オルロフ編 第13節 かつてこの地に生きた全ての者へ

すっかり陽が暮れた頃。

私たちは、オルロフリリーの花畑の中心に立っていた。

ここは、かつて両親が私を連れてピクニックをしていた広場だ。

太陽が沈んだことで、この場所は今、オルロフリリーの幻想的な光に包まれている。


「ねぇお弟子さん、ここでいいのぉ?」


「うん、大丈夫、ありがと……」


「あんまり、無駄に体力を、使わせないで、下さい」


そして私たちは、全員息が上がっていた。

それもそのはずで。

私たちは、三人がかりでようやく運べるほどの大きな岩を、ここに運んできたのだ。


「それでぇ、こんな大きな岩、どうするっていうのさぁ?」


「石碑を作ろうと思って」

「石碑ぃ?」


「うん。この街で死んだ全ての人……この街に関わった全ての人が、安らかに眠れるように」

「追悼ってことですか」


私は頷く。


「今から私は、かつてオルロフに関わった、オルロフに生きた人たちを追悼しようと思う」


「祈りを捧げるのですか?」


「ちょっと違う。感情魔法で街に残った思い出や、記憶や、想いを集めて、空へ解き放つ。帰る場所を失った、寄る辺のない想いたちを」


かつてオルロフに生きた、沢山の人たち。

彼らがまだ生きているかもしれないという、淡い望みが私たちの中にはあった。


でも、みんな薄々は気づいているんだ。

もうこの街の人たちはみんな、死んでしまっているということに。


もし、この世界に魂というものが存在するのであれば。

私が街で聞いた声は、きっと肉体を失ってさまよっている魂の声だったんだと思う。


残された想いや感情、記憶。

魂は言わば、その集合体だ。

私が街で聞いた魂の声はどれも、行き場をなくしているように思えた。


「でもお弟子さん、ここで魔法を使うのって危なくないかなぁ? 汚染地域でしょ?」


「そうですよ。こんな汚染地域の中心で魔法を使うなんて、何が起こるかわからない」


「それは大丈夫だと思う」


私が言うと、二人は「えっ?」と驚いたように目を丸くした。


「確証はないんだけど、私、一つ気づいたことがあるんだよね」

「気づいたこと?」


「このオルロフリリーの花畑には、魔力鉱石が一つもない。その理由に、私は何となく気づいたんだ」


「……そう言えば、地下鉄を抜けてからこの区域一帯では全く見かけませんね」


不思議そうに首を傾げるリーくんに、私は首肯した。


「それはたぶん……オルロフリリーが、この土地を浄化したからだと思う」


オルロフリリーは魔力を栄養に変え、繁殖する植物だ。

もし、大量の魔力に汚染されたオルロフの土地を、長い間オルロフリリーが浄化してきたのだとしたら?


わずかに残ったオルロフリリーが繁殖し、少しずつその数を増やし。

誰も近づけなくなったこの土地を、踏み入れられるレベルにまで回復させてくれた。


オルロフの地は、まだ死んでなんかない。

もう一度、かつての姿を取り戻そうとしているんだ。


「オルロフリリーが浄化したこの場所なら、この土地に存在する人々の思いを、追悼出来る」


だから、信じてほしい。

言葉にはせず私が見つめると、リーくんは何故だか呆然とした顔で私を見つめていた。


「何故だろう……不思議です」

「何が?」


「メグの言葉には何の根拠もない。リスクの方が遥かに高い。それなのに……僕は今、君を信じたいと思っている」


するとオズが「いひひ」と、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「僕はその理由、よぉくわかるけどねぇ」

「どういうことです?」

「だってさぁ、ほらぁ、見てみなよぉ」


オズはそっと、私の顔を覗き込む。


「中東の時と同じだよ。お弟子さん、何かやるって顔してる。子供みたいにさ」

「……私、そんな顔してる?」

「してるしてる」


ペタペタと、自分の顔を触って確かめる。

そういえば、昔から自信がある時はいたずらっぽい顔になるとか言われてたっけ。

私はなんだかおかしくなって、そっと空を見上げた。


雲ひとつ無い満天の星空と、ほのかに輝くオルロフリリーに囲まれたこの場所は、まるで星の世界に立っているかのように幻想的で。


大切な人を見送るには、最適な気がした。



私は、静かに天へ手をのばす。



指先に意識を集中させる。

天に輝く星々を掴むような気持ちで、手のひらをそっと握り込む。

そして、静かに思い出すんだ。


中東で、ベネットの感覚を借りて色んな人の感情を感じたこと。

南アジアで、アニクの記憶に触れたこと。


今まで私がたくさんの涙に触れてきたことを。


中東でベネットとやった、大魔法の感覚をもう一度。

今度は一人で再現する。


「みんな、ここに集まって……」


私は手を伸ばし、そっと呼びかける。

この街に眠る、死せる者の魂を。


すると、不意にどこからか、青白く光る玉のようなものが飛んでくるのがわかった。

それは、誰かの感情や想いや記憶が、目に見える形に姿を変えたもの。


魂だった。


私は、もっともっとたくさんの魂に呼びかける。

星に手を伸ばし、どこまでもどこまでも遠くへ。


 ○


私たちが落下したあと、ベースキャンプに戻ったベネットたちは、急いでジャックに事の次第を話した。


「早く助けないと! 一刻を争うんだ、ジャック!」


「落ち着けベネット! 俺らが今焦っても仕方ねぇだろ! 魔法協会にすでに知らせは入れてある。地下の調査は元々想定になかった。救援が来るまで耐えろ!」


「でもそれじゃあ間に合わなくなるかもしれない!」


穏やかだったベネットがそこまで慌てる姿を見せるのは、初めてだったかもしれない。

ベネットがテントを出ると、旅の仲間たちが悲壮な表情で彼を見つめた。


「ベネット! 七光りは!? あの子どうなったんです?」


すがりつくように尋ねるシャオユウに、ベネットはただ「すまない」とだけ答えた。


ルナはテレスさんに寄り添って涙を流し。

アボサムは静かに顔を落とした。


「あのピンク髪と、小生意気な小娘が死ぬわけ無い。そうでしょう? ベネット」

「……わからない」


乾いた笑みを浮かべるヨーゼフに、ベネットはただ首を振ることしか出来なかった。

シロフクロウとカーバンクルは、不安気に地面からベネットを見つめていた。

そんな彼らを、ベネットはそっと肩に乗せる。


他のメンバーも、皆が深刻な表情を浮かべていた。

まるで葬儀のように、辺りには絶望と悲しみが満ちていた。


「ラズベリー……」




陽が傾き、不安や悲しみが渦巻く中でも、ベネットは魔力探査を続けた。

そして、そんなベネットの元を、シロフクロウとカーバンクルは片時も離れなかった。


杖をついて街に向かい意識を集中し、私たちの魔力を探る。

しかし、飽和した魔力に包まれたオルロフの地では、たとえ世界最高の魔導師といえども、まともな魔力探査は不可能に近かった。


夜になり、空一面に星が瞬く。

光のないオルロフの地で、星々の輝きは異様なほど映えた。


「ベネット、まだやってんのか」


いつの間にか傍にジャックが立っていた。

彼はコーヒーの入ったマグカップをジャックに渡す。


「いい加減休め。お前まで倒れたらどうすんだ」


「すまない、ジャック。でもやらせてほしい。ラズベリーたちが事故に遭ったのは、僕の監督責任だ」


「ベネット……」


その時。

最初に異変に気づいたのはベネットだった。


「ジャック、何か妙じゃないか?」

「妙? 何がだ?」

「気配が、おかしい……」


ベネットが口にするのと、二人の目の前を青白く光る玉が通り過ぎていくのはほぼ同時だった。


元より、魔力に精通した七賢人の二人である。

これまでに数多くの異形を目の当たりにし、怪異とも対面してきた。

いまさら霊魂を見たとしても、彼らにとっては動揺する理由にはならなかっただろう。


だが、その時は違った。

二人は不意に、何かを悟った。


「行こう、ジャック」

「あぁ……」


留守を他のスタッフに託し、二人は誘われるように光を追う。


自分たちが戻らなければ、魔法協会を頼れ。

その言葉だけを仲間に残して、ジャックとベネットは街を走った。

彼らの後ろには、シロフクロウとカーバンクルが着いてきている。


やがて彼らは街を抜け、開けた農業区域へと足を踏み入れた。


「何だよこれ……」


その光景に、ジャックは思わず声を上げる。


遙か遠方に、巨大な光の玉が浮かんでいた。

それは正確には、集合体だった。


先ほど見かけた魂。

それが何百、何千、何万と集い、一つのかたまりのようになっている。


規格外の規模の魂の集合体が、そこに存在していた。


そして、彼らは同時に目にした。

その規格外の魂を集わせている、一人の魔女の姿を。


「あぁ……」


まるでため息を漏らすように、ベネットは感嘆の声を上げる。


「ラズベリー……君はどこまで僕を驚かせるんだい」


 ○


オルロフに生きた人々の魂が集まっている。

渦を巻くような感情の中に、沢山の人の声を感じた。


まるで映画をいくつも上映しているかのように、沢山の情景が脳裏に流れる。

ここにあるのは、記憶と、思いと、感情。

かつてこの街に生きた人たちが生きた軌跡なんだ。


「すごい……」


オズとリーくんが、どちらともなく声を上げる。

私たちは今、同じものを見ていた。


天に瞬く星々と、オルロフリリーの光に包まれた、まるで満月のように輝く、魂の集合体を。


見ていてちっとも目に痛くない。

むしろ、何時間でも見ていたくなるような、美しくも幻想的な光だ。


この光は、私の魔力と感情の呼びかけに呼応して、ここに集った。

それが魔法かどうかは、もう私にはわからなかった。

ただ……途方もなく膨大な力を、自分が使っていることだけは確かだった。


一つ、また一つと魂が天へ昇っていく。

昇っていく魂は、消えていく瞬間。

一瞬だけ、生前の姿を映し出した。


不意に、一人の男性が、こちらに向かって手を振った。

その男性に、リーくんが手を伸ばす。


「父さん……」


天へと昇る父に向かい、リーくんは手をのばす。

しかしその手は、空を切り、彼の父は静かに姿を消した。

リーくんからこぼれた涙は、静かに頬を伝い。


やがてポチャリとビンへ落ちた。



「すごいよ……お弟子さん」


不意に、呟くようにオズが言う。


「こんなすごい光景があるなんて、僕の父さんにも見せてあげたかったなぁ」


笑みを浮かべたオズの瞳から溢れた涙もまた、ビンへと落ちた。



いくつもの魂が、天へと昇っていく。

すると、私の周囲を囲むように巡っていた二つの魂が、人の姿を形どった。


優しそうな女性と男性。

私はその姿を、よく知っている。

彼らはそっと、慈しむように、私の頬へと手を伸ばした。


大きくなったね、メグ。


言葉を聞いたわけじゃない。

でも確かに、そう言われたのがわかったんだ。


私は泣かない。

そのかわりに、大きく笑ってみせた。

彼らが安らかに逝けるように。

私を愛してくれた人たちが、ただ静かに眠れるように。


お父さん、お母さん。

私、ちゃんと幸せに生きているよ。

だから。



「私を愛してくれて……ありがとう」

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