オルロフ編 第1節 帰国
草原の中を、一台の車が走っている。
その中に私は乗っていた。
虚ろな目をして、空を眺めながら。
「さっきからずいぶん静かだと思ったら。なんだか不機嫌そうだね? ラズベリー」
助手席から、なんだかからかうような表情でベネットが様子を伺ってくる。
私はフンと鼻を鳴らした。
「聞いてくださいよベネット。中東で私、何粒嬉し涙を手にしたと思います?」
「さぁ。あれだけ沢山の人を助けたんだ。百は行ったんじゃないかい?
「一粒ですよ! 一粒! あんだけ苦労して! 歩き回って! 古代魔法まで撃ったのに! あたしゃ一粒しか手にしてないんですぜ!」
「だからそんなむくれてたんだね」
「そりゃね、むくれもしますよ」
中東での出来事はまだ記憶に新しい。
失われた魔法を復活させ、死んだ大地に豊穣の恵みを与えた。
それは間違いなく、中東の再建に結びついたはずだった。
しかしながら、現地の人は誰もそんなことを知らない。
カウサルさんたちくらいは知ってくれていると思うけど。
逆に言えば、国を巻き込んだのにそれだけなのだ。
私がやったことは、まさしくボランティアだったのである。
私は何気なくベルトに引っ掛けていた嬉し涙のビンを取り出した。
フリフリと振ると、ポチャポチャと液体が音を鳴らす。
ずいぶん沢山集まった。
もう三分の二以上は溜まっている。
「あーあ、アクアマリンで使っていなかったら、今ごろ千粒集まってたのかなぁ」
もちろん後悔はない。
あの時、みんなを助ける手段は間違いなくアレしかなかった。
だけど、どうしても『もしも』のことを考えてしまう。
我ながら女々しいものだ。
とはいえ、こちとら命がかかっとるんやから女々しくもなりますがな。
私がボーッとビンを眺めていると、横に居たシャオユウが「うげっ」と乙女らしからぬ声を出し、顔を歪めた。
「それもしかして、全部人の涙? あんたそんなもん集めてんの?」
「ちょっとやむにやまれずね」
「気持ち悪ぅ……。ファウスト様の魔法かなんかに使うの?」
「ま、そんなとこ」
「人の涙を使う魔法なんて聞いたことないわよ」
「ずいぶん古い魔法みたいだからねぇ」
ふぅ、とため息を吐く。
「中東で手に入ったのはシャオちゃんの一粒だけかぁ」
その言葉に、シャオユウはうん? と怪訝な顔をした。
「私、嬉し涙なんか流してないけど……」
「流してたよ? カウサルさんの家で泣いてたじゃん。そう、この私のために」
すると、徐々に思い出してきたのか、シャオユウの顔が真っ赤になっていく。
「あ、ああああ! あれはちがう! 忘れて! その涙も捨てて! 今すぐ!」
「やだよー。私の宝物だもんね」
「勝手に人の涙を採取して宝物にするな!」
私たちが二人でキャッキャウフフしていると「相変わらずやかましい小娘たちだな」と声を掛けられた。
ヨーゼフである。
シャオユウを挟んだちょうど反対側の席で、呆れたような表情を浮かべている。
しかし、その顔は、以前と違ってどこか優しい。
前はもっと嫌味っぽかったと言うか、言葉にも棘があったし、顔にも悪意があった。
それが今や、ずいぶん優しくなったもんだ。
「二人のやり取りも、もうすっかりお馴染みだねぇ」
後部座席に座っていたオズが、不意にクスクス笑い始める。
ひとしきり笑ったあと、彼は私のビンをジッと見つめた。
「僕も気になるなぁ。お弟子さんがどうして嬉し涙なんて集めてるのか」
「……言ったんじゃん。やむにやまれぬ事情だよ」
「ふぅん?」
不思議そうなオズの視線から逃れるように、私は外に目を向けた。
もう旅も終盤だ。
旅が終われば、彼らとは離れ離れになる。
私の余命の話は、この人たちには言いたくない。
余計な心配を掛けて、この出会いを悲しいものにしたくないんだ。
今は……量的に七百粒弱か。
余命まで、残り二ヶ月と少し。
中東でもっと手に入ると思っていたから、助かるかどうか微妙なところになってきた。
少なくとも、大量に涙を手に入れられるような機会がなければ間に合いそうにない。
「ベネット、景色が変わってきましたよ」
「あぁ、わかってる。もうすぐだね」
アボサムとベネットの会話が耳に入ってきて、私は外に目を向ける。
晴れていた空は曇り、生い茂る草原が私の視界に広がっている。
ただ、その草に、先程までにない違和感を抱いた。
草がキラキラと、何か輝いているのだ。
「なんだろう、あれ……」
「魔力鉱石だよ」
ベネットが答えた。
「草に魔力鉱石が付着しているんだ。ここはかつて魔力に汚染された区域だからね。気化した高濃度の魔力が、草に付着して、結晶になってるんだよ」
「へぇえ、そんなことが」
普通では考えられない現象だ。
物珍しい光景に目を惹かれていると、不意に前方に大きな建物郡が姿を現した。
街だ。
「見えたよラズベリー。あれが、僕たちの追い求めた場所だ」
美しい草原に囲まれた大都市。
「あれが……オルロフ」
それは、私の故郷だった。
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