第2節 君はもう、立派な大魔導師だ
炎の熱気が肉を焼く。
足元に黒い霧は満ち溢れ、森を黒炎と黒煙が包む。
場内に居た人たちは逃げ去り、残った人は気を失って倒れている。
私だけが、ここに立っていた。
ふと足元を見ると、二匹の使い魔たちが心配そうにこちらを見上げている。
「お前たち、無事で良かった……」
「キュウ」
「ホウ」
二匹の使い魔を抱え、私は顔を上げた。
「私……一体どうしたら」
まずはみんなを起こして避難させないと。
お師匠様も助けないとダメだし。
それから、魔法協会の本部の人たちの安否を確認して。
そうだ、養護施設の子どもたちや、シエラは無事だろうか。
考えがまとまらない。
そこで初めて、自分が混乱しているというという事実に気が付く。
やらなければいけないことは沢山あるのに、体が上手く動かない。
ふと、不意に私の目の前に、一枚の葉っぱが浮かんでいることに気が付いた。
先程の魔法の衝撃で、どこからか落ちてきたのだろう。
ただ、それは明らかに不自然だった。
落ちかけている葉は、ピタリと、空中の一点で動きを止めている。
まるで静止するかのように。
そっと手を伸ばして触れてみる。
動かせはするが、手を離すとまた葉っぱはその場で静止する。
「なんだこれ……」
不意に違和感を抱いて、私は周囲を見渡した。
静かだ。
静かすぎる。
先程まで聞こえていた炎が燃える音も、木々のざわめきも、煙の流動も。
その全てが、消え失せていた。
肌を刺すように広がっていた熱気は消え、足元の黒霧もまるで動きが見られない。
世界が、完全に止まっていた。
まるで、時が止まったかのように。
「ラズベリー……」
不意に声が聴こえて、私はハッと振り返る。
ベネットが苦悶の表情を浮かべながら、息も絶え絶えに体を起こしていた。
「ベネット! 大丈夫!?」
私が慌てて抱き起すと、彼は「何とかね……」と苦しそうに笑った。
「エルドラ姉さんの黒い炎をもろに食らってたから、心配だったよ」
「他の人だったら危なかったかもね……。命の種が、僕を守ってくれたみたいだ」
「ケガは? 深いよね? 早く治療しないと」
「いや、僕のことはいい」
ベネットはそう言うと、ゆっくり私を見つめた。
「ファウストを助けるんだ、ラズベリー」
「えっ?」
「この状況、君は何か変だと思わないか」
「うん……なんかまるで、世界が止まってるみたいだなって」
「止まってるみたいじゃない。止まってるんだ。僕と君、君に同調する使い魔、それ以外のすべての時が止まっている」
「それって……」
私の予感を肯定するように、ベネットは頷く。
「ファウストの時魔法だ」
予感は、当たっていた。
「ファウストが本気を出した。今、この北米を巨大な魔法が包んでいるのがわかる」
「一体どうして」
「エルドラが放った炎には呪いが宿っていた。その炎は急激に燃え広がり、精霊の森だけじゃなく、世界を包もうとしている。だから進行を止めるため、ファウストは時魔法を放った」
「エルドラ姉さんがああなったのは、星の核のせいだよね? 星の核が、エルドラ姉さんの中にあった憎悪を蘇らせた」
私が尋ねると、ベネットは「多分ね」と弱々しくうなずいた。
「星の核がエルドラの中の感情に呼応したんだろう。感情と星の核が結びついた結果、エルドラの肉体を媒介に、世界を滅ぼす呪いの化身が生まれた」
「そんな……」
「ただ、今はまだ誰もそのことに気が付いていない。現状を理解できていないんだ。だからファウストは、話が明るみに出る前に、星の核を破壊し、決着をつけようとしているんだと思う」
「星の核の事故で終わらせるために?」
「今ならば、それが可能だろう。でもこれ以上進行すれば、そうはいかない。エルドラは世界を滅ぼそうとし、そして世界はエルドラを敵として認定する。最悪の殺し合いが始まるはずだ」
「お師匠様はそれを止めたいんだ……」
「でも、どうなるかはわからない。もしこの魔法が解けてしまえば、星の崩壊は再び進行する。魔法が解けるのは、ファウストが死んだ時だ」
ドクンと、心臓が鳴る。
お師匠様が死ぬ……?
命の種を宿し、千年生きたあのお師匠様が?
「ラズベリー、ファウストは意図的に、君にだけ魔法を掛けなかった。そこには何か、意味があるんだと思う」
「私だけって、ベネットもこうして動いているじゃん」
「僕は自分で魔法を解いたんだよ。彼女はそれすらも計算に入れていただろう。ファウストは結末を知っている。だから、君を待ってる」
ベネットはゆっくりと体を起こす。
しかしまた痛みがあるらしく、その動きはぎこちない。
「ベネット、無茶だよ。まだ動けない」
「良いから聞くんだ、ラズベリー。ファウストが君だけを残したのは、君だけが最良の結末を導けるからだ」
「最良の結末って?」
「分からない。恐らく、エルドラを救える結末だと思う。今のエルドラは強い。七賢人全員で戦えば勝てるかもしれないが、そうなればエルドラは死に、そして七賢人も半数以上が死ぬだろう。そうさせないために、ファウストは君を選んだんだ」
「そんなの無理だよ! 私一人だけでなんて勝てるはずない!」
「それでも、ファウストはそれを望んでる。だから君を残した」
ベネットはそう言うと、震える手で聖地の奥を指さした。
「ファウストはあの奥に居る。聖地はこの世の理の中心であり、異界に近い領域なんだ。今、意図的にあの空間がこの世と切り離されているのが分かる。あの場所に、エルドラを隔離したんだ」
「お師匠様は、今もあそこで戦ってるんだ……」
あの奥に、お師匠様が……。
手は震え、体が緊張でこわばる。
だけどゆっくり呼吸をし、どうにか体と心を落ち着けた。
「分かった。私が二人を助ける。ベネットは、安全な場所で待ってて」
私は使い魔を両肩に乗せ、意を決して立ち上がった。
「すまない、ラズベリー。君一人にこんな重荷を」
「そんなことない。もしお師匠様が私を呼んでるなら……きっとこれは、私がやらなきゃダメなことなんだ」
そうですよね、お師匠様。
「ベネット、私は死なないよ。実はね、新しく弟子を取ることにしたんだ。嬉し涙もあと三粒で集まるし、沢山の人と約束だって交わしてる。だから、生きて帰ってみせる」
「ラズベリー……信じてるよ、君の中の希望を。君はもう、立派な大魔導師だ」
私は彼に強く頷くと。
「あったり前じゃん。期待しててよ」
そう言って、聖地の入り口に足を踏み入れた。
行こう。
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