第9節 始祖の記憶④

「どうするつもりだい、イヴ?」


翌朝。

まだ日も昇らないうちから、私たちは始まりの樹の元に来ていた。

真剣な表情で、朽ちかけた樹と対峙するイヴに、ベネットは尋ねる。


「もし私たちのやって来たことに意味があるのだとしたら、やっぱりこの種なんだと思う」


「その種で、何が出来るんだい?」


「わからない。でも、喜びの涙は強い力でこの土地を回復させてくれた。だから、沢山の涙が結晶となったこの種は、何か奇跡を起こせるかも」


「なるほどね。確かにその可能性はありえるかもしれない。でも、どうやって使おうか。埋めれば良いのかな」


「どうだろ……種子とは違うから、埋めるだけだと意味がないかも。やるなら、この土地と樹に流れる力に働きかけるべきだと思う」


「生命力を底上げするということか」


「うん」


イヴは樹にそっと手を触れる。

その瞳は優しく、大切な友人を前にしているようだった。


「もう一度始めよう、この場所を。私たちが受け取った沢山の人の想いと、私たちが学んだ技術をここに集わせて、奇跡を起こそう」


すると、イヴの手のひらに乗っていた命の種が、強く強く輝き始めるのが分かった。

イヴの言葉に呼応している。

いや、言葉に宿った、イヴの意志に呼応していた。


「大切な人たちの笑顔を思い浮かべて、みんなの気持ちをここに集める。私たちが歩んだ日々と、これからの未来の可能性を、ここに集わせるんだ」


種から、虹色の光が放たれる。

服がはためき、砂埃が舞った。

中心に立ったイヴは目を瞑り、心を込めて唱える。


その一節を。


「巡れ」


刹那。

命の種が砕け散り、大きな大きな光の波紋が広がった。


波紋は消えることなく地面を撫で、周辺を照らし出す。

すると、波紋が通った場所に草が生えた。

次に、焼け焦げた木々が新たな芽を出し、圧倒的な速度で成長していく。


何より大きな変化したのは、始まりの樹だ。

始まりの樹は幹をたちまち太くし、枯れかかっていた葉を鮮やかな新緑に染めたのだ。


焼け野原となっていた場所が、たった一つの光の波紋で、緑豊かな森となった。

姿の見えなかった精霊たちは大地から再び姿を見せ、乾いた大地に潤いが戻り。

光の波紋は遠くまで広がり、荒廃した大地にふたたび命の息吹を宿す。


それは、命の種が生み出した、生命の胎動だった。


「すごい……」


ベネットが目の前のあまりの情景に感嘆の声を出す。

イヴ自身も驚きの表情を浮かべていた。

二人の瞳には光が宿り、キラキラと輝いて見える。


「ベネット、これって、私がやったの?」


「そうだよ、君がたった今、あの種を使ってやったんだ!」


「ウソぉ!?」


「無自覚でやったのかい?」


「いや、何となくそうなれば良いなぁ、くらいには思ってたけど」


「まったく、君って人は……」


ベネットは呆れたように肩をすくめると、やがてたがが外れたようにクックックと笑い出した。

釣られてイヴもお腹を抱えて笑い始める。

二人はしばらく、ただただ大声を上げて笑っていた。


「やったよ、シラタマ。私、すごいでしょ?」


イヴはいつもの得意気な顔を私に向けた。


「見てよこの樹。何だか特別な力を感じない?」


イヴは始まりの樹に触れる。

彼女に倣って、ベネットも樹に触れ、静かに目を閉じた。


「とても強い力を感じるね。生命の原動力のようなものを」


「でしょ? しかもね、どうやらこの樹、シラタマの仲間を沢山生んでるみたいなんだ」


「シラタマは土地が豊かになったら生まれるって言ってたけど、樹から生まれるのかい?」


「いや、分かんない。でもこの樹は、何だか特別な気がする。きっとこの森を成長させる役を持ってるんだと思う。豊かで、美しい場所にするために」


「そんなことが――」


そこでベネットは言葉を飲み込み、いつもの笑みを浮かべた。


「いや、君が言うなら間違いないんだろうね」


「でしょ?」


すると、イヴは腰が抜けたようにその場に座り込んだ。

ドサリと大の字になって、豪快に寝転ぶ。


「何か大仕事したせいで力が抜けちゃった」


「お疲れ様」


「ねぇベネット」


「ん?」


「久しぶりにおんぶしてよ。ほら、子供の頃みたいにさ」


「ええっ!?」


ベネットは顔を真っ赤にして狼狽する。

そんな彼に、イヴは「ダメ?」と小首を傾げた。


「ダメじゃないけどさ……僕も一応男ってことを忘れないでくれよ」


「ベネットにしか頼まないよ」


「光栄だね」


ベネットにおぶわれながら、イヴは豊かになった森に目を向ける。

そして、愛しそうに目を瞑ると、ベネットの背中にひっついた。

少しだけドキッとしたあと、ベネットはすぐに表情を正す。


そんな彼を見て、イヴはそっと目をつむった。


「ねぇ、ベネット。私たちの旅さ――」


「何だい?」


少しの間のあと。

イヴは「ううん、何でもない」と思い直したように首を振った。


「今度はどこ行こっか」


「南の方なんて良いかもしれないね。まだあまり足を運べていない」


「良いね。でも、遠いけど良いの?」


「君となら、どこにでも付き合うよ」


「嬉しいこと言ってくれるじゃん。でも、その前にちょっと休みたいな」


「ずっと旅してたからね。何か美味しいものでも食べようか。たくさん食べてゆっくりすれば、すぐに元気になるはずだよ」


「うん……そだね」



しかし、その日を境に、イヴはどんどん衰弱していった。



長い旅で弱っていたのかもしれない。

大魔法に耐えられなかったのかもしれない。

流行病だったのかもしれない。


でも、とうとう理由はわからなかった。


どんな魔法を使っても、どんな治療を試しても、彼女を回復させることは出来なかった。

日毎イヴの身体はやせ細り、顔は青ざめ、命の灯火は弱くなっていった。


そんなイヴを、毎日ベネットは懸命に看病し続けた。


「ごめんね、ベネット……」


ある日、イヴはベネットに語りかけた。


集落の寝床で、横たわったイヴにかつての美しい面影は残っていなかった。

今にも消えそうなほど、彼女は弱っていた。


誰が見ても、もう長くないことは明白だった。


「どうしたんだい? 急に」


「もっと一緒に旅をしたかったのに、あなたを一人にしてしまうから……」


「縁起でもないこと言うなよ。大丈夫、良くなるさ」


「ねぇベネット、手が冷えるの。握ってもらってもいい?」


「ああ、もちろんだよ」


ベネットはイヴの手を優しく両手で包む。

その温度を感じたイヴは「温かい……」と嬉しそうに呟いた。


「ベネット……私ね、一つ気づいたことがあるの」


「何だい?」


「あの種は、人の命を延ばす力を持ってる」


その言葉に、ベネットは驚いたように目を見開く。


「本当かい!? それなら、あの種をもう一つ生み出せば、君は助かるんじゃ……!?」


「ダメなの」


「何故!?」


「あの種に触れて分かった。あの種は、たしかに人の命を延ばす。何百、何千……ひょっとしたら、不老不死にだってなれるかもしれない。だけど、あの種は人の想いで――感情で出来てる。だから、死を受け入れた人間には、効果を発揮しない」


「君は死を受け入れたっていうのか?」


イヴは頷く。

そんな彼女に「どうして!?」とベネットは叫んだ。


「まだまだやりたいことがたくさんあるって言ってたじゃないか! 魔法を知った人たちがどんな風に変わっていくのか見届けたいって!」


「うん……確かに言った。でもね、ずっと心のどこかで、考えてたんだ……。普通の女性として結婚して、子供を作って、家族と一緒に当たり前に生きて、死ぬ人生が私にもあったのかなって」


イヴは天井を見上げる。


「ずっと……心のどこかで、当たり前に生きて死ぬことを望んでた。だから、体がどんどん弱って、私、死ぬんだなって思った時、何故だかホッとしてたの。役割が終わるって思って、死を受け入れてた。だから、今の私に、あの種は力を貸してくれない」


「君らしくない! そんなの、やってみないとわからないじゃないか! いつも君が言ってた言葉だ!」


ベネットは何度も何度も首を振って、必死にイヴの言葉を否定する。

そんな彼を見て、イヴの瞳に涙が浮かんだ。


「ごめんねベネット。私、あなたのそばにいてあげたかった。でも、もう出来なくなる」


「嫌だ! お願いだ、逝かないでくれ……イヴ……」


ベネットはイヴの手を握りしめて、子供のように泣きじゃくった。

涙はとめどなく溢れ、クシャクシャの顔で、必死にイヴの手を温める。

そうすれば彼女が助かると信じているように。


しかし、ベネットにも分かるほど、イヴの手は冷たくなっていた。


「もう……本当に泣き虫だなぁ」


イヴはベネットの顔にそっと手を当てると、優しい眼差しを浮かべた。


「優しい顔、温かい手、穏やかな声……」


噛みしめるように、イヴはそっとベネットの顔を撫でる。


「私、ずっとずっと好きだったな」


そしてイヴは一筋の涙と共に、静かに目を閉じた。


 ○


イヴの遺体は、集落の近くの墓地に埋められた。

亡くなった彼女の家族と一緒だった。


イヴが死んで、ベネットはただ呆然と、イヴの墓標を眺めていた。


「君が居なくなったら、僕はどうしたら良いんだ……」


ベネットは、まるで抜け殻のように歩き、何気なく彼女を看取った場所へと戻ってきた。

そこで彼は、見覚えのある物を見つける。


「イヴの鞄?」


救いを求めるように、ベネットは鞄の中を開く。

そこに、いくつかの生活用具と、木の皮で作られた、小さな袋が入っていた。

何気なく彼は、その袋を開いてみる。


「これは……」


中に、半透明の、虹色に輝く種が入っていた。

命の種だった。


「どうしてこれがここに? だってイヴは一粒しか作ってないのに」


そこで、ベネットは何かに気づいたようにハッとした。

私も思い出す。


初めてイヴがベネットの前で命の種を生んだ時。

彼女はまるで結果を知っていたかのような素振りを見せていたことを。


それは、過去に一度からじゃないか……?


「はは、イヴ……君って人は。いっつも僕を驚かせる」


呆れ笑いを浮かべたあと、ベネットは命の種を眺めた。


「イヴ、君は言ったね。魔法を知った人たちがどんな風に変わっていくのか見届けたいって。この種が、もし本当に人の命を永らえさせるのなら……何年経っても、君が守ろうとしたものの行く末を、僕が見届けるよ」


ベネットはその誓いと共に、再び眼に光を宿す。

彼が飲み込んだ命の種は、彼の魂に深く深く根付いた。


「無茶なのはわかってる。でも、君の無茶に答えるのが、僕だから」


顔を上げたベネットの瞳には、確かな光が宿っていた。



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