第10節 始祖の記憶⑤
イヴの埋葬を終えてまもなく、ベネットは村を出た。
私もまた、その背中を追った。
もう
それでも良いと思った。
木霊憑きという儀式が終わりの時を迎えるまで、彼の姿を見届けたかった。
ベネットは、かつてイヴと旅した場所を巡り、彼女が伝えた魔法の教えがどうなったかを見て回った。
魔法を磨き、新しい魔法を考えては、また旅をする。
これまでと同じことを、彼は独りで続けた。
口うるさくてにぎやかな相棒は、もう居ない。
イヴの居ない旅路は、とても静かだった。
「やっと着いた……」
数年ぶりに彼が足を運んだのは、かつて二人が救った、魔女の老婆が住む村だった。
「十数年ぶりだな。みんな元気にしてると良いけど」
しかし、村に足を運んだベネットは、言葉を失った。
彼が見たのは、すっかり焼かれ、滅びた村の光景だった。
その情景は、焼き滅ぼされた彼の故郷ととても良く似ていた。
「一体何が……」
ベネットは、おぼつかない足取りで村の中に足を踏み入れる。
村の真ん中にある大きな広場に、何本もの柱が建てられていた。
大の大人を吊るせそうな、大きな柱が何本も。
柱には、人を焼いた跡と思しき焦げ目がついていた。
「あの、もしかして旅の方ですか?」
不意に背後から声を掛けられ、ベネットは振り返る。
そこに、どこか見覚えのある女性が立っていた。
五歳くらいの、小さな女の子を連れている。
「ここには何もありませんよ。焼かれて滅んだ村の跡地だけです」
「……ここで何があったんだ?」
「虐殺です」
「虐殺?」
「昔、この村では魔法という術が使われていました。とても素晴らしい、人の暮らしを豊かにする術です。ですが、その術を悪魔の技だと恐れた人々が大勢で押しかけ、村の術者を一人ずつ焼き殺したのです」
「じゃあ、ここに住んでいた村のみんなは……?」
「半数以上が死にました。今は生き残った人たちで寄り添って、何とか暮らしています」
「あのおばあさんも、亡くなったって言うのか?」
「おばあさん?」
「魔法を使う、森で暮らしていた老婆だ」
「どうしてそれを――」
そこで女性はハッと表情を変え、驚いたように口元を手で抑えた。
「あなた、ベネット……?」
「驚いたな、覚えている人がいるなんて。君の名前は?」
「ティア」
それは、イヴが魔法を教えた、あの少女の名だった。
ティアが連れてきてくれたのは、かつて老婆が暮らしていた森の家だった。
この辺を集落にして、助かった村人で暮らしているらしい。
「それにしても信じられない。またあなたに会えるなんて。イヴは一緒じゃないんですか?」
「イヴは……」
ベネットは一瞬言い淀むも、迷いを払うように首を振った。
「死んだんだ。身体を弱らせて、そのまま亡くなった」
その言葉に、「そんな……」とティアは表情を強張らせた。
今にも泣きそうな顔をしている。
「彼女はずっとこの村のことを気にしていた。だから、僕が代わりに様子を見に来たんだ」
「イヴが死んだなんて……残念です。もっともっと、沢山魔法について教えてほしかったのに」
「魔法? 君はまだ、魔法を使ってるのか? あんな酷いことをされても?」
すると、ティアは「はい」と頷いた。
「私だけじゃありません。生き残った人たちは、イヴの教えを今も受け継いでいます。だから私たちは生きていられるんです。魔法は素晴らしいものだって、私たちはもう知っていますから」
「そうか……」
ベネットは穏やかな笑みを浮かべた。
多分彼は知ったんだと思う。
イヴがやってきたことは、確かに受け継がれているのだと。
「ねぇ、ベネット。もし良かったら、私たちに魔法について教えてくれませんか?」
「……あぁ、もちろん」
ベネットは何かを決意したように頷いた。
「彼女が世界中に撒いた種を、僕が育てないとね」
○
それから、どれほどの時が経ったのだろう。
何百年、何千年と、時は流れた。
長い長い時の中で、ティアたちの居た集落は無くなってしまったけれど。
イヴの教えだけは、人から人へ受け継がれ、途切れることなく続いた。
ベネットは、その後も世界を巡り、イヴの教えを追った。
そして、魔法に対する差別や恐れが悲劇を起こさぬよう、魔法を普及させ続けた。
何千年も時が経つ中で、ベネットは自分の姿を偽るようになった。
ある時は若者として、ある時は老人として。
自分が不死の存在であると、知られぬよう努めたのだ。
そしていつしか、彼は自分の本当の姿を忘れていった。
魔法は時の流れと共に進化し形を変える。
ベネットの活動に同調する者も現れ、やがて世界に魔法は根ざした。
イヴが世界に広げた感情の魔法は、魔法がどんどん学問に近づくにつれ廃れ始めた。
ただ、西欧地方のティアの流派だけは、純粋な感情の魔法を残し続けた。
「ねぇ、ベネット」
ある日、ベネットは一人の魔女に名を呼ばれる。
シェリルという名を持つ、小さな学校を営む年老いた魔女だった。
彼女は感情の魔法を受け継ぐ
「どうしたんだい、シェリル」
夕陽が街を茜色に染める、暖かい日だった。
シェリルは庭で遊ぶ子どもたちを眺めながら、庭の椅子に座り、穏やかな表情を浮かべている。
彼女のすぐ傍には、老人姿のベネットが立っていた。
「私はもう長くない。自分の人生に不満はないけれど、心残りが一つあってね」
「何だい?」
「一人だけ、心配な子がいるの。他の子は大丈夫だと思う。みんなきっと、家庭を育み、子を養い、愛を知るわ。でもその子だけ、今も孤独を抱えているから気掛かりで……」
「その子の名前は?」
「ファウスト」
思わぬ名に、心臓が高鳴る気がした。
木霊憑きを行い、ベネットと歴史を歩んで数千年。
私は初めて、お師匠様の名を聞いた。
「ファウストは幼い頃に両親に捨てられた子なの。私は家族として、出来る限りあの子に寄り添った。でも、私が居なくなったら、またあの子は独りになってしまう。だから、力になってあげて」
「わかった。出来る限りの手助けはしよう」
「ベネット……ファウストはとっても優秀な魔女になるわ。きっと、あなたに負けないくらいにね。私が学んだ魔法の教えは、あの子に全て託してきた。道を間違わなければきっと、正しい魔法の教えを伝えていける」
「君が繋いだ教えを、僕もファウストと共に守っていくよ……」
そして、約数百年の後。
お師匠様は、長らく誰も生み出せなかった命の種を生み出した。
「ファウスト、その種を飲めば君は僕と同じ身体になる。だが若い頃に種を飲んだ僕と違って、君は年老いた姿でずっと生きねばならない。それでもいいのかい?」
「ああ、構わないよ。私が先生の教えを絶やすわけにはいかないからね。受け継ぐより、私が直接未来まで運ぶのが手っ取り早いだろう」
「……そうか、ありがとう」
お師匠様の真っ直ぐな眼差しに、ベネットはただ頭を下げた。
「ベネット、いつか話してくれたね。時代を変える魔女の話を」
「あぁ」
「私は何百年も掛かって千粒の嬉し涙を集め、お前の言う命の種を生み出した。だが、それで分かったのさ。私は時代を変える魔女にはなれないと」
「どうしてそう思うんだい?」
「時代を変える魔女は人と繋がる。でも私には、その力はない」
お師匠様は寂しい顔をした。
「ただ、時代を変えられずとも、出来ることはある。届けるんだ。正しい教えを、持つべき者に。何年かかろうが、やり遂げてみせる」
「それなら、僕も付き合うよ」
ベネットは顔を上げた。
「君が繋ぎたいと思っているものは、僕が繋ぎたいものでもあるからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます