第6節 始祖の記憶①
私はベネットに誘われるまま、精霊樹の前に座る。
「準備はいいかい? ラズベリー」
「う、うん……」
「今から意識を集中して、君には樹と一体化してもらう。君はすでにそれを経験している」
「どゆこと?」
「中東で僕の体を通じて感情を読んだことがあっただろう? あの時君は、僕の魔力を伝って、樹の根を渡り、感情を感じ取っていた。それと同じだよ。樹の中に流れる魔力に意識を集中させ、神木の生命エネルギーを感じ、体内に引き込むことで自分をエネルギーの流れに組み込む」
「それが木霊憑き?」
「そうだよ」
そう言われてみると、何だか出来そうな気がしてくる。
ただ、中東の時もそうだったけれど、感情を感じるのはとても集中力が必要だった。
確かに、どれくらい長く木霊憑きを続けられるかはわからない。
また、別の懸念点もあった。
「木霊憑きをすると、意識がなくなるんでしょ? 木霊憑きの最中に何かあったら……」
「大丈夫。完全には無くならない。夢に入った感覚に近くなるんだ」
するとクロエがフフンと胸を張った。
「まぁ、わしクラスになると息をするように出来るがのう」
「そりゃクロエは精霊と一体化してるからでしょ。私は人間なのだが」
「心配しないでも良い。君が戻ってくるまで、僕が見守っているよ」
ベネットは真剣な表情で私を見つめる。
そこに嘘偽りは感じられない。
「わかった。ベネットを信じる」
「よい旅を、ラズベリー」
私は目を
そこから、神木の生命エネルギーを感じ、その流れを自分の体へ引き込む。
私自身が樹と一体化するイメージで。
すると、神木から蔦が這い出てきて、私の体に絡まりだした。
腕、首、足、体……全身に蔦が巻き付いていく。
そのまま樹の枝が絡んで、身動きが取れなくなる。
あぁ、これが木霊憑きか。
私は今、樹と一体化しているんだ。
目を瞑ると、情景が流れてくる。
色んな風景が過ぎ去っていく情景だ。
私は今、時間を
何十、何百、何千年と早送りするように、断片的に情景がフラッシュバックし。
やがて、一つの場面で映像が等速になった。
それはまるで、映画の始まりみたいだった。
○
「何だろこれ」
少女が私を見ている。
そのすぐ傍に、少年の姿もあった。
少年の方は、どこか見覚えのある姿だ。
少年は利発そうな雰囲気で、優しそうな子だ。
少女はといえば、活発そうで気が強く見える。
「ねぇベネット、これなんだと思う? この光る白い玉みたいなの」
ベネット? この少年が!?
じゃあ、こっちの少女は……。
「また言ってるの? 僕には見えないんだけど。イヴっていっつも変なの見るよね。村のお医者様が目の病気じゃないかって言ってたよ」
「なにおう」
やっぱりイヴだ。
ベネットが言っていた、昔の友達。
じゃあ、これはもしかしなくても、ベネットの子供時代の情景なのか。
「ねぇ、やっぱり無茶だと思うんだけど。こんな荒れ地を森にするだなんて」
「そんなの、やってみないと分かんないじゃん。やってみて、最後までダメだったら受け入れる。でも、そうじゃないなら認めない」
「強情だなぁ」
「そう言うベネットだって、もう一度ここで暮らしたいでしょ?」
「それはまぁ……」
二人は荒れて痩せこけた土地に立っていた。
岩が多く、枯れた雑草が目立つ。
そんな場所に、この少年少女は苗木を植えたらしい。
私の足元に、小さな苗木が見える。
足元……足?
私、足ないじゃん!
そこでようやく自分の姿に目が行った。
私はどうやら、精霊の姿をしてしまっているらしい。
さっきイヴが言ってた光る玉みたいなのって、私のことか!
イヴは精霊が見えるんだ。
「でも、これまでも色々試したけど全部上手くいかなかった。土地を移り住んだ方が良いんじゃないかなって思うんだけど」
「ちゃんと前進してるよ。あの方法じゃダメだって分かった。それって進歩だよ」
「前向きだなぁ。まぁ、付き合うけど。それじゃ、今度はどうするつもりなの?」
「涙を集める」
「涙?」
「以前、人の涙に不思議な力を感じたじゃない。涙は人の心が溶けたもの。だから、普通にはない力がある気がするんだ」
「でも、村のみんなは勘違いだって言ってたよ。信じてる人なんていなかった」
「やってみないと分かんないじゃん! ベネットは後ろ向きすぎる! まずはやる! やって答えを出す! 答えを見て初めて出来ないかどうか分かるんだから!」
「わ、わかったよ……」
二人はそう言いながら歩いて行ってしまう。
追いかけようとすると、意外にも体を自由に動かすことが出来た。
イヴに近づくと、彼女は怪訝な顔をする。
「うわぁ、ついて来ちゃったよ……シラタマが」
「シラタマって、さっき言ってた白い玉の名前? もう少しひねった方が良いと思うけど」
「うるさぁい!」
「あ痛っ!!」
イヴに蹴られ、ベネットは尻を押さえる。
今では信じられない光景だ。
世界一と名高い伝説の賢者を足蹴にするのなんて、彼女くらいのものだろう。
その日から、ベネットとイヴは人の涙を集め始めた。
活発なイヴが人に話しかけ、ベネットがアイデアを出す。
イヴはにぎやかで、まるで太陽のような少女だった。
そんな彼女の裏で動くベネットは、さながら月みたいなものだ。
二人はとても良いパートナーだった。
二人の姿を追ううちに、その関係性や、暮らす村の事情もわかってきた。
ベネットとイヴは幼馴染みで、昔から仲が良かったようだ。
彼らが暮らす故郷は、かつては自然豊かな栄えた場所だった。
だが度重なる部族同士の争いや、狩猟、伐採を繰り返す中で土地が痩せ、移り住むことを余儀なくされる。
自然も失われ、土地が荒廃していく中。
ベネットとイヴは森を生み出し、かつての土地を取り戻そうとしているのだ。
彼らは来る日も来る日も、樹の世話をし、人々の涙を集め、それを水に溶かしては樹に与えた。
「わかった!」
ある日、イヴが言った。
その言葉にベネットが「何が?」と尋ねる。
「涙の秘密よ! 涙の中に、普通にはありえない力を秘めたものがある。ずっとその秘密は何だろうって考えていたんだ」
「秘密? 特別な涙を流せる力を持った人がいるとか?」
「違う。秘密は喜びが溶けた涙にあったんだ! 嬉しい時に流した涙には、特別な力が秘められてる。樹の状態を安定させる、特別な力が」
「確かに、今回の苗木は順調に育っているね。それって涙のおかげなのかな」
「きっとそうよ! 涙は心が溶けて出来るものだから、きっと喜びが溶けた涙には、樹の成長を招く特別な成分が入ってるんだよ」
「じゃあ、喜びの涙を集めないとね」
「いよーし、燃えて来たぁ!」
「イヴはいつも元気だなぁ」
二人は嬉し涙集めを始める。
涙を集める中で、二人は涙を操るための特別な術があることに気付いていった。
涙は言葉に反応して、特別な現象を引き起こす。
言葉と言葉を繋げれば、更に特別な反応を示すこともある。
どうやらそれは文字でも起こせるらしい。
ある特定の模様と文字を組み合わせた陣を用いると、術の力が高まる。
彼らはそんなふうに、『涙を操る術』を開拓していった。
ある日、二人は涙がなくとも術を発動出来ることを発見した。
この世界には、誰にも知られていない特別な力が存在する。
自分達が考えた術は、どうやらその力に働きかける効果があるらしい。
涙は、術が生み出す結果を強める増強剤のようなものなのだ。
彼らはそうして、魔法と言う概念の原型を紡ぎ上げた。
何年も、何年もかけて。
私は、彼らと同じ年月を、彼らとは違う速度で体感した。
それは不思議な感覚だった。
確かに同じ時間を過ごしているのに、ずっと早く感じる。
生きている時間が違うのかもしれないと思った。
私はシラタマとイヴに呼称され、いつしかイヴと共に過ごすのが当たり前になった。
ある日、村で若い男女が結婚し、祝儀を行っていた。
広場で親戚や友人たちに祝福され、幸せそうに微笑む男女。
その姿を、イヴは石造りの自宅の入口から眺めていた。
かつて少女だったイヴは、誰もに認められるような、美しい女性になっていた。
「ねぇ、シラタマ」
イヴは彼女のすぐ傍を浮遊する私に話しかける。
「時々思うんだよね。私にもあんな女性としての幸せがあったのかな、なんてさぁ」
彼女はそっとため息を吐く。
「私たちが生み出した術のおかげで、どんどん土地は豊かになってる。樹もだいぶ大きくなったし、術を教えてほしいって子も出てきた。土地が痩せた原因も、対処法も分かってきて、これからますます発展していく気がする。でもね、時々思うんだ。もしあの時諦めていたら、私はどうなっていたんだろうって。誰かと結婚して、普通の幸せを掴んでたのかな」
そこまで一気に言うと、彼女は頭をくしゃくしゃと掻きむしった。
「でもなぁ、結婚って、私誰と結婚するんだろうなぁ」
「イヴ、いるかい?」
その時、どこからともなくベネットが姿を現した。
見覚えのある、青年姿のベネットだった。
「どうしたんだい? こんな玄関で座り込んで」
「別にぃ。ちょっとシラタマと話してた」
「そっか。そう言えば、頼まれていた薬草をもらってきたよ。この間話していた、薬効を高める術をこれで試せるね。それで……イヴ?」
イヴはベネットの顔をジィっと覗き込む。
そんな彼女の視線を受けて、ベネットは頬を朱に染めた。
「僕の顔に何かついてるかな?」
「別にぃ。ただ、やっぱベネットだなって」
「何がだい?」
「さぁ、何でしょうねぇ」
茶化すように言うと、イヴは家の中に入ってしまう。
そんな彼女の背中を、「待ってよ」とベネットは追いかけた。
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