、鈍い音がした。

 みのりがくるくるとスプーンでかき回す。時折、スプーンがマグカップにぶつかり、かつんと音を立てる。

「え……ええ……? それ、美味いのか……?」

 雅人は半信半疑──よりも疑いの濃いまなざしでそれを見る。

「らしいよ」

 みのりは、平然とミルクをかき混ぜる。

「ハチミツをそのまま入れるより、甘くなるらしい。塾の子が、SNSで見たんだと教えてくれたんだ」

「へえ……」

 まだ、疑わしさは拭いきれないが、雅人も飴に手を伸ばした。話しぶりから、少なくともみのりは、それの味に信憑性があると思っているらしい。ならば、自分も一蓮托生で試してみるべきではないだろうか。

 飴玉をミルクに落とし、表面の膜をスプーンに巻き付けるようにくるくると混ぜる。マグカップの底にたどり着いた飴玉は、ミルクの熱でドロドロになっているのだろう。時折スプーンが引っかかり、そこから弾かれたスプーンがマグカップにぶつかって音を立てる。

「なかなか溶けないね」

 みのりがすくい上げた飴玉は、いくらか小さくなってはいるものの、たしかにまだしっかりと形を保っていた。みのりは、飴玉をすくっては沈め、沈めてはスプーンにすくうのを繰り返す。

「そりゃあ、飴だしなぁ」

 雅人もつられて、自分のマグカップの底に沈んだ飴玉をすくい上げてみた。

 夏場のドロドロになったそれとは違い、透き通ったハチミツ色の飴は、溶けかけだというのにおいしそうだった。

「なんか、そのままでも美味そう」

「それはまあ、本来はそのまま食べるものだからね」

「それもそうか」

 雅人は言いながら、自分のマグカップに口を近づける。軽く吹き冷ましたミルクを口に含むが、ただの牛乳の味だった。

「うーん、思ったよりも……」

「そうだと思うよ! なんでもう飲んでしまうかな」

「いや、溶けるの待ってたら冷めそうで」

「せっかちだなぁ、もう」

「ごめんて」

 すねたように頬をふくらませるみのりに謝り、再びマグカップの中身をかき混ぜる。だが、いくらも経たないうちに飽き、けっきょく溶けきらない飴をスプーンですくって口に放り込んだ。

「あ、これ美味い」

 ハチミツ味の飴に絡まったミルクの風味が、ほんのりと口に広がる。口の中で飴を転がしながら、まだ熱いミルクをすすった。

「まあ、君がそれでいいなら、何も言わないけどね」

 そう言うが、みのりは物言いたげな目で雅人を見る。明らかに不満げな様子で、口を尖らせていた。

 雅人は、すでに小さくなっていた飴玉を、ころころと口の中で転がす。

「そろそろ模試なんだって」

 マグカップの中身をかき混ぜていたみのりが、こぼすように呟いた。

「塾の子たち?」

「そう。だから、対策で自習室に残っている子が多くて」

「へえ」

「それで、僕も居残って、話が弾んでね」

「ホットミルクの話?」

 雅人は、ミルクを飲みながら相づちをうつ。

「そうそう」

 みのりはくすくすと笑った。

「初めは、勉強中に飲む飲み物の話だったんだ。夜、寒くなってきたから、何がいいかって」

「ああ、そういや寒いな、最近」

 雅人が「寒くないか?」と尋ねると、「大丈夫」と笑い含みの返事が返る。

「君は、寒い時に何を飲む?」

「何、って……」

 訊かれ、雅人はふむと考えた。

「なんだろ……適当に、その時の気分で、かなぁ」

「なるほど」

「みのりは? 何かあるのか?」

「僕は、ココアかな。最近は、だけど」

「なるほど。残念ながら、今うちにはない」

「さすがにこれには入れないからね?」

 罰ゲームじゃないかと口を尖らせるみのりに、今度は雅人がくすくすと笑う。

「案外美味かったりして」

「僕は試さないよ?」

 ミルクをかき回すのを忘れているのか、みのりは手を止め、両手でマグカップを包むように持つ。まるで雅人から庇うようなその仕草がかわいく見え、雅人は思わず、ミルクを飲むふりをして顔を背けた。もともと笑っていたとはいえ、にやけているところは見られたくないものである。

「まったく……」

 雅人の思惑にはかまわず、みのりはスプーンでミルクをすくう。

「溶けた?」

「たぶん」

 雅人の問いに曖昧に頷き、おそるおそるマグカップに口を近づける。思ったよりも冷めていたらしく、ぐいっと傾けて、中身を口に流し込む。

 雅人は、一足先に空になったマグカップを机に置き、その様子を眺めていた。

「ん、おいしい」

「それはよかった」

「ふつうに、ハチミツミルクの味だ。少し甘めの」

「へえ?」

 味見、と雅人が手を差し出すと、みのりは呆れた視線をくれた。

「君、自分の分は飲んでしまったんだろう?」

「いや、だから、ちょっと味見」

「だめだよ」

 わざとらしくマグカップを雅人から遠ざけ、みのりは悪戯っぽく笑いかける。

「堪え性のない、君が悪い」

「堪え……!? あのな!?」

 思わず、「意味をわかって言ってるか!?」と問い詰めかけるのをなんとか抑え、雅人は宙を仰ぐ。おそらく、雅人の言いたい意味をわかっていないのだから、たちが悪い。

 それとも、言って聞かせるべきなのだろうか。

 自分がいつも、どれだけ紳士的に接しているのかを。

 楽しそうに笑いながらマグカップを傾けているみのりを眺めていると、それもバカらしくなる。雅人は盛大にため息をついた。

「もー日付変わるんですけどー?」

 半ば投げやりに言う雅人に、みのりはのんびりと「もうそんな時間か」と答える。しゃあしゃあと、とでも言いたくなる口振りに、雅人は机に突っ伏す。

「こんな時間に一人で帰すの嫌なんですけど」

 ぼやくように言う雅人の顔を、みのりがのぞき込んだ。

「じゃあ、今日は泊まっても?」

「……どーぞ」

 みのりはふっと笑い、「ありがとう」と言った。そのまま身を起こし、ミルクの残りを飲み干す。

 その腕を掴んで押し倒してしまわない理性を、堪え性と言わずに何と言うのか。

 雅人は突っ伏したまま、何度目かのため息を吐き出した。

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