第8節 始祖の記憶③

二人が旅に出てから、ずいぶん長い時間が経ったように思えた。

だが、何の交通機関もなかった時代を考えると、彼らが海を渡り、世界を旅した期間としては、短すぎるぐらいだったのかもしれない。


「久しぶりに戻ってきたね。村の様子はどうなってるかな」


「きっともう森も広がって、緑が豊かになってるはずだよ」


「だよね! シラタマの仲間も増えているかもよぉ?」


イヴは私にイタズラっぽく微笑みかけた。

久しぶりの帰郷だからか、二人の表情も緩んでいる。


「今日は久しぶりにごちそうが食べられるかもね、ベネット!」


「期待しておくよ」



しかし、そうはならなかった。



「なにこれ……」


彼らが森についた時。

そこにあったのは、草木が焼け焦げた森の残骸だった。

残っていたのは、たった一本の樹だけ。

二人が植えた、始まりの樹だけだった。


だが、その樹ももう朽ちかけている。


「どうしてこんなことになったの」


「村に行こう、イヴ」


「うん!」


彼らは急いで、自分たちの故郷へと向かった。

そこで見た光景に、イヴとベネットは愕然とする。


「村が……」


広がっていたのは、森と同じく焼けて灰になった故郷の姿だった。

家が焼かれ、備蓄は全て消え失せ。

そこに、もう村と呼べるものは存在していなかった。


完全に焼けた様子からも、村が襲われたのはもうずっと前だと分かる。


「どうなってるんだ。盗賊にでも襲われたのか?」


「ベネット? おい、ベネットとイヴじゃないか!?」


声を掛けられ、二人は振り返る。

見覚えのある男性が立っていた。

村に住んでいた顔見知りの男性だった。


「二人とも見違えたな……生きてて良かった」


「教えてほしい。ここで何があったんだい?」


ベネットが尋ねると、彼はしばらく黙ったあと「戦争だよ」と呟いた。


「数年前、民族間の大規模な争いがあったんだ。それで、村の大半の人間が虐殺された」


「わ、私たちの家族は……!? みんな無事なの!?」


イヴが尋ねると、男性は力なく首を振った。


「残念だけど、みんな死んでしまった」


「そんな……」


失神しそうになるイヴを、ベネットが支える。

ベネットの顔も青ざめていたが、彼はどうにか平静を保ち、男性に尋ねる。


「生き残った人たちは?」


「集落を作ってなんとか暮らしてる。俺は使えそうな資材をこうして探しに来てんだ」


すると、何かを思い出したかのように村人はふと顔を上げた。


「そう言えば、お前らが大切に育てていた樹は見たか?」


「あぁ。あの森も酷いことになっていたね。幸い、あの樹だけは残ったみたいだけれど」


「残ったんじゃない。守ったんだ。お前たちの家族が。大切な子どもたちが生んだ樹だって」


 ○


男性に連れられ、私たちは避難した村人が集う集落へと足を運んだ。

生き残った人の中には、二人と同年代の友人の姿や、幼かった村の子供の姿もあった。

皆、この十年ですっかり歳を取り、大きくなっていた。


そこで初めて私たちは、歩んできた旅路の長さを実感した。


「ねぇ、ベネット……」


夜。

集落の中央に焚かれる大きな火を見つめ、イヴは膝に顔を埋める。


「私たちがやってきたことは、災いを呼ぶ行為だったのかな……」


「どうしてそう思うんだい?」


「だって、あの樹がなければ、父さんも、母さんも、弟や、ベネットの家族だって、みんな助かったかもしれない」


「そうかもしれないね。でも、もしあの樹がなければ、僕らは魔法と出会うことはなく、森に住むあの老婆を助けることは出来なかった。物事には二面性があるんだ」


「そりゃそうだけどさ……」


「イヴ、僕は世界を巡って一つ分かったことがあるんだ」


「なに?」


「この世界にはたくさんの文化や言葉や考え方がある。でも、どれだけ異なる地域に行っても、支配、争い、差別だけは、共通して存在しているということだ」


「無くすことは出来ないってこと?」


「ああ。豊かな暮らしをするために他者を支配し、安全を確保するために異物や他者を排除する。人間の本能に直結する感情なんだと思う」


「人は臆病で愚かなんだね。とっても醜い……」


イヴは、そっと私に手を伸ばす。


「ごめんね、シラタマ。人間が愚かで臆病だから、あなたの仲間は居なくなってしまった」


私は、イヴの指先に触れてみた。

この精霊の体では、イヴの体温はわからなかったけれど。

彼女の心の痛みが、伝わってくるような気がした。


「最初は、魔法を使えばもっとみんなが豊かに暮らせると思った。それが上手く行って、もっと学んで、広げようと思った。でも、みんなに魔法を伝えているうちに、私は一番守るべきものを失ってしまっていた」


イヴは、泣きそうな顔で唇を震わせる。


「分かってたつもりだったのに、全然分かってなかった。みんなみんな、死んでしまった。私たちがやって来たことって、何だったんだろう……」


「イヴ……」


落ち込んだイヴに、ベネットはなんと声を掛けるべきか迷っているようだった。

イヴは、希望を失っていた。

自分たちがやってきたことが、何の意味もなかったと感じている。


でも、少なくとも、私はそうは思わない。


私が見てきたベネットとイヴの旅は、沢山の人を笑顔にするものだった。

彼らに救われた人は、大勢居たはずだ。

だから彼らは千粒もの嬉し涙を集めることが出来た。



――嬉し涙?



私は、イヴの鞄に近づき、フヨフヨと左右に動いてイヴへ呼びかける。

気配を感じたのか、イヴは私に視線を向けた。


「どうしたの? 私の鞄に何かあるの?」


イヴは不思議そうに鞄を手にする。

すると、鞄が倒れて中の物が鞄から飛び出た。


「あ、やっちゃった……」


慌てて中のものを戻そうとして、イヴの視線がピタリと止まる。

イヴの視線の先には、命の種があった。



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