第7節 始祖の記憶②
「旅に出よう」
イヴがそう言ったのは、樹が成長し、彼らの育てた土地が豊かになり始めた頃だった。
突然の彼女の言葉に、ベネットは目を丸くする。
「どうしたんだい、急に」
「この土地はもう大丈夫だなって思った」
「そうかな、まだまだこれからな気もするけど」
「この数年で、私たちの術も少しずつみんなに伝えた。あとは任せて大丈夫だよ」
彼女たちの長年に渡る研究のおかげで、荒れ地は土地として回復を始めていた。
樹の周辺には私と同じ、白くて光る玉がたくさん集っている。
消えていた精霊が、土地に戻ってきたのだ。
イヴが旅を決意したのは、その情景を目の当たりにしたからだろう。
「でも、旅に出てどうするんだい?」
ベネットが尋ねると「決まってるでしょ」とイヴは言う。
「もっともっと術を発展させる。この術は無限の可能性をもってる。だから、研究しなきゃ」
「それって僕らがやること?」
「私たち以外にやる人なんていないでしょ」
ニシシと笑うイヴを見て、ベネットはそっと肩をすくめた。
「まったく、君って人は……。おじさんとおばさんには何て言うんだい?」
「事実のありのまま伝えるよ。私も二十過ぎて、とっくに嫁入りは諦められてるし、跡取りなら弟が居るしね。無駄飯喰らいの一人娘が居なくなって清々するって」
「そんなことないと思うけど。相変わらず君はめちゃくちゃだな」
「うるさぁい!」
「痛っ!」
バシン、といつものようにイヴはベネットの尻を蹴る。
それも今となっては同じみの光景だった。
「ベネットは来てくれる?」
「そんなの――」
ベネットは緩やかに笑った。
「言うまでもないだろ」
○
こうして、ベネットとイヴは土地を故郷の仲間に任せ、旅に出た。
私もまた、彼らに着いていくことにした。
精霊の群れから飛び出てイヴに近づくと、彼女は意外そうな顔をした。
「シラタマ、あんたは仲間の元に居なくていいの? 過酷な旅だよ?」
そうは言いながらも、イヴはどこか嬉しそうだった。
交通手段もない時代だ。
旅は、長く険しいものになると思われた。
しかし、魔法の始祖である二人の前では、それは杞憂だった。
新たな魔法を開発し、旅路をずっと楽なものにしたのだ。
空を渡る魔法を編み出し。
水源探知の魔法や、浄水の魔法を編み出して飲み水を確保する。
彼らはそうして魔法の可能性を高め、広く世界を巡った。
まさに、天才二人が揃ったからこそ可能なことだった。
旅の中で二人は、自分たち以外にも不思議な術を操る人間が居ることを知った。
土地によって言語や風習が違うことから、術のあり方は様々で、効果も性能も違った。
彼らはそれらを学び、より術を洗練していった。
旅を始めてわずか一年で、ベネットとイヴは西欧地方へとたどり着いた。
そして、道に迷っていた。
「ベネットぉ、ここどこぉ?」
「知らないよ。だから空を行こうって言ったじゃないか。無茶だよ、地図もなしに森を回るなんて。この辺りは狼や熊も居るみたいだし、自殺行為だ」
「だってぇ、たまには歩きたかったんだもん……」
その時、近くの草むらからガサガサと音がした。
突然の物音に、イヴは「ひえぇ!」と叫んでベネットに飛びつく。
抱きつかれたベネットは顔を真っ赤にしてドギマギしていた。
「あなたたち、何やってるの?」
草むらから現れたのは、一人の老婆だった。
「人の声がしたから気になって来てみたの。もうすぐ夜になるわ、こんなところを歩いていたら、危ないよ」
老婆は小さな村から外れた森の中に一人で暮らしていた。
散々森をさ迷い歩いたイヴとベネットは、老婆の厚意で家に泊めてもらうことになる。
「おばあちゃんはなんでこんな森に一人で暮らしてるの?」
「それは、魔法が原因だよ」
「魔法?」
「私はご先祖様から古い不思議な術を受け継いでいてね。そうした術を、人は魔法と呼ぶの。それが不気味だったんだろうね。村から出ていってくれって」
「悪いことしてるわけでもないのに、どうしてそんなこと言うんだろ……」
「魔は人を惑わす意味を持つ。未知の技術は、人の理解を超えるからね。僕らが使う術も、おばあさんが使う術も、普通の人には怪しい物に見えるのかもしれない」
首を傾げるイヴに、ベネットが悲しげな瞳を向ける。
しかし、そんな彼の様子を見ても、イヴは笑みを絶やさなかった。
「じゃあ私たちでさ、術――魔法だっけ? それをもっと広げようよ。今よりもっと魔法が身近になれば、未知じゃなくなる。人と魔法の使い手の距離は変わるはずだよ」
「そんなことができるの……?」
「任せてよ、おばあちゃん。私ら、こう見えても色々やってきたんだから」
その日から、ベネットとイヴは、老婆の元で暮らし始めた。
村が干ばつで苦しめば雨を降らせ。
土地が痩せれば魔力を用いて大地を回復させた。
大きな災害が近づけば魔法で村を守り。
困った人がいれば魔法で助けた。
そうして彼らは、魔法と人を近づけていった。
「ねえ、聞いてよベネット。昨日、村の子供が私に魔法を教えてって言ってくれたよ」
「大進歩じゃないか」
「ティアってとってもキレイな目をした子。色々教えてあげようかなって思ってる」
「気をつけてくれよ。怪しげな術を子供に吹き込んでるなんて言われるかもしれない」
するとイヴは「分かってないなぁ」と肩をすくめる。
「あの子は人と魔法が繋がるきっかけになるよ。ね? シラタマ」
私が肯定するようにフヨフヨ動くと、イヴは嬉しそうにニシシと笑った。
○
イヴとベネットが村に留まったのは、多分一年くらいだ。
彼らはそのわずかな期間で、村に魔法を浸透させ、魔法への理解を得た。
「本当にありがとう、二人とも」
二人が発つ時、老婆を始めとし、多くの村人が彼らを見送ってくれた。
「元気でね、おばあちゃん。みんなも」
「きっと二人は、すごい魔法の使い手になるわ」
「まだまだだよ。もっともっと魔法を広げていかないと」
「何年かかるかもわからない、途方も無い話だけどね」
「ベネットはまた水をさす……」
すると、一人の少女が村人の中から飛び出て、イヴに抱きついた。
イヴが魔法を教えていたティアという少女だった。
「イヴ姉ちゃん、もう戻ってこないの?」
泣きそうな顔のティアを、イヴはそっと抱きしめる。
「また来るよ。ティアも元気でね。私が教えた魔法の極意、覚えてる?」
「魔法は心を込めるもの」
「上出来」
村を発ってベネットが尋ねた。
「さっきティアに言ってたのは何だったんだい?」
「何が?」
「魔法は心を込めろって」
「そのままの意味だけど? 心を込めた魔法は、とっても強い威力が出る。人の気持ちを感じることができれば、魔法はもっともっとすごくなるんだ」
「君は相変わらず変わってるね」
「ベネットが理詰め過ぎるの」
思えばこの時から、イヴは魔力と感情の概念を理解していたのだと思う。
彼らが集めていた涙は、感情が強く宿った『感情の欠片』なのだいうことも。
そしてある日。
イヴは、とうとうそれを編み出した
静かな夜だった。
夜の草原で、二人は焚き火を取り囲んで会話する。
空には星がまたたき、どこからか虫の鳴き声が聞こえた。
「ねぇ、ベネット。いつか、涙は感情が溶けた液体で、嬉しい時の涙は特別な力を宿すって言ったの覚えてる?」
イヴは動物の革を用いて作った袋を眺めている。
中には、彼らが集めた大量の涙が魔法で保存されていた。
二人は、何年もかけて旅の中でたくさんの土地を救ってきた。
その過程で得た嬉し涙を、ずっと集め続けていたのだ。
イヴの問いかけに、ベネットは「もちろん覚えてるよ」と答える。
「人の想いが、魔法を強めるって君は言ったね」
「じゃあさ、もし魔法で、喜びの涙を結晶にすることができれば、どうなると思う?」
「結晶? 涙を凍らせるってことかい?」
「違う。沢山集めて、凝縮するの」
見てて、とイヴは言った。
「フィアト・ルック」
彼女がその呪文を唱えると。
涙は大きな光に包まれ。
やがて、一つの小さな結晶が、袋からコロリと落ちた。
植物の種のような形をしながら、虹の色彩を宿す、半透明の不思議な種。
それこそが、命の種だった。
「これは……?」
ベネットは種を拾い上げ、興味深そうに眺める。
「感情の結晶。喜びの涙で作ってみた。どう思う?」
「とても強い力を感じる」
「うん。たくさんの人の涙を使ったから、途方も無い力が宿ってる」
「どうやってこの魔法を?」
「ふっふっふ、君が知らぬ間に色々と実験しとるのだよ。こんなもの生み出しちゃうなんて、我ながら天才だなぁ」
「イヴは自画自賛ばかりだね」
「うるさぁい!」
「痛っ!」
いつものやり取りのあと、彼女はベネットにすこしいたずらっぽく笑いかけた。
「……この種を使えば、不可能なことは何もないんじゃないかって思うんだ」
「僕もそう思うよ。だから、いざという時のために取っておこう」
「そうだね」
彼らの魔法探究の旅は、その後も続いた。
イヴは人々とつながり、そして魔法の教えを説き、魔法という技術を広げて回った。
たくさんの人がイヴの魔法を学んだ。
魔法は人々の生活を豊かにし、人々に受け入れられていった。
イヴの教えをよく守ったのは主に女性で、彼女たちはいつしか魔女と呼ばれた。
男の魔法の使い手は魔法使いと呼ばれ、魔法を操る者たちは、総じて魔導師と呼称された。
魔法がなかった時代から、魔法が普及した時代へ。
新しい時代が始まろうとしていた。
――時代の節目には、沢山の人と繋がる魔女が生まれる。
いつか、ベネットが言っていた言葉の意味を、私は目の当たりにしている気がした。
そして、彼らは故郷に戻った。
村を出てから十年以上経っていた。
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