第3節 災厄の過去

聖域の入り口に立つと、異様な気配に包まれた。

奥が深く、暗黒に包まれる先が見えない。

まるで闇がそこでうごめいているようだった。


眺めていると、風が呑まれるように洞窟の奥へと吸われていく。

空気の流れる音が、怨嗟の声のようなくぐもった声のように響いて聞こえた。


私は二匹の使い魔を肩に乗せ、ゴクリと唾を飲み込む。


「い、行くよ」


「ホウ……」


「キュウ……」


入り口から中へ。

真っ直ぐ奥へ向かって行くと、洞窟の奥から黒いモヤが溢れ出てくる。

一瞬身構えたが、すぐにそれが何なのか気がついた。


エルドラ姉さんから溢れた、黒い感情だ。

怨嗟、怒り、苦しみ。

そうした感情が、聖地の奥から漏れ出ているんだ。


間違いない、お師匠様とエルドラ姉さんはこの奥に居る。


触れることに抵抗はあったが、この奥に進まねばならない。

私は意を決して、黒い感情の中に飛び込んだ。


それは長い霧の中を抜けているようでもあった。

歩き続けると、やがて私の視界に不思議な情景が広がる。




目の前に、泣いている少女が居た。




焼け焦げ崩れ落ちた、かつて街があったであろう場所に。

たった一人だけ取り残された少女が、涙を流して歩いている。


少女の足元には、沢山の死体が転がっていた。

何かに切られたり、鋭利な物で突かれたような深い傷が見える。

この街が襲われたことはすぐに見て取れた。


よく見ると、崩れ落ちた家の中から、誰のものともわからない手が飛び出ている。

辺りに死臭が漂い、乾いた風の中に黒い霧がちりのように混ざっていた。


「お父さん! お母さん! お姉ちゃん!」


少女は懸命に叫ぶ。

しかし、その声に答えるものはいない。


「残ったのはお前だけかい」


不意に、少女に一人の魔女が声をかけた。

鷲鼻の大きな瞳、聡明で、どこか寂しそうな印象を受ける老婆。

お師匠様だった。


「おばあさん、私の家族を知らない? ずっと探しているけれど、見つからないの」


少女が尋ねると、お師匠様は悲しげに目を伏せた。


「お前もさっき見ただろう。お前の足元に転がっていた焼け焦げた人を。あれが、お前の家族だよ。お前も本当は分かってるはずだ」


「嘘よ……嘘。だって、お父さんもお母さんも、あんな形じゃなかったもの……」


少女はお師匠様の声を否定するように、必死に首を振る。

だが、お師匠様は動じなかった。


「お前、行き場はあるのかい」


首を振る。


「それなら、うちに来な」


お師匠様はそう言うと、少女を置いて歩き出した。

少女は言われたことが理解できていないのか、その姿を呆然と眺めている。


「どうすんだい。来ないなら置いてくよ」


声を掛けられ、少女はハッとして慌ててお師匠様の後を追いかけた。




魔女の家で最初に少女がしたことは、風呂だった。

汚れた身体を清め、お師匠様が少女の濡れた髪を魔法で乾かしている。


「ようやく汚れが取れたね。まだ死臭は残っちゃいるが」


「あの……ここって?」


「魔女の家だよ。私はファウスト。お前よりずっと長い時を生きた魔女だ」


「魔女……」


「お前、名前は?」


「……エルドラ」


そこで初めて私は、その少女がエルドラ姉さんだと気がついた。

黒い髪に大きな瞳、スッと通った鼻。

確かに外見的な面影はある。


気づけなかったのは、まとう雰囲気がまるで違うからだ。

全てを諦め、深淵に染まった今のエルドラ姉さんと違い。

この頃の彼女にはまだ、光が宿って見えた。


お師匠様は、エルドラ姉さんの名を聞き、どこか嬉しそうな顔を浮かべる。


「良い名じゃないか、エルドラ。いいかい、よく聞きな。お前の村は争いで滅んだ。戦争でね」


「戦争?」


「この世の愚か者が行うことさね。自分の主張や欲を相手にぶつけて押し通す行為だ。お前の村は、その巻き添えにあった。お前を知るものは、もう誰も生きちゃいない」


お師匠様はエルドラ姉さんの顔を真正面からみつめる。

その大きな瞳に、幼いエルドラ姉さんの姿が映っていた。


「お前は選ばなきゃならない。生きたいのかどうかを。そして生きることを望むなら、私が弟子にしてやろう」


「私が……魔女の弟子に?」


「不服なら、出て行ったって良い」


しかし、エルドラ姉さんは首を振った。


「私は、誰かを守れるようになりたい。大切な人を……」


こうして、エルドラ姉さんは魔女ファウストの弟子になった。

朝起きて、家の雑務をして、魔法の修行を重ねて。

お師匠様とエルドラ姉さんの生活は、私とお師匠様の生活とダブって見えた。


彼女たちは幾度か土地を転々とし、争いのない穏やかな場所を探した。

やがて二人は、西欧地方にある、まだ開墾したての土地にたどり着く。

そこでは、人々が新しい街を生み出そうとしていた。


私はその土地をよく知っている。

そこがかつてどんな場所だったのかを。

そして、今はどんな場所なのかを。


「ここにもう一度街を作ろうと思います」


一人の老人が、お師匠様に話しかける。

エルドラ姉さんは、後ろで二人の会話を静かに聞いていた。

お師匠様は、老人の言葉を聞いて、そっと目を細め、自然に満ちた草原を眺める。


「ここは、私の魔法の教えがずっと長い間受け継がれてきた場所だね」


「存じています。だからここにしたのです。かつて偉大な魔導師が沢山の教えを広げたというこの場所を、もう一度人が住める場所にしたい。そう思っております。そして、その見守り手は、やはり教えを受け継ぐファウスト様であるべきです」


「村の名前はどうするんだい」


「もう決めてあります」


そして、老人はその名を告げる。


「ラピス」


それが、私の故郷、ラピスの始まりだった。


二人の魔女は生まれたての村を見守り、村人と共に穏やかな生活を過ごした。

やがて村は発展し、家屋を増やし、街へと変貌を遂げる。

エルドラ姉さんの修行も本格化し、慌ただしい日々が続いた。


少女だったエルドラ姉さんは、成長し、美しい女性になっていった。

彼女はとても心がきれいな人だった。

すぐに街の人々と仲良くなり、どこに行っても嬉しそうに声を掛けられる。

彼女の存在は、ラピスの象徴であり、希望そのものだった。


ある日、エルドラ姉さんが使いに出かけると、街で旅行者の男たちに絡まれてしまった。


「なぁ君、俺たちこれから飲むんだけどさ、一緒に来ないか」


「えっと、困ります。私、使いで出てきてるので」


「固いこと言うなよ」


男たちの太い手が、エルドラ姉さんの腕を掴む。

あまりに強い膂力りょりょくに、抗うことが出来ない。

ごつい男たちの姿に街の人も怯え、誰も助けてはくれなかった。


「おい、嫌がってんだろ。止めろよ」


そんなエルドラ姉さんを、一人の男の子が助けてくれた。

顔なじみのフリッツだった。

フリッツが凄むと、男たちは怯えたように手を離し「冗談だよ」と言ってそそくさと立ち去る。


「ありがとう、フリッツ」


「前から言ってんだろ、街の外のやつには気をつけろって。お前、ボーッとしてんだから」


「ごめんなさい。でも、嬉しかった」


エルドラ姉さんが笑顔を浮かべると、フリッツは頬を赤く染めた。

まんざらでもなさそうだ。


「さ、さっさと行けよ。どうせあのババアのお使いだろ」


「あ、そうだった。早くいかないとお師様にしかられちゃう。じゃあね、フリッツ」


走り去るエルドラ姉さんの後ろ姿を、フリッツはジッと見つめていた。


フリッツは街では浮いている乱暴者で、いつも皆に恐れられていた。

誰もが彼を敬遠したが、エルドラ姉さんだけは、彼を恐れなかった。

そして、彼もまた、エルドラ姉さんの良き理解者になっていた。


エルドラ姉さんが失敗した時、落ち込んだ時。

必ずフリッツは彼女の顔を見に来て、不器用な言葉で励ましてくれた。

泣き言を吐いても、愚痴をこぼしても、フリッツは黙って彼女の話に耳を傾けた。


そんなフリッツに、エルドラ姉さんが心惹かれるのは自然なことだった。

二人はまるで運命に導かれるように、時と共に心を通わせていった。


一方で、魔女としてのエルドラ姉さんは、類まれなる才能を開花させていた。


新進気鋭の天才。

それが、魔女エルドラの評価だった。


魔女ファウストの構築する高難度の魔法を次々とマスターし。

エルドラ姉さんは、やがてお師匠様の跡を継ぐ存在になる。

二人はお互いを認め合い、尊重し。


いつしか師弟以上の――家族のような関係になっていった。


そして、唐突に場面は変わる。

気がつくと、私は月明かりが差し込む魔女の館の大広間にいた。

私の目の前では、エルドラ姉さんが見覚えのある種を生み出している。


「フィアト・ルック」


彼女がその呪文と共に生み出したのは、命の種だった。


「キレイな種……。母さん、これが?」


「命の種だ。飲めばお前は、私と同じ永年を生きる存在になる」


「これを私に飲めと?」


「そうだ。そしてお前が、時代を変える魔女になるんだ」


「母さんが私に嬉し涙を集めさせたのは、それが理由だったのね……」


お師匠様の言いつけで、エルドラ姉さんもまた、嬉し涙を集めたんだ。

でも彼女は、どこか浮かない顔をしていた。


エルドラ姉さんは、しばらく考え込むように種を見つめた後。


「ごめんなさい、母さん。私、この種は飲めない」


静かに、種を飲むことを拒否した。

その言葉に、お師匠様は驚いたように息を飲み、目を見開く。


「母さん、私、好きな人がいるの。乱暴者って言われるけど、本当は優しい人。その人と、結婚したいと思っている。私は、彼と同じ時を生きたい。共に過ごし、喜び、そして共に死ぬ人生を。私が失った家庭を、もう一度、彼と育みたい」


「フリッツか……」


「知ってたの?」


「舐めるんじゃないよ。私を誰だと思ってるんだい。娘のことくらい、すぐに分かるさ」


お師匠様はそう言うと、どこか寂しくも嬉しそうな優しい表情をしていた。


「お前は、普通の人間として生きることを選んだんだね……」


お師匠様は、そっと命の種を手に取る。


「いいさ、エルドラ。お前は好きに生きな」


そしてお師匠様は「でも、忘れるんじゃないよ」と告げる。


「ここがお前の帰ってくる家だ。いつだって、お前はここに戻ってきて良いんだ」


「うん」


月明かりに照らされたエルドラ姉さんは、とても美しい笑みを浮かべた。


「ありがとう、母さん……」


その後、エルドラ姉さんは街の人に祝福され、フリッツと結婚した。

挙式にはお師匠様も参加し、ラピスを上げての盛大な祝祭が執り行われた。


エルドラ姉さんが生み出した命の種は、お師匠様が預かることになった。



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