第12節 どうか、安らかに
精霊樹の神木の元へとやって来る。
そこには、沢山の精霊と、森の動物たちの姿があった。
クマまで居たので一瞬身構えるも、すぐにクロエが「安心せえ」と声を出した。
「わしが呼んだんじゃ。襲っては来ん」
「呼んだって、いつの間に?」
私が尋ねると、クロエはフフンと得意気な顔をする。
「何と言っても言の葉の魔女じゃからな。理を通じて語りかける何ぞ朝飯前じゃ」
クロエはそっと神木を見上げると、優しく手を触れた。
「それに皆、見届けたいんじゃ。ずっと森を支え続けた、この樹の最期を」
その姿は、愛する家族に語りかけているようにも見える。
慈しみと、愛情と、感謝と。
沢山の想いが込められているのが分かった。
すると「ねぇ、ズベリー」とソフィが声を掛けてくる。
「余命はどうなったの。あまり時間はないはず。こんなことしてる暇あるの」
「うん、たぶん大丈夫」
「どうしてわかるの」
「今までだって、ずっとそうだったから」
私が言うと、ソフィは真剣な顔でこちらを見てくる。
「今まで、遠回りに見えることが、私に沢山の物を与えてくれた。だから、これも同じだって思うんだ。今やるべきことをやってたら、その先に追い求めたものが待っているような気がする」
「ズベリー……」
私は彼女を安心させるため、ニカッとイタズラ小僧みたいな笑みを浮かべた。
「見ててよ、ソフィ。私、こう見えても、今まで沢山涙を集めてきたんだから」
世界中を回って、何となく感じていた。
自分が大きな運命の流れに誘われているということを。
たぶん、私が余命を宣告されたあの日からずっと。
助かりたいって気持ちはもちろんある。
でも、それ以上に。
この運命の流れの先に待つものを、私は見届けたいんだ。
「それでメグ、樹を見送るとウヌは言ったが、具体的にはどうする気じゃ?」
「うん。この樹の中に眠る精霊を理に還す。そうすれば、また新しい精霊として、この世に生まれてくれるはずだから」
「古い魔女が行ったと言う精霊の追悼か」
「でも、ちょっと疑問もあるんだ。クロエ、この規模のサイズの樹の精霊が消えた場合って、どうなると思う?」
尋ねると、クロエは難しい顔をして「ふーむ」と顎に手を当てた。
「わしもこの規模の樹木の精霊の死に遭遇したのは初めてじゃ。
「そっか……」
木霊憑きをしていた時のことを思い出す。
私が精霊だった時に体感した時の流れは、とてもゆっくりに感じられた。
自分では一週間程度のつもりなのに、実際には何年も経っているような感じだ。
人と樹の時の流れは違う。
だから、死に向かうといっても、何百年もかかるのだろう。
長く生きてきた樹であれば、なおさらだ。
精霊は動物とは違う曖昧な存在だ。
個々が別れているように見えて、実は理という根源的な部分で繋がっている。
だから、この神木の精霊が死んだとしても、理をめぐる限り、その魂は受け継がれるんだ。
私は皆の顔を見た。
「やろう。ここに居る皆の想いを、私が魔法にするから」
○
「言われた通り動物たちや植物、精霊たちに語りかけたぞ。これで皆が神木に想いを募らせるじゃろう」
「ありがとクロエ」
「ラズベリー、こっちも配置についたよ」
「ズベリー、私も」
「わ、私も着きましたぁ」
「ホウホウ」
「キュウキュウ」
「みんな準備オッケーだね」
ソフィ、ベネット、ウェンディさん、それにシロフクロウとカーバンクル。
私たちは神木を囲むように六芒星の位置に立っていた。
神木は視界に全体を収めるのが困難なほど巨大な樹だ。
そんな樹に魔法を掛けるなら、協力者は必要不可欠だった。
こうして均等な位置に立ってもらったのも、この巨大な樹に力を均等に巡らせるためだ。
「じゃあ、始めよっか。ソフィ、魔法陣の展開をお願い」
「わかった」
私の合図と共に、ソフィがサッと手を横に振る。
すると大きな光の線が生まれ、私たちを結ぶように六芒星の魔法陣が生まれた。
相変わらずの早業だ。
「ウェンディさん、お願い!」
「は、はぁい!」
次にウェンディさんが目を瞑り、魔力を巡らせていく。
七賢人の影武者とだけあって、彼女の魔法の扱いも相当なものだ。
ウェンディさんの操作で私たちの立つ地面に周囲に存在していた魔力が集い、足元に輝きが生まれる。
周囲の光が損なわれ、まるでここだけが別世界になったようにも見えた。
魔力反応だ。
私はベネットに目配せする。
言葉などなくても、ベネットは頷き、そっと樹に手をかざした。
すると、地面に集まった魔力が、神木の中に流れ込み始めた。
足元の光も神木に流れ込み、やがて神木は輝きに包まれる。
精霊を還すための準備が、これで整った。
あとは、魔法を発動するだけだ。
私は静かに目をつむる。
どこからか、心臓が脈打つような、鼓動音を感じた。
その音に、そっと意識を向ける。
音をたどると、そこに大きな光があった。
じんわりとした暖かさを持つ、不思議な光。
だけどその輝きはどこか弱々しくて、今にも消えそうだ。
これが、この神木に宿る精霊か。
今まで見たこともないほどの、圧倒的な大きさ。
その気配に触れ、すぐに気がつく。
シラタマだ。
かつて世界を旅した、神木の精霊。
魔法の始祖と呼べる二人とともに、沢山のものを見て、聞いて、学んだ。
そしてシラタマは、多くの者たちの生きてきた日々を支えた。
雨の時も、風の時も、雪が降った時も。
この神木は動物や精霊たちと共にあった。
その偉大な精霊は、今、眠りにつく。
「お疲れさま」
私はシラタマに向かって語りかけた。
「どうか、安らかに」
瞬間、神木が大きな輝きに包まれ、私は目を開いた。
どこからともなく「おぉ……」と感嘆の声が上がる。
神木の葉が、枝が、幹が、黄金の光に包まれ、半透明に輝いていた。
そして、輝きの中から、一つの光が飛び出てくる。
神木から、
飛び出た光は、四方に爆ぜ、弧を描いて地面に吸い込まれる。
理の中に、精霊が還ったのが分かった。
精霊の気配が消えると。
やがて神木を包んでいた光も元に戻った。
「……終わった」
私は呟いた。
そう思った時だった。
不意に、ビンが震え始めたのは。
ポチャリ。
ポチャリ、ポチャリ。
ポチャリ、ポチャリ、ポチャリ。
涙だ。
何粒も、何粒も、涙がビンに流れ込んでいる。
何が起こっているのか分からず、顔を上げる。
すぐに気がついた。
精霊たちが、涙を流している。
居なくなったシラタマを想って。
この森を生んだ、母なる樹に感謝して。
沢山の生き物が、涙を流していた。
精霊たちが涙を流すと、鈴を響かせたようなリーンという音が辺りに響いた。
涙は輝きに満ち溢れ、そしてこの空間を美しい音で染めていく。
まるで、奇跡みたいな情景だった。
――メグ。
不意に、音に混ざって、かすかな声が聞こえた。
誰かが私を呼んでいる。
不思議に想い辺りを見渡すと、シラタマが浮かんでいた場所に、手のひら大の光の玉があった。
その光は、ゆらゆらと揺れながら、私の元に落ちてくる。
皆にも光の玉は見えているらしく、全員が固唾を呑んで状況を見つめていた。
そっと潰さないように、私は目の前に落ちてきたその光を両手ですくい上げる。
「……これは、シラタマの核?」
――メグ。一緒に。
また、声が聞こえる。
「一緒に来たいの? シラタマ」
尋ねると、光の玉は肯定するように震えた。
私は光を、そっと自分の心臓に押し当てる。
何の抵抗もなく、潰れることもなく、光は私の身体に取り込まれ、一つになった。
刹那、全身が大きな水の流れに飲まれるような感覚があった。
濁流に流され、それと共に記憶が流れてくる。
沢山の土地を巡った、旅の情景。
会話する、二人の魔導師の声。
そして、その記憶の奥底にある、誰かの願い。
それらの記憶の情景が過ぎ去った時。
また森に、静寂が戻ってきた。
精霊たちの涙は止まり、全員が呆然と私を見ている。
「ラズベリー、今のは……」
ベネットが、私に近づいた。
私は、彼に頷く。
「シラタマだと思う」
私は神木を見上げる。
「かつてシラタマと呼ばれた、神木の精霊。私はシラタマで、シラタマは私だった。だから、一つになったんだと思う」
すると驚いたようにクロエが目を丸くした。
「死にかけの精霊が、メグの魂に宿ったということか?」
「たぶんね。でも、全部じゃない。私に宿ったのは、シラタマの核だけ。シラタマの核と、そこに存在していた誰かの願いが、私に宿ったんだ」
「誰かって誰じゃ?」
「――イヴ」
私は、その願いの主の名を口にした。
「シラタマの核にはイヴの願いが宿ってたんだ」
その言葉に、ベネットは「信じられない」と呟く。
「どうしてそんなことが……?」
「たぶん、命の種だと思う」
私は先程受け取った願いを思い出してみる。
「イヴは過去で精霊の森を生み出した時、意図せず祈りを込めていた。それが、命の種を使った時、樹に宿ったんだ」
今ならわかる気がする。
私が木霊憑きでシラタマという精霊になったのも。
シラタマが私の魂に宿ったのも。
命の種と共に宿っていたイヴの願いが起こしたことだったんだ。
「ラズベリー、イヴが込めた祈りって、何だったんだい?」
「正確には分からなかったけど、心当たりはあるよ」
イヴが精霊樹を生み出す前。
彼女は、シラタマである私を手に乗せ、語りかけたことがあった。
「ねぇシラタマ、一つだけお願いがあるんだけどさ。もし私が死んだら、ベネットをよろしくね」
どうしてそんなことを言うんだろう。
私はそう思っていると、こちらの考えを呼んだかのようにイヴは続ける。
「ほら、ベネットって私のこと大好きじゃん。それに優しいし。だからきっと彼は、私がいなくなると何か無茶しそうな気がするんだよね」
そう言って、イヴは少しだけ寂しそうな顔で遠くを見る。
「見ていてあげて、彼のこと。それでいつかもし、シラタマが彼に話すような機会があるなら――」
――彼の理解者になってあげてほしい。きっと独りで寂しがってるから。
その言葉を口にした時、ベネットは全身の力が抜けたかのように、その場にしゃがみ込んだ。
私はその背中に語りかける。
「イヴはずっと、ベネットのことを気にかけてた。だから、遠い未来の果てで、ベネットの知り合いが誰も居なくなってしまったとしても、ベネットのことを分かってあげられる人を望んだんだ」
――ベネットの理解者になってあげて。
イヴのその祈りは、彼女が過去で命の種を使った時、神木に宿った。
その神木に、私は未来で木霊憑きを行い。
過去と繋がった私は、神木の精霊と同化し『シラタマ』となった。
シラタマは私が抜けた後、神木へと戻り。
そして時を超えて、また私の元へと還ってきた。
巡り巡る、果てしない想いは、ここに繋がったのだ。
「……相変わらず彼女は、とんだお人好しだ」
呆れたように、ベネットは笑う。
「イヴへの約束を守って、何千年も生きてきた。辛くて、自分が過去にした誓いが呪いみたいに感じた時もあった」
「ベネット……」
「ラズベリー、呪いも約束も、ある意味では同じかもしれないね。それでも彼女が好きだから、僕はこうして生きて来られた。イヴの残したものを見届けるという想いがあったから、僕は術を解かず、命の種も僕を生かし続けてくれたんだ。そして生きてきたから、僕は君に会えた」
ベネットは、私をまっすぐ見つめてくれる。
「出会ってくれてありがとう、ラズベリー」
「……うん」
私はそっとしゃがみ込むと、ベネットの両頬を手で包んだ。
「ねぇベネット、今から私が伝える姿になってもらって良い?」
「あぁ、構わないよ」
「三十歳くらいで、髪は少し長い金髪。目元はハッキリしてて、背丈は私の一頭心くらい上。口角が上がってて、鼻筋はスッと通ってる」
私が言うと、彼はその通り自分の外見を操作した。
出来上がった彼の顔を見つめ、私は満足して頷く。
「うん、出来た」
「ラズベリー、これは一体何なんだい?」
「それが、本当のベネットの姿だよ」
ベネットの動きが止まる。
「ベネットが本当の姿を忘れてしまっても、これからは私が覚えててあげる」
ベネットは一瞬だけ泣きそうな顔をすると、私のことを抱きしめた。
私は彼の背中に、そっと手を回す。
「ベネット、私も同じ気持ちだよ。出会ってくれてありがとう」
「ああ……」
抱きしめていたから、彼の表情は分からなかった。
でもきっと、ベネットは泣いていた。
何故なら、彼の頬を伝った涙もまた。
ポチャリとビンにこぼれ落ちたのだから。
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