第16話 終わりの世界と永年と災厄と

第1節 宣戦布告

何が起こったのか、状況を理解する前にまず動いた人物が二人いた。

永年の魔女ファウストと始まりの賢者ベネットだ。


私が叫ぶのとほぼ同時に二人は飛び出し、お師匠様は魔法協会の会長を護り、ベネットは全員を包もうとする黒炎を結界で逸らせた。


しかし、逸れた黒炎はなおもその勢いを弱めない。

結界により滑るように私たちの間をすり抜けた黒炎は、木々たちを黒い炎で燃やしていた。

空が煙で覆われ、美しかった情景が一転して地獄と化す。


「エルドラ姉さん!」


「エルっ!」


私とお師匠様がほぼ同時に叫ぶ。

黒炎の中心にいた災厄の魔女エルドラ。

彼女は水晶を天に掲げた状態で、動きを止めていた。


エルドラ姉さんが手にしていた星の核の入った水晶は、粉々に砕けている。

星の核の姿が、どこにもない。


「エル、無事かい!?」


お師匠様は慎重にエルドラ姉さんに近づく。

すると、エルドラ姉さんがゆっくりと振り向いた。

その姿を見て、お師匠様に驚愕の表情が浮かぶ。


何だ……?

私は駆け寄り、そして知る。



エルドラ姉さんの心臓部に、星の核が埋め込まれていることを。



それはまるで寄生植物が根を張っているように見えた。

エルドラ姉さんの胸部に埋め込まれた星の核。

その周囲に血管のような触手が浮かび上がり、皮膚は見える限りでも半分以上が紫色に染まっている。


私はその状態をよく知っていた。

重度の魔力汚染の患者が至る、末期の症状だ。


「か、母サん……」


ガクガクと痙攣したように全身を震わせ、エルドラ姉さんはお師匠様に手を伸ばす。


「ご、ゴメンなサい……母さん……カアザんんん」


どんどんエルドラ姉さんの皮膚が紫色に染まっていく。

星の核がエルドラ姉さんを飲み込んでいた。


侵食が進むと同時に、全身の皮膚を突き破り、背中から触手が生えていく。

右腕が不自然に肥大化し、爪が刃物のように鋭く尖った。

足先が人間の物でなくなり、魚の尾の様な独特の形状を象る。


異常な光景なのに、誰も動けないでいた。

助けないといけないのに、足が前に出ない。

エルドラ姉さんが、人では無くなっていく。

彼女の心が、飲まれるのが分かる。


「かあさ、母さん、わた、私、ワタシわたしワタシ」


エルドラ姉さんの心が消え。


私は彼女から放たれたその言葉を、はっきり耳にした。


「この世界ヲ滅ぼすわ」


瞬間。

大きな光が爆ぜ、お師匠様が吹き飛ばされた。


一瞬、何が起こったのか分からなかった。

エルドラ姉さんの異形と化した右腕に、黒い火球が握られている。

魔法でお師匠様を襲ったのだ。


「お師匠様!」


私が叫ぶと同時に、エルドラ姉さんと目が合う。

ギョッとした。

彼女の瞳から、白目が消えている。

黒目で埋め尽くされた、人ではない物の深淵の瞳が、私に向けられていた。


その瞳に、思わず鳥肌が立つ。

すると彼女は私に向けて手をかざした。

まっすぐ、純粋な悪意が私に向けられている。


私は思わず一歩後ずさった。


不意に、自分の身体が何かに持ち上げられた。

その場から急速に遠ざかる。

誰かに運ばれていた。


「メグ! ボーッとしてたら殺されるわよ!」


「祈さん!」


半分獣の様な姿をした祈さんが、私の首根っこを噛んで走っていた。

変体魔法だ。


「どうなってんのよこれ!」


「星の核の暴走です! エルドラ姉さんの心が飲まれて、憎悪の感情が増幅してる!」


「はぁ!? 何でよ!」


「わかりません! わかんないけど……!」


エルドラ姉さんはずっと心の中に、憎悪を抱えていた。

何千、何万もの人々を殺していた時に抱いていた、憎悪の感情。

彼女が心の奥底にようやく封じたであろうそれを、星の核が呼び覚ましたのだ。

しかも無尽蔵のエネルギーで増幅までして。


だからエルドラ姉さんの心は、闇に飲まれた。


それだけじゃない。

エルドラ姉さんには、命の種も宿っている。

国を滅ぼした魔女、星の核、命の種。


今、最悪の三つの要素が揃ってしまったんだ。


私たちがクロエやソフィと合流すると、二匹の使い魔が駆け寄ってくる。


「お前たち! 良かった、無事で」


「メグ、安心してる場合じゃない! 来るわよ!」


祈さんが叫ぶのとほぼ同時に、エルドラ姉さん――災厄の魔女エルドラは手に先程の黒い火球を生み出した。


全員がその場で身構えたが、予想外にエルドラは火球を天へ向かって投げ飛ばす。

空を突き抜けた火球は大きく爆ぜ、炎の波紋を生み出した。

途端に、とんでもない風圧の熱風が走り、青かった空が一瞬で真っ赤に染まる。


「あぁ……!」


熱風が走ると同時に、クロエが叫び声を上げた。


「精霊の森が燃えておる! 木々たちの苦しみの声が聞こえるんじゃあ!」


「クロエ様!」


ひざまずいたクロエを、ウェンディさんが支える。

クロエの白く美しかった身体は、何かに燃やされたかのように黒く染まっていた。


「エルドラの呪いが樹を伝ってクロエに伝播してる……」


壮絶な表情で祈さんが呟く。


すると、私の足先に、見覚えのある黒い霧が満ちていくのが分かった。


それは、死神の黒い霧だった。

世界を死の霧が覆い始めている。


星が死に始めていた。


「おいっ! 君たち、説明しろ! 何が起こってるんだ!」


各国の首相たちが叫び声を上げた。

でも、その声に答える者はいない。

この場にいる殆どの人間が、何が起こったのかをまともに理解できていなかった。


一つ分かることがあるとすれば、あの黒炎には、死が満ちているということだ。


更にエルドラが天高く手を掲げると、空に大きな火球が生まれた。

今までの中で一番大きな、両手で抱えてもなお有り余るほどの、巨大な黒炎の球だ。


私たち全員を、ここで焼き殺そうとしている。


「おい! どうすんだベネット!」


クロエの看病をしながらジャックが叫んだ。

ベネットは「やれやれだね」と毅然とした態度で前に進み、エルドラと真正面から対峙する。


異形と化したエルドラは、天に掲げた巨大な火球をベネットに向けて振り下ろした。


「無駄だよ」


ベネットはそう言うと、おのが肉体を包み込もうとする火球を杖を掲げて消滅させる。

同じ威力の魔法を瞬時に生み出し、相殺したのだ。


その行動に目をつけられ、エルドラは更にベネットに向かって黒炎を放とうと手を掲げる。


「おやめ! エル!」


エルドラが魔法を放とうとした瞬間、その魔法を弾いたのはお師匠様だった。

しかしすぐにエルドラは強烈な衝撃波を解き放ち、お師匠様を弾き飛ばす。

弾き飛ばされたお師匠様は、何とか威力を殺し、足元から着地した。


「不敬な弟子にはお灸が必要だね」


ベネットは即座に速度ある光の魔法をエルドラに向かって放つ。

放たれた魔法は光の弧を生み出し、エルドラに巻き付いた。

拘束魔法だ。


しかし、エルドラの胸の星の核が怪しく光を放つと、その魔法は瞬時に消え去った。


間髪入れず、今度はエルドラが反撃に出る。

手から解き放った巨大な火球をベネットに解き放ったのだ。


「甘いよっ!」


ベネットは火球に杖を当てると、音もなく炎を消し去った。

すると立て続けに二発目が投げられる。


「何度やっても無駄だよ!」


ベネットが構える。

しかし、私はなんだか胸騒ぎがした。

あの火球には、別の意図が込められている。


「ベネット、違う!」


私の叫び声にベネットが反応するとほぼ同時に、二発目の炎はベネットの手前で拡散し、周囲の人に襲いかかった。

ベネットの意識が一瞬逸れる。

そこに更に三発目の炎が迫っていた。


しかし、それでもベネットの方が早かった。


拡散した二発目の炎を光魔法で相殺し、三発目の炎に向き直ったのだ。


その時。

三発目の炎に込められた悪意が、急に私に向くのが分かった。

全身を包むような怖気が走ると同時に、炎が軌道を変え、私に向かう。


三日月の様な真っ赤な笑みを浮かべたエルドラが、操作術で魔法を私に向けていた。


「ラズベリー!」


炎が私を包み込む、その瞬間。

私をかばって、ベネットがその炎を背中に受けた。

死の黒炎が、ベネットの全身を包み込む。


「ベネット!」


私は服を叩いて、必死に彼を包む炎を消化した。

幸いにも炎はすぐに消すことが出来たが、ベネットはぐったりとしている。


「ベネット! 起きてよベネット!」


「おい、来るぞ!」


ジャックの声でハッと我に返る。

四発目の炎を、エルドラは投げていた。


その炎を、とっさに前に出たソフィが風魔法で逸らす。

しかし火球の勢いは強く、ソフィの魔法をもってしても衝撃を殺しきれない。

軌道の逸れた火球は彼女のすぐ横で爆ぜ、衝撃で皆が吹き飛ばされた。


「みんな……!」


顔を上げ、ハッとする。

皆が地面に倒れ、エルドラの前に立っているのは、いつの間にか私だけになっていた。


エルドラの殺意が、真っ直ぐ私に向けられている。

次の火球を手に掲げ、まっすぐ私を捉えていた。


「ズベリー! 逃げて!」


ソフィが叫ぶ。

でも、駄目だ。

障害物はなく、逃げられる場所もない。


エルドラが、魔法を解き放とうとしたその時。

とっさに、エルドラを背後から抱きしめたのは、お師匠様だった。


「メグ……」


お師匠様と目が合う。

お師匠様は、一瞬だけ笑みを浮かべ。


「頼んだよ」


エルドラ姉さんと共に姿を消した。

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