中東編 第13節 豊穣の大地

樹の根本から出た時には、すでに陽が傾き始めていた。

帰り道の途中、茜色の夕陽が射し込む中、私はベネットにあるお願いをする。


「あぁ、構わないよ」


願いを聞いたベネットは、快く頷き、その場に座り込んだ。


「ラズベリー、良いのかい? こんなひっつく格好で」

「良いの良いの。ま、世界に名だたる美少女に密着出来るなんてそうないからね。役得だよ」


あぐらをかいたベネットの間に、私がちょこんと座る。

必然的に私のお尻がベネットの足に乗る形になった。

傍から見れば祖父に懐く孫の姿に見えるかもしれない。


二匹の使い魔は、シャオユウに抱き抱えられ、遠巻きに私を見守っている。


「自分で美少女だって。自信家だねぇ」

「本当の美少女は自分で言わないけどね」

「そこ! 聞こえてるから!」


オズとシャオユウを睨みつけ、気をとりなして呼吸を整える。


ここからは大一番だ。

視界には、伸びゆく根と中東の大地が広がる。

私たちが今まで走ってきた景色が、そこにあった。


「おい、どうするつもりだ?」

「アスラの魔法を使って、豊穣の大地を取り戻す」


私が言うと、ヨーゼフは「どうやってだ?」と尋ねてくる。


「今からベネットに、この樹に流れる魔力を感じ取ってもらう。その感覚を私と共有する。この樹の根はかなり遠くに広がってるから、必然的に私は、たくさんの人の想いや感情に触れられるはず。それを魔法に昇華する」


「何、その合体技みたいなの。そんなことが可能なの?」


目を丸くするシャオユウに、私は「出来ると思う」と答えた。


「私がやることはただ一つ、皆の心に意識を向けるだけ。細かいことはベネット任せだけど」

「やれやれ、ラズベリーは無茶ぶりが多いね」

「でも、出来るでしょ?」


すると、ベネットはにこやかに笑みを浮かべた。

彼は絶対に、出来ないとは言わない。


「人の心に意識を向けるなんて魔法、僕、聞いたことないけどなぁ」

「私もです。ミス・メグはそんな器用なことが出来るのですか?」

「鍛えたからね。今の私なら、多分出来ると思う」


南アジアで培った、人の心に触れる感覚を私は忘れていない。

その感覚は、中東に来て、より洗練されているように思えた。


人の心だけじゃない。

その土地に宿る記憶や思い出すらも、今の私は気づくことが出来る。


だから、それを魔法に繋げることが出来れば。

アスラの豊穣を生む魔法は、きっと発動する。


「ラズベリー。魔法を使うのは良いんだが、魔力はどうやって用意するんだい?」

「魔力なら、ここにあるじゃん」


ペチペチ、と私は樹を手のひらで叩く。


「私がやるのは、アスラの魔法の再現だけじゃない。広域に渡るアスラの魔法は、巨大な魔力を必要とする。それを、この樹に流れる魔力を使って発動する」


「なるほどね……そうすれば、この中東の復興を阻む樹の影響を弱めることが出来るってわけか」

「そういうこと」


中東がここまで荒れ果てているのは、土が死んだからだけじゃない。

建物の再建や、街の修繕を阻む樹の存在が、この土地を荒廃させているんだ。


魔力汚染にあった樹の根は、死してなお土地を蝕み、どうやっても駆除できない。

まずはその状況を変えないといけない。


本当にそれが出来るか確証はない。

でも、やってみたいと思う。


私はずっと、この土地に住む人たちの想いと声を、聞いてきたから。




「それじゃあ、行くよ、ラズベリー」

「あいあいさ!」


ベネットが目をつむり、意識を集中させる。

彼の内側に意識を向け、私も目をつむった。


風もない。

音もしない。

ただ、静かな緊張感だけが、そこにある。


背中に、ベネットの体温を感じた。

彼の心臓が、ドクンドクンと脈打っているのを感じる。


そこに意識を集中させていると、自分の視野が広がるのを感じた。

手足が何本も生えているように、感覚意識が拡大していく。


――もう一度この場所に平和を。

――アスラ様、どうか導いてください。

――昔みたいに暮らしたい。


聞いたことのない声が脳裏に飛び込んでくる。

それは、この土地に住む人たちの声だった。


今、私はベネットを通じて、この樹の魔力を感じ。

そして魔力を通じて、この中東に住む人達の想いを――感情を感じている。


その想いが魔法の糧となり。

私の魔法を、細部にまで届かせてくれる導線となる。


私はそっと、呪文を紡ぐ。


「かつて大地が人を生んだ」


詠唱と共に、光が生まれるのがわかった。

私たちの足元から、大きな光が輝き出す。


「人は神に語りかけるため」


それは樹の中に流れる魔力を伝って、大きく広がっていく。

まるで波紋が生まれるように、光が波打って、彼方まで広がる。


「言葉を授かった」


光がやがて土に渡ると、次は樹の根を中心に、土の中を拡散していくのがわかった。

光はやがて、この中東の土地の全域にまで渡っていく。


「正しき言葉はここにある」


不意に、土から光の玉が浮かび上がった。

ふわふわと浮かび上がるそれは、生命を宿している。


土の精霊が、眠りから目覚めたのだ。


中東の精霊たちは、死んでなどいない。

ただ、土が力を失い、長く眠りについていただけ。

その精霊が、今、生命の息吹を宿したように舞い戻っている。

溢れ出た魔力の影響か、誰の目にも見える形で。


「我らの声に」


人々の驚愕の声を感じる。

樹の根の魔力が土に宿り、そして生まれようとしている。


「神は答える」


私は、目を開いた。

その瞬間見た光景は、多分一生忘れない。


視界一面に光が広がり、大地が輝きを放ち。

黄金の大地の上を、嬉しそうに精霊たちが舞っている。

止まっていた風が吹き、風が土を撫でると、精霊たちはゆっくりと流された。


私は、最後の一節を唱える。


「豊穣の大地を蘇らせて」


刹那。

大きく輝いた光が、いっせいに空へきらめいた。


乾いた大地に草木が伸び、樹から拡散された魔力が大地を巡る。

砂に澱んだ空気はかつての透明度を取り戻し、溢れ出た魔力は、生命を躍動させる。



夕陽に照らされた豊穣の大地の風景が、そこにあった。



「すごい……」


私は思わず呟き、立ち上がる。

輝きの中に歩を踏み出し、そっと景色を眺めた。


周囲にたくさんの精霊が近寄ってくる。

私は光の一粒一粒に手を伸ばす。


「やった……みんな! アスラの豊穣の大地が、戻ってきた!」


私は笑みを浮かべ、みんなの方を振り返る。

すると、なぜだか全員、呆然とした様子で私を見つめていた。


「何、どうしたのさ呆然として」

「アスラだ……」

「はっ? アスラ?」


意味がわからない。

すると、突然ベネットが「クックック」と静かに笑った。


「ラズベリー、今の君は、まるで黄金の草原に立つ伝説の魔導師アスラじゃないか」


黄金の草原の中に、一人の長いひげをした男性が立つ。

彼は手には杖を持ちどこか遠くを見つめている。

男性の周囲には光が満ち、その姿は豊穣の大地の到来を示す。


魔法に照らされた光の中に立つ私は、遺跡の壁画の姿にピタリと重なっていた。


「ああ、ラズベリー。君は本当にこの世界を変えるかもしれないね」


嬉しそうな顔をしたベネットの言葉が、深く心に焼き付いた。


 ◯


魔法光が収まったころ、私たちはようやく車へと歩き出した。

中東の土地を回復させることは出来たものの、当の私たちはもうクタクタだ。


「さて、これで中東の旅も終わりかぁ」

「そうだな……」


夕陽に照らされた美しい草原を眺めながら、ヨーゼフが答える。

その表情は、どこか憑き物が落ちたようにも見えた。


「ねぇ、ヨーゼフ」

「何だ」

「もう一度さ、夢を追ってみたら?」


私が言うと、彼は怪訝な顔でこちらを見た。

構わず私は続ける。


「ヨーゼフが遺跡に呼ばれたのは、きっとアスラの意思だよ。ヨーゼフだけが、アスラの言霊を理解出来た。実際、ヨーゼフが居なかったら、私はこの魔法を紡げなかった」


「偶然だ……そんなの」

「そうかな」


中東の大地に目を向ける。

風が優しく、汗に濡れた肌を乾かしてくれた。


「私ね、思うんだ。過去は今に繋がってるって。ヨーゼフがたくさんの仲間と歩んだ日々が、今と繋がったんだ。だから、夢を捨てたなんて言わないでよ。全部終わったらさ、また、夢を追いかけたらいいじゃん」


「……お前には、何か夢があるのか」

「あるよ」


私は小さく頷いた。


「生き抜くこと。そして、みんなを驚かせるようなすごい魔導師になるんだ」

「何だその夢は。まるで子供だな。だいたい、すごい魔導師ならもう――」


彼はそこで口をつぐんだ。


「何か言った?」

「何でもない。どの道、いまさら夢を追うなんて出来ん。そんなこと、許されるはずがない」

「いいんじゃないかな」


声を掛けたのは、オズだった。


「何年掛かってもいい。かつて憧れた世界と、もう一回向き合ったら? きっと、その方が彼も……ジェイドも喜ぶ」

「綺麗事を」


ヨーゼフはそっと空を仰ぐ。

釣られて見ると、天に月が昇っていた。


「でもまぁ、考えておこう」


沈みかけた夕陽と、宵の色彩を孕んだ空のグラデーションに、月はよく映えた。




豊穣の大地は復活を遂げ、魔力を使い果たした災厄の樹はただの樹木と化した。

やがて人々は、そのことに気がつくだろう。

魔導師アスラが導いた国は、再興へ向かい始めたのだ。


ただ、きっかけとなったのが、どこぞの田舎娘と小太りのおっさんだと、誰が思うだろう。

想像すると、何だかおかしくなって、ついつい笑ってしまう。


風は草原を揺らし、魔法の光が収まってもなお、私の目には、美しい精霊の姿が映っている。

ふと、揺れる草木の中に、私たちに手を振る人々の姿が見えた気がした。


かつてこの土地を愛した人々。

その中心に、長いひげを携え、杖をついた穏やかそうな男性が立っている。


私は誰にもバレないように、そっと彼らに手を振った。

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