オルロフ編 第12節 思い出

見覚えのある、不思議な家。

木製のドアを開くと、少しだけ埃っぽい廊下が視界に入ってきた。

外と同じように、中にも破損した様子はない。


「何かの施設かと思いましたが、普通の民家のようですね」


リーくんが言いながら中に入っていく。

オズもその後に続いた。

だけど私は、足が上手く踏み出せなかった。


「どしたのぉ? そんなところでボーッとして」

「えっ? う、うん。何でもない」


家に一歩足を踏み入れる。

少し寒いくらいなのに、なぜか額からは汗が流れていた。

廊下を歩くと、ギシリと軋む音が鳴る。


小さな家だった。

キッチンに、リビングに、夫婦の寝室。

すっかり古びてしまっているけれど、ここまで状態の良い家はオルロフでは珍しい。


キッチンは片付けがされていたらしく、幸いにも腐った食べ物はなかった。

冷蔵庫の中は……開けない方が良いか。

リビングには家具がいくつかと、赤ん坊の遊具やベビーベッドが置かれている。

寝室には大きなダブルベッドに、手製らしい本棚、読書用の机なんかがあった。


赤ん坊と、夫婦と、親子三人で慎ましく暮らしていた。

そんな印象を受ける家だ。


「結構しっかりしてるよぉ、少し掃除すれば寝床には出来そうだねぇ」

「陽も傾いてきましたし、今夜はここで泊まったほうが良いかもしれません」


二人が話しているのを横目に、私は家の中を見渡す。


衣装ケース、テーブル、イスの形まで。

全てどこか、見覚えがある気がした。

記憶にないはずの情景が、何故だか心に浮かぶ。


テーブルに置かれた、赤ん坊用のイス。

私は、ここに座っていた。


遊具も見覚えがある。

この小さなクマのぬいぐるみは特にお気に入りで、家にいる時はいつも手に持っていた。


広いリビングの中央で、私はお気に入りのアニメを見ていた。

意味は全然わからなかったけれど、私はそれが好きで、いつも大きな声で笑っていたんだ。


呼吸が少しずつ荒くなる。

感情を、まともにコントロールできない。

体がふらつく


私が壁際にもたれかかると、近くに写真があるのがわかった。


小さな写真立て。

そっと、手にとって見る。


ここに暮らしていたであろう、三人の人が映っていた。


「あ、ああ……」


思わず声が漏れ出て、写真を離してしまった。

ガタッと音がして、オズとリーくんがこちらに近づいてくる。


「お弟子さん大丈夫ぅ? どうかしたぁ?」

「顔が青いですね。ずいぶん具合が悪く見えますが」


心配そうな二人に、私は小刻みに頷いた。


「私、この家知ってる……」

「えっ?」

「ここ、私が生まれた家だ……」


写真に写っていたのは、私が潜在夢で見たあの女性だった。


 ○


自分のルーツを知りたい。

そう思って、ラピスを飛び出したけれど。

私は何のためにここまで来たのか、目的がずっと見えないままだった。

ただ、故郷を見てみたい……その一心で、ここまで来た。


答えが、ここにあった気がした。


赤ん坊の頃の記憶なんて、覚えているはずがないのに。

何故か私の中には、鮮明に焼き付いているような気がするんだ。


大好きで、たくましい体をした父。

いつも私を高く抱きかかえてくれた。

父に抱かれると、護られているような気がして、安心して眠ることが出来た。


優しくて、キレイだった母。

いつも私に優しく微笑みかけてくれた。

母が声をかけてくれると、不思議と心が落ち着いて、私まで笑顔になれた。


朝、キッチンで母が料理をしている。

香ばしいパンの焼ける音がして、その匂いに惹かれて父が起きてくる。


私の頬を撫でて父がだらしない顔をしていると、母が呆れたように声をかける。

父は母の声に促されて、しぶしぶ私から手を離し、顔を洗う。


その日は仕事が休みで、両親は私を連れて近くの花畑にピクニックに出かけた。


オルロフリリーの咲く花の丘。

その中心に、花の咲いていない不思議な広場がある。

そこにシートを敷いて、三人で穏やかな日差しを浴びる。


私が花に興味津々になっていると、止まっていた蝶が飛び、驚いてひっくり返ってしまう。

そんな私の姿を見て、両親はおかしそうに笑い合うのだ。


どうしてそんなことを覚えているんだろう。

それはわからない。

だけど、自分が何のためにここに来たのかは、わかった気がする。


私は確かに、愛されてこの世に生まれてきた。


ただそのことを知るためだけに、私はここに来たんだ。


 ○


「どうかなぁ? ちょっとは落ち着いたぁ?」


陽が傾いて、すっかり世界が夕日に染まった頃。

窓から外を眺めていた私の様子を伺うように、オズが声をかけてくれた。


そんな彼に私は「うん、ごめん」と微笑む。


「それにしてもびっくりしたよぉ、まさかここがお弟子さんの実家なんてねぇ」


「私も驚いた。オルロフに来た頃から、可能性は感じてたけど。もし自分の家を訪れても、絶対にわからないだろうなって思ったから」


「でも、どうしてわかったんですか?」


食べ物を求めて戸棚の中を探索しながら、リーくんが疑問を浮かべる。

そんな彼の疑問に、私は答えた。


「それはたぶん、この家に残った両親の思い出や感情に、私が触れたから」


「感情に……触れる? 何ですそれは」


「リーは知らないのぉ? 遅れてるねぇ。お弟子さんはねえ、感情魔法の使い手なんだよぉ」


するとリーくんはムッとした顔を浮かべた。


「……感情魔法なんて、聞いたこともありませんけど」


「古い魔法の使い方なんだ。でも、時代と共に廃れたってジャックが言ってた」


私はそっと、両親の写真に目を向ける。


当時の私は、生後一年経つか経たないかというくらいだ。

たとえ私の記憶だったとしても、記憶にあるはずがない。


私はこの旅の中で、沢山の人の感情に触れてきた。

だから感覚が研ぎ澄まされて、土地や場所が持つ記憶を、体が無自覚に読んだんだ。


街で起こった現象が、再び私に起こったのだとしたら。

私はやはり、この場所に残った記憶に触れたのだろう。

両親が、私を愛してくれた記憶に。


とても温かい記憶だった。

でもその温かさを、失ったとは感じなかった。


だって、私が両親から受けるはずだった沢山の愛を、代わりにくれた人が居たから。


「……もうすぐ夜になるねぇ」


オズが窓の外を眺める。

陽はもう沈みかけており、空は宵色が混ざり始めていた。

そして同時に、窓から見えるオルロフリリーの花畑が、ほのかに輝き始めている。


「保存食が有りました。賞味期限もまだ切れていない。今日はこれを食べて早く寝ましょう」


「えぇ~? そんなの食べるのぉ?」


「自覚はなくても体は消耗しています。多少無理してでも食べるべきだ」


「気乗りしないなぁ」


「ねぇ、二人とも」


私が声をかけると、二人はピタリと言い合いを止め、不思議そうに私を見た。


「一つだけ、お願いがあるんだけど、いいかな」

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