中東編 第12節 アスラの魔法
「あなたと会えて良かったわ。どうかご無事で」
「お嬢さん、アスラ様の言葉を忘れんようにな」
「うん、ありがとう。カウサルさんたちも元気でね」
見送りに来てくれたカウサルさんたちに別れを告げ、私たちはスピネルの街を出た。
中東の旅も、もう終盤だ。
「それで、結局どうする?」
車内にて、不機嫌そうにヨーゼフが尋ねてくる。
「本来ならこのまま迂回してオルロフへ向かうことになっている。言霊はとうとう見つからなかった。この国を救うヒントはもうない」
「言霊なら見つけたよ?」
「はぁっ!?」
私の言葉にヨーゼフは驚いたように目を見開いた。
「見つけたってお前……どこで!」
「スピネルでカウサルさんのおじいちゃんが教えてくれたんだ。特別だって」
「そう言うことはもっと早く言え!」
怒り狂うヨーゼフに「うるさいわねぇ」とシャオユウが顔をしかめた。
「叫ばないでよ。狭いんだから」
「この小娘が重要なことを黙っとるからだ!」
「あはは、ごめんごめん。なんか色々あったから伝えるのがすっかり抜けちゃってたんだ」
「ねぇ、前から気になってたけど、その言霊って何の意味があるの? それを見つければ、この土地を救えるっていうの?」
「それは……わかんないけど」
私が答えると、シャオユウは「えっ」と漏らした。
「確証もないのに遺跡を巡りしてたってこと?」
「魔導師アスラは、魔法で中東の土地を育んだって聞いたから。もし、その魔法が再現できれば、もしかしたらって思ったんだけど……」
「でもそれって古代の魔法でしょ? 現代で使えるかなんて分かんないじゃない」
「確かに、確立された方法じゃない」
言葉を継いだのはヨーゼフだった。
「だが、今の中東の状況は、かつてアスラが救った時の状況とよく似ている。言霊が揃えば、可能性はある」
「言霊って、あといくつあるのよ」
「残る言霊は一つ。最後の言霊は災厄の地にあるってカウサルさんは言ってた。残ってるか分からないけど、行ってみたい」
私の言葉を聞いて、ベネットは「決まりだね」と笑みを浮かべた。
「災厄の地に行こう」
車は、災厄の地へと急ぐ。
本来は木の影響を避けるため、スピネルを過ぎたら迂回する予定だった。
私たちは進行が困難なルートを進むことになる。
迂回していくジャックたち医療チームとは、一時的に別行動だ。
「あぁ……そうだね。すまない。必ず追いつくよ。あぁ、ごめん」
ベネットが電話で平謝りしている。
ずいぶん文句を言われているらしい。
何度も頭を下げていた。
「シャオちゃん、ベネットって誰と電話してるの?」
「ジャックだって」
「なるほど……」
あのヤクザみたいな医者には、世界一の賢者ですら頭が上がらないらしい。
珍しい光景に、車内の皆が好奇の目を寄せる。
その中で、ヨーゼフだけがどこか沈んだ表情を浮かべていた。
「ヨーゼフのおっちゃん、静かだね」
「思い出していた」
「何を?」
「最初の遺跡にたどり着いた時のことだ。招かれた気がした」
「招かれた?」
「遺跡が忘れていた記憶を思い出させたんだ。捨てたと思ってたかつての記憶を。呼ばれたと、そう思った」
「それで遺跡に寄らせてくれって言ったの?」
「どうしてもそうしなければならない気がしたんだ」
ヨーゼフの言葉は、心ここにあらずと言うか、浮ついてるような気がした。
災厄の地が近づいて居る中で、少し緊張しているのかもしれない。
緊張は時に高揚を呼び、心を乱すことがある。
「ヨーゼフは、遺跡で大切な仲間を失ったんだよね」
「オズか。おしゃべりめ……」
ヨーゼフはチラリと後部座席のオズを睨むも、すぐに視線を落とす。
「昔、遺跡の崩落事故があった時、私は庇われたんだ。あいつの友達に」
「庇われた?」
初耳だった。
「よく私に懐いていた後輩だった。あいつは、遺跡の崩落時に、巻き込まれそうになった私を中から突き飛ばしたんだ。そのおかげで、難を逃れた。崩れ去る瞬間、奴は私に声を掛けた。最期の言葉は、よく覚えている」
「何て?」
「『託します』と言った」
託します。
一体何を、託されたんだろう。
「夢を渡されたのだと、そう思った。長年苦楽を共にしてきた仲間たちの夢を繋いでくれと。あの瞬間、奴は助からないことを悟った。だから、夢を追いかけろと言ったんだ」
「でも、辞めちゃった」
「怖くなった。埋まった仲間を――あいつの姿を見て。だから私は逃げ出した」
ヨーゼフは唇を噛み締める。
「私は裏切り者だ。一人おめおめと生き残り、仲間の想いを踏みにじった。だから二度と遺跡探索などしまいと思っていた。それなのに、アスラの遺跡を見た時、かつての情熱が蘇ってきた。まるで何かに呼び起こされたように」
「アスラが……ヨーゼフを呼んだのかな」
「わからん」
中東に来てから、奇妙な縁に恵まれたり、妙な現象が起きているのを感じていた。
何だか、私たちの常識を超えた場所から、誘われている感覚がしていたのだ。
ヨーゼフの遺跡探索への情熱が再燃したのも。
私が、四つ目の言霊を手にしたのも。
ひょっとしたらそれは、アスラの意思が働いているのかもしれない。
この土地を――中東を救ってくれと。
その時、車が止まった。
もうついたのだろうか?
そう思って顔を上げたが、アボサムの表情はそれを否定していた。
「これ以上は進めません。道が根に塞がれている。近づくなら、ここからは歩きです」
「……出ようか」
ベネットに促され、私たちは車から出る。
そこで、アボサムの言葉を、すぐに私たちは理解した。
「何これ……」
遠方からでも分かるほど巨大な樹が、前方にそびえ立っている。
樹から伸びた枝葉は、砂漠地帯に鮮やかな新緑に輝いていた。
それは何だか、美しい色で獲物をおびき寄せているような不気味さもあり。
明らかに異常な場所に思えた。
「行こう。災厄の樹はこの先だ」
ベネットの言葉に、私とヨーゼフは顔を見合わせ、頷く。
車を残して、樹の根へと進んだ。
地表はえぐれ、樹の根が波打ち、歩く道がすべて樹に埋め尽くされている。
根からもまた枝が伸び、歩くとその枝に足を取られそうになった。
カーバンクルは私の足元で器用に進んでいる。
「お前もこの子みたいに歩いたら?」
「ホゥホゥ」
私が当たり前のような顔して肩に乗るシロフクロウを睨んでいると、「まるで山だな」とヨーゼフがつぶやいた。
奇妙に歪み、幹が根本から曲がり切った異形の樹。
深く張った根は、地面を通じて遥か彼方までのびている。
「ここは地図上では湖があったはずだ」
そんなヨーゼフに、シャオユウが「知ってる」と答える。
「今はもう見る影もないわね」
樹は鮮やかな葉をつけているが、生命として完全に終わっているとわかった。
精霊が宿っていないのだ。
普通の森と違う、生命の気配が感じられない。
伸びすぎた枝葉はしなだれ、やがて進行方向を塞ぐ。
根本にたどり着くには、この枝葉を取り除いて中に進まねばならない。
複雑に絡んだ枝は固く、中に入るのも苦労しそうだ。
「ねぇ、ここ本当に進むの?」
シャオユウは嫌そうに顔を歪めている。
「森っていうか、草の中進むみたいになってるけど」
「シャオちゃんが嫌なら、ここで待ってくれても良いけど」
「行くわよ! ここまで来て置いてけぼりなんて嫌よ!」
枝葉の中に足を踏み入れ、コツコツと進む。
二時間は経っただろうか。
いい加減、体力も限界になってきた時。
不意に枝葉を抜け、視界が広がるのがわかった。
「すご……」
樹の根元だった。
大の大人数十人がかりでも囲めないほどの、分厚い幹が存在している。
「やっと着いたぁ、疲れたぁ」
「ねぇ……もう僕、汗まみれなんだけど……」
「みんなお疲れ様」
「ベネットは……ずいぶん元気そうですね」
倒れ込むオズとシャオユウとアボサムに、ベネットは涼しい顔を浮かべている。
シロフクロウとカーバンクルは、二匹で楽しそうにはしゃいでいた。
そんな彼らをヨソに、私は地図を眺めた。
ここは大きな湖の中心にあたるらしい。
私が圧倒的な光景に目を奪われていると「七光り」と声を掛けられる。
「石碑って言うのは見つかったの?」
「えっ?」
シャオユウの言葉にハッと辺りを見渡す。
周囲は樹に埋め尽くされていて、石碑らしきものは見当たらない。
「……見当たらない。樹に埋まっちゃったのかな」
足元の分厚い根を叩いてみる。
ゴンゴンと、まるでコンクリートを叩くような硬い感触があった。
この根を取り除くのは無理そうだ。
「ここまで来て収穫なし? 勘弁してよ」
近くの段差に腰掛け、シャオユウがそっとため息をつく。
するとヨーゼフが、シャオユウの座っている場所を顎で指した。
「おい、小娘。貴様の座ってる、その下にあるのはなんだ?」
「えっ?」
シャオユウの尻の下にあるのは、よく見ると根に絡みつかれた岩だった。
全体的にヒビが入っているが、文字が刻まれているのがわかる。
読めない言葉で、何か書かれていた。
「それだよ石碑! シャオちゃん、神聖な石碑を尻に敷くってあんた……」
「だって仕方ないじゃない! こっちはあんたたちにつきあわされてクタクタなんだから!」
顔を真赤にするシャオユウを無視して、ヨーゼフは文字の解読を進めている。
「読めたぞ。最後の言葉は……【神は答える】だ」
【かつて大地が人を生んだ】
【人は神に語りかけるため】
【言葉を授かった】
【正しき言葉はここにある】
【我らの声に】
【神は答える】
それが、アスラの残した言葉だった。
「どういう意味なんだろ」
「これは精霊に語りかける言霊だ。一節一節が、理の性質を宿している。すべてを合わせることで、円環を生む」
「円環?」
「力を巡らせるんだ。理の働きを活性化させる。水、土、木は確実だろう。水は土を育て、土は木を育む。問題は、あとの三つだが……」
ヨーゼフは「うーむ……」と首を捻る。
「二つは、対比する要素な気がするな。この呪文を司る重要な要素だろう。何らかの思想的なつながりがあるはずだ。光と闇、天と地、生と死」
「どれも可能性としては有り得そうだけどなぁ」
私はそっと、石碑に触れてみる。
すると、妙な感覚が脳裏を巡るのがわかった。
見たこともない情景が、脳裏に広がっていく。
枯れ果てた大地に、一本の樹が植えられている。
その樹のそばに、男性が立っていた。
どこかで見た、威厳のある、ヒゲを生やした人物。
これは……アスラ?
アスラの前には、数十名以上の人が居た。
彼らは皆座り込み、アスラを崇めるように祈りを捧げる。
アスラは、そんな彼らに、優しい視線を向けた。
「ここで暮らそう。皆の想いが、私たちの住むべき場所を生むんだ。その証として、この石碑と、樹をここに残していく。石碑は私たちの想いを伝えるだろう。そしてこの樹は、この土地の神への感謝を捧げる。この樹を育てることで感謝を捧げ、人と神を繋げるのだ。そうすることで私たちの意思は、未来に伝わる」
そして、アスラはそっと、その言葉を口にする。
彼の言葉に呼応するように、土地に光が満ちていくのがわかった。
大きな水たまりに波紋が生まれるように、光が円形に広がっていく。
その情景に、祈りを捧げる人々は驚愕の表情を浮かべた。
不意にアスラがこちらに目を向ける。
目が合った。
そこで、ハッと、意識が戻る。
先程まで広がっていた情景は消え、石碑が目に入ってきた。
何が起こったのかわからず、私は周囲を見渡す。
「何やってんのよ、七光り」
「いや……あれ? おかしいな」
「おかしいのはあんたよ」
今の映像は一体なんだ……?
この石碑に触れた途端、一瞬意識が飛ばされた。
考えて、不意に気づく。
さっきのは、この石碑に込められた記憶じゃないかと。
石碑だけじゃない。
この樹と、石碑。
二つの中に宿った記憶が、感情と共に私の中に流れ込んだんだ。
かつて、アスラが埋めた一本の樹。
それは何年も受け継がれ、世代を変えてこの場所にあり続けた。
時が経つ中で、周囲が湖となり、やがて樹は、魔力を吸いすぎて肥大化したとしたら。
アスラの残した始まりの樹が、皮肉にもこの大地に、死の始まりをもたらしてしまった。
だからアスラは、私たちに救うことを求めている。
そう考えると合点が行く気がした。
今の情景も、何か意味があるんじゃないだろうか。
「石碑は想いを伝え、樹は神と人の繋がりを未来に伝える……」
アスラの言霊は、この土地に根ざし、この土地に住む人たちに伝えられてきた。
あの言葉がもし、何かのヒントだとしたら。
「人と神だ……」
「何だって?」
「人と神だよ。この言霊の内、二つの性質は、人と神なんじゃないかって思った」
「どうしてそう思う?」
「アスラの教えでは、樹はもともと人と神様を繋ぐためのものだった。樹を育てることで、土地の神様への感謝を謳うんだ。この六節の呪文は、人と神について綴られているし、違和感はないと思う」
「だとしたら、あと一つの元素は……」
ヨーゼフは、ハッと表情を変える。
「風か」
「風?」
私が尋ねると、彼は頷く。
「雨雲を運ぶのは風だ。水は土を育て、土は木を育む、木は人と神を繋ぎ、神は風を以て雨をもたらし、人に水を与える。そう考えると、円になる」
人と神をつなぎ、理を巡らせる魔法。
それが、アスラが紡いだ、豊穣の大地の魔法だった。
「あとは、この魔法を発動させる方法だが」
「それなら、私、わかるかも」
「何だと?」
アスラは、この呪文を各地に刻み、その中の一つを人に託した。
きっと、想いを知るものだけにしか、発動出来ない魔法だったからじゃないだろうか。
この土地に住む人々の想いを汲み取り、そしてその想いを魔法に昇華し、言霊を紡げる人だけがこの呪文を発動できる。
だとしたら。
「アスラの魔法は、感情を使えば発動する」
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