第4節 師弟と家族と姉妹と

クロエの館に来て数日経った。


裏庭にある花壇をひたすら整え、精霊の森の土を使って花の栽培に勤しみ。

種を蒔き、水をやり、肥料を調整し、土の魔力の状態を観察し、記録する。


そんな生活が数日続いた。


精霊の森の土は、噂通り凄まじい力を秘めていた。

土の状態が変質し、その花に適したものへ変化していく。

精霊の加護が土にも宿っているのだろうと、勝手に納得する。


ここでの暮らしは、どこか私に、ラピスでの生活を思い出させる。


久々に穏やかな時間を過ごしている気がするのだ。

とは言え、こんなにのんびりしている時間はないはずだが。

ここに居ると何だか色んなことが気にならなくなる。


それはたぶん、都会と違って余計なものが一切ないからだろう。


電子機器も最低限しかない。

自然は豊かだし、景色も美しい。


特にすごいのが夜だ。

静寂の中で踊る精霊たちがホタルのように輝き、情景を幻想的に染め上げてくれる。

そんな光景を眺めながら、私はベッドに横になり、物思いにふけるのだ。

最高の贅沢かもしれない。


「そう言えば、ずっと前にソフィが異界祭りで精霊を呼び出してたっけ……」


精霊を見て、ふと思い出す。

一年も経っていないのに、もうずいぶんと前のことに思えた。


ソフィが使っていたのは召喚魔法だったっけ。

一般的な魔法と違い、召喚魔法はかなり特殊な部類の魔法だ。

かなりの専門的な知識が必要だと、お師匠様が言っていたことを何となく思い出す。


「ソフィ、元気かなぁ」


舞い踊る精霊たちの姿を眺めながら、彼女の顔が思い浮かんだ。


お師匠様や祈さんにも会っていないが、ソフィにはそれ以上に会っていない。

全世界を飛び回るパレードの名手なのだから、当然といえば当然だが。

結局色々あって、まったく連絡出来ていないのが気がかりだ。


とは言え、ここには電波が通っていないしな。

オルロフリリーの世話もあるし、しばらくここを離れるのは難しいだろう。


クロエは毎日、精霊樹の神木を見守るのに連日忙しそうにしている。

せっかく会えたのに、まともに話せたのは初日くらいだ。

私の相手をしてくれるのは、ウェンディさんしかいない。


「メグさーん、お茶入れたんで休憩にしませんかぁ?」


「あ、うん。今行くー!」


お昼時、いつものように花の世話をしているとウェンディさんに声を掛けられた。

呼ばれてすぐさま足を運ぶ。


クロエの館にあるテラス。

そこのテーブルにお茶菓子が用意されていた。


「うわぁ、美味しそう! マドレーヌだぁ!」


「ふふ、今日は少し時間が空いたので、腕によりをかけましたぁ」


近くの水道で手を洗って、お茶を口に運ぶ。

ウェンディさんの淹れてくれるお茶は、とても良い香りがした。


「ウンマこれ! めっちゃウマ! ウマッウマッ」


「慌てなくてもたくさんありますよぉ」


マドレーヌにがっつく私を、ウェンディさんは優しく見つめる。

改めて見ても絶世の美女だな。

抱かれたい魔女No.1だけでなく、世界美女ランキングにも入っているらしい。


「どうです? ここでの生活は慣れました?」


「うん。畑仕事が性に合ってるからなんか満たされちゃって。お肌ツヤツヤだよ」


「アハハ、それなら良かった。私も、メグさんが来てから毎日にぎやかで楽しいですよぉ」


「ウェンディさんは、ここでクロエのお世話をしてるんだっけ。寂しくない? ここでずっと二人で暮らすのは」


「私は全然。日中は魔法協会のお手伝いや、クロエ様の代行として七賢人のお仕事をすることもありますし。テレビに出たり、色々バタバタしていたらすぐに時間が経ちますから」


「そっか、そうだよねぇ」


「ただ……クロエ様は違うかもしれません。クロエ様は昔から、ほとんどこの森を出ていませんから」


「そうなの? 以前魔法式典で会ったのは?」


「式典が行われた聖地も、ここからそう遠くない場所にあるんです。あそこも精霊の力が強かったので、クロエ様も足を運べました。でも、クロエ様は理や精霊と同化する方ですから、精霊の祝福が薄い場所では体調を崩してしまうんです」


「そうなんだ……」


「クロエ様は、幼い頃からずっと、この森で一人で過ごしてきたそうです。私が来るまで、話し相手は精霊だけだったって」


「……ウェンディさんはどうしてクロエと?」


「私も、一人だったんです。行き場のなかった私に、クロエ様が居場所を作ってくれた。だからその恩を返すため、あの人を一人にしないために、ここに居ます」


 ○


私は魔導師の名家に生まれて、幼い頃から兄弟や親戚たちと能力を競い合う環境で育ってきました。

実力の優劣で両親からの評価が決まり、扱いに差が出るような家庭環境でした。


私はこの通り、少しトロいところがありますから。

成績はいつも最下位。

出来損ないの烙印を押されていました。


「お前は我が家の恥だ」

「あなたみたいな子が自分の娘だと信じたくない」


父と母は、何度も私にそう言いました。

両親にとって、能力がない人間は、たとえ実子だろうと価値がなかったんです。

兄弟たちも、そんな両親の影響を受けてか、私には冷たくて……。


幼い私に、居場所はありませんでした。


「もう嫌だよぉ……。家に帰りたくない」


そんな私がよく逃げ込んでいたのが、この精霊の森です。

勝手には入れない場所ですが、森は私を受け入れてくれた。

それが何だか嬉しくて、辛い時はいつも足を運んでいました。


誰もいない、私だけの場所。

そう思っていたんです。

でも違った。


「ウヌはどこから来たんじゃ?」


ある日、私に声を掛ける不思議な少女がいました。

髪の毛やまつげまで真っ白な、幻想的な見た目の少女。

それが、クロエ様との出会いでした。


なんて綺麗な人なんだろう。

クロエ様を最初に見た時、見惚れたのを覚えています。

怒られるかと思ったけど、クロエ様は森と同じように、私を受け入れてくれた。


「ウヌは家に帰るのが嫌なのか? 何でじゃ?」


「だって、酷いこと言われるから……」


「帰る場所があるのに帰りたくないとは、妙なことじゃな。そんなに帰りたくないなら、ここにいたら良いじゃろう」


「良いの?」


「その方が、わしも退屈せずにすむ」


クロエ様も、きっと寂しかったんだと思います。


クロエ様に精霊の森を案内してもらい、色んなことを教えていただきました。

毎日のように精霊の森に足を運ぶようになって。

いつしか、私はクロエ様の弟子としてここにいるようになりました。


 ○


「居場所がなかった私は、クロエ様に救われたんです」


「なるほどねぇ」


孤児だった私にとって、教養のある家庭で育った人は、みんな幸せに見えたけど。

名家には名家の苦しみがあるんだな。


「実家には帰ってないの?」


「はい。家族とは縁を切りました。家に戻るよう言われましたが、その気はありません」


「でも、言の葉の魔女の代理人だってこと、家族だとバレちゃうんじゃ?」


「私が偽物の言の葉の魔女であることは知ってると思います。言の葉の魔女は齢百歳を越えますから。私を見た時点で矛盾に気づいたでしょう。ただ、魔法教会の秘匿トップシークレットですから、漏らせば魔法界での地位は失います。それに、暴露するなんて下らないことはしないと思いますよ」


「どうして?」


矜持プライドがありますから……。名家としての」


そう言ったウェンディさんは、どこかさみしげな瞳を浮かべた。


彼女の言葉からは、歴史が感じられた。

実家が大切にしていた風習も、歴史も、誇りも、彼女の心で今も息づいているんだ。

縁を切ったとしても、彼女は名家だった頃のことを覚えている。


とうに捨てた過去でも、心の中には、かつて帰る場所だった思い出が残っている。

たとえそれが、辛い思い出でも。


すると、ウェンディさんは不意に、私の手を握りしめ。


「メグさん、ありがとうございます」


と突然礼を言った。


「クロエ様は、あなたのことをとても好いていらっしゃいます」


「何か気に入られてる気はしたけど。何でだろ?」


「きっと、メグさんが精霊を感じ取れる人だからじゃないかしら。クロエ様にとって、メグさんは初めて対等に話せるお友達なんだと思うんです」


「友達かぁ」


確かに、先輩魔女という感じでも、知り合いという感じでもない。

まだそんなに深く関わったわけじゃないけど、クロエとはもう友達のような感覚で話している。

ウェンディさんの言うことは、あながち間違っていない。


「正直、少し羨ましいです」


彼女はそっと目を伏せる。

どうしたんだろう。


「今となっては、私はあの人の対等な存在にはなれません。どこまで行っても私は弟子ですから」


「それは、たぶん違うと思うよ」


私が否定すると、ウェンディさんは不思議そうに私を見つめる。

少し照れくさくて、私は頬を掻いた。


「私もさ、お師匠様とずっと一緒だったから分かるんだよね。何というか、一応師弟ではあるけど、もはやその垣根は越えてるって言うか、家族みたいな感じだからさ」


「家族……」


「きっと、クロエにとって、ウェンディさんは弟子でもあり、家族であり、可愛い妹みたいな感じなのかもしんないよ?」


「そう……ですかね? そうだと嬉しいですけど」


彼女はそう言うと、少し首を傾げた。


「でも、私が妹っていうのは少し納得出来ません。年齢的にはそうでも、見た目はクロエ様の方が妹です!」


「あ、こだわりがあるんですね……」


一人で憤っているウェンディさんを見ながら苦笑していると、不意に草を踏む足音がした。


「そろそろ入っていいかい?」


そこには、いつものやんわりとした笑みを浮かべた、老人姿のベネットが立っていた。

何分待ってたんだろう。

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