第4節 決意
フリッツと結婚したエルドラ姉さんは、ラピスから離れた小さな村で生活を始めた。
自然が豊かで、人々の交友関係が盛んな場所だった。
二人は、そこで新しく、魔法と関係のない生活を始めようとした。
結婚して一年が経つ頃。
二人の間に、子供が生まれた。
ほっぺがプリプリで、笑顔が可愛い女の子だった。
娘の名前はリアと名付けられた。
三人の家には、時折お師匠様も遊びに来た。
お師匠様はリアをまるで本当の孫娘のように可愛がっていた。
エルドラ姉さんは、そんなお師匠様を見て、とても優しい笑みを浮かべていた。
幸せがそこにはあった。
尊敬する母と。
愛する夫と。
二人の間に生まれた愛娘と。
家族を失ったエルドラ姉さんにとって、皆で過ごす生活は、失われた幸福を取り戻すことに等しかったのかもしれない。
しかし、そんな幸せは、やっぱり長くは続かなかった。
当時、西欧諸国周辺では、戦争が頻繁に起こっていた。
他国への侵攻、不安定な国政に対する内乱、近隣諸国の争い。
戦争はどんどん激しさを増し、日に日に大きな物になっていった。
来る大戦に備え、西欧諸国でも動きがあった。
大規模な徴兵が行われたのだ。
徴兵の対象にはフリッツも入っていた。
「フリッツ、私が戦地へ行く。母さんの認めをもらった私なら、国は喜んで受け入れるはず。そうすれば、あなたが危険を犯すことはない。交渉の余地はあるはずよ」
「バカ言うな。お前はもう魔女じゃない。俺の嫁さんで、普通の女なんだ。お前が戦う理由なんてどこにもないんだ」
「フリッツ……」
「安心しろよ、好きな女と自分の娘くらい守ってみせるさ。お前は俺が居ない間、リアを守ってやってくれ。リアには母親が必要だからな」
「でも」
不安気なエルドラ姉さんを、そっとフリッツは抱き寄せる。
彼のたくましい両手が、エルドラ姉さんを優しく包んだ。
「心配すんな。必ず生きて戻るから。待ってろ」
「うん、わかった」
フリッツはいつもの屈託のない笑みを浮かべ、戦争へと向かった。
フリッツが徴兵に応じたことで、エルドラ姉さんの平穏は守られた。
魔女エルドラの才能は、国にとっては兵器そのものだ。
それを知っていたから、フリッツは自ら兵役に志願し、彼女の存在を隠した。
戦争は、何日、何週間、何ヶ月にも渡った。
その間、エルドラ姉さんは毎日のようにフリッツの無事を祈り続けた。
だが、フリッツが帰ってくることはなかった。
ある日、不意に家のドアがノックされた。
開けるとそこに、お師匠様が立っていた。
「母さん、来るなら連絡をくれればよかったのに」
思わずホッとした笑みを浮かべる。
幼い娘と二人で、不安な毎日を過ごしていたのだ。
エルドラ姉さんにとって、久々の母の訪問は、心底安心出来るものだったに違いない。
だけど、お師匠様はどこか浮かない顔をしていた。
「エル、フリッツのことで話がある」
そんな母の様子に、エルドラ姉さんはすぐに何かを察し、笑みを強張らせる。
「何か……見たの?」
エルドラ姉さんの問いに、お師匠様はゆっくり頷き、一枚の紙を手渡した。
それは、手紙だった。
握られてクシャクシャになった、ボロボロの手紙。
「エル、フリッツはもう帰って来ない」
言葉の意味を飲み込むのに、しばらく時間がかかった。
「冗談よね? 母さん……」
「これは事実だ」
「そんな……嘘よ! だって、だって彼は必ず帰ってくるって!」
エルドラ姉さんは必死に叫びながら、手紙を開く。
そこには、文字が書かれていた。
綴られた文字は線がガタガタで、文字と呼ぶのも怪しい状態だった。
恐らく震える手で、決死の想いで記したのだろう。
でも、何が書かれているかは分かった。
『愛している』
手紙にはそれだけが書かれていた。
フリッツの遺書だった。
手紙を読んだエルドラ姉さんは、その場に崩れ落ちた。
お師匠様は、涙を流す彼女を優しく抱きしめた。
涙を流す母の姿に、娘のリアまでもが大声で泣き始める。
しばらく、悲しみが家の中を満たした。
何時間も泣きはらした後。
ようやくエルドラ姉さんは泣くのを止め、愛する娘を抱きしめた。
お師匠様は、慈しむように二人を見つめる。
「大丈夫かい、エル」
「ええ……。母さん、ありがとう。危険を犯して、彼を見つけてくれたのね」
「本当は、ちゃんと連れて帰ってやりたかったが……」
お師匠様の口ぶりは、それが難しい状態だと物語っていた。
きっと、まともな身体ではなかったのかもしれない。
皆まで言わずとも、エルドラ姉さんもそれは察しているようだった。
「大丈夫。こうして手紙が届いただけでも、感謝しなきゃ」
愛する人を失った絶望は、言葉に出来ないほど深いものだったろう。
しかしそれでも、エルドラ姉さんの瞳から光は消えなかった。
「これからは、彼の分も私が頑張るわ。リアには私しか居ないから」
「幼子を抱えて暮らすのは大変だろう。うちで一緒に暮らしても良いんだよ」
しかしエルドラ姉さんは、ゆっくり首を振った。
「この村に居たいの。彼と一緒に過ごしたこの村に」
その数日後、隣国との休戦協定が結ばれ、戦争は終焉を迎えた。
フリッツの居ない生活が始まった。
彼の居ない日々は、酷く空虚なものだった。
家の中は静かで、空気が乾いているように感じられる。
沈黙が、ずいぶんと重たい。
前向きな言葉を言ったけれど、フリッツを失った悲しみは大きく、時折エルドラ姉さんは何度も彼を思い出しては涙を流した。
だけど、それでも彼女が必死に前を向こうとしたのは、娘のリアの存在が、エルドラ姉さんを支えてくれていたからだと思う。
「リア、もうすぐご飯の時間よ」
外から差し込む日差しに目を細め、エルドラ姉さんは優しく愛娘に語りかける。
穏やかな日だった。
青空が広がり、外では村人が楽しそうに談笑する。
いつもの平和な光景が広がっていた。
その時だった。
大きな爆風が、村の全域を襲ったのは。
村を襲ったのは、遠方から放たれた砲撃だった。
魔法が付与され、威力と飛距離が伸ばされた砲弾が着弾したのだ。
あまりに突然の侵攻だった。
……エル。
……エル!
……しっかりおし! エル!
「う……ん……」
声に導かれ、エルドラ姉さんはようやく目を覚ます。
するとお師匠様が、真っ暗闇の中、エルドラ姉さんを抱き起こしていた。
彼女は何が起こったのか分からず、辺りを見回す。
地獄がそこにあった。
村は黒煙に包まれていた。
死んだような静けさと、辺りに飛び散った血。
満ち溢れた死臭は、かつての幼少時代を思わせた。
「どうなっ……たの?」
「隣国の襲撃だよ! あいつら、休戦協定を破ったんだ」
家の屋根が崩れ落ち。
エルドラ姉さんの半身は瓦礫に埋もれていた。
もろに砲撃が家を襲ったのだ。
頭から血を流しているエルドラ姉さんは、どう見ても重症で。
自分で動くことは無理なのが見て取れた。
「母さん……私……」
そこで、徐々に意識がはっきりしてきたのか。
不意にエルドラ姉さんはハッと目を見開く。
「母さん……リアは? リアはどこ!?」
言ってすぐに、エルドラ姉さんは自分が娘を抱えていることに気がついた。
無意識に守ろうとしたのだろう。
一瞬安堵するも、すぐに異変に気がつく。
リアは呼吸をしていなかった。
「いや……! いやぁ! お願い! 息をして! リアぁ!」
エルドラ姉さんの悲痛な叫び声が村に響き渡る。
その姿を見て、お師匠様は手を握りしめた。
震える手からは血が滲み、母娘から流れた涙には血が混ざっていた。
「……どうして私はいつも、大切な物を守れないんだ」
お師匠様の声で、ハッと意識が覚醒する。
いつの間にか私は、暗闇を抜けていた。
長く続いていた洞窟の出口が、目の前に見えている。
光が射し込んでいた。
「今のは……?」
シロフクロウとカーバンクルに尋ねる。
しかし二匹とも、不思議そうな顔で首を傾げていた。
私にしか見えていなかったのかもしれない。
実際の私は、ただ細長い洞窟を歩いただけなんだ。
通路に満ちていたエルドラ姉さんの憎悪に触れて。
そこに宿る過去の情景を、私は目の当たりにした。
魔女エルドラは、二度も戦争に家族を殺された。
その怒りと絶望が、エルドラ姉さんの抱えた過去。
世界に対する憎悪の正体。
あの後、エルドラ姉さんは助かったのだろう。
そして戦争の首謀者を何人も殺し、国を滅ぼした。
殺された家族の分まで、彼女は何千何万と人を焼いたのだ。
皮肉にも、エルドラ姉さんの暴走は、彼女自身を破壊の象徴とし。
戦争を終わらせる鍵となった。
「何て悲しい過去なんだろう……」
きっとエルドラ姉さんも、溢れる憎悪を止められなかったんだと思う。
さもなければ、あんな優しい人が大量虐殺なんて出来るはずがない。
何万もの人を殺した先で。
ようやくエルドラ姉さんは自身の怒りと絶望に、フタが出来たんだ。
心の箱に閉ざし、全てを終えたと思っていた。
でも、彼女の中にある怒りや憎しみは、見えなかっただけでずっと燃えていたんだ。
そして、その感情に星の核が触れた時。
溢れ出た憎悪は暴走した。
お師匠様は、エルドラ姉さんこそが時代を変える魔女になると信じてた。
だからエルドラ姉さんが魔女の道を諦めることを選んだ時、すごくがっかりしてた。
でも、家族として、エルドラ姉さんの選択を尊重した。
かつてのエルドラ姉さんは、どこかイヴのように感じられた。
目に光を宿し、希望を見続けようとした人。
その希望を、世界が――人間が、絶望と憎悪で濁ませたんだ。
家族を殺され、愛する夫を失い、目の前で娘すら失って。
そしていま、世界は闇に飲まれようとしている。
とても悲しい話だと思う。
だけど。
「星を破壊しても、大切だった人はもう戻らないんだよ……」
絶望を糧に生きるなんて間違ってる。
星は壊させない。絶対に。
私は、光に向かって歩き進んだ。
この先に、二人は居るはずだから。
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