中東編 第8節 乙女の危機③
予想通りだが、到着したスピネルはひどい有様だった。
ビルは崩れ、根は絡み、街中に巨大な大蛇が巻き付いたような状態になっている。
元々発展した大都市だったのだろう。
だが今ではどの街よりも荒廃し、人が暮らす場所ではないように思えた。
ビルが崩れているのは地盤のせいか。
土が死んで地盤が緩くなり、ビルを支えることすら出来なくなったのだ。
この辺りの土地や植物の栄養を、この樹がすべて喰らいつくしているのがわかった。
まるでそれは、何かに寄生されているようだった。
街に絡みついた根からは枝葉が伸び、奇妙に鮮やかな緑が生い茂っていた。
割れたアスファルトと街を取り囲む砂漠の風景に対し、その色は奇妙に映えた。
「怖い……」
街の惨状を見てシャオユウがつぶやく。
何が怖いのかはわからない。
でも、生命としての脅威を、漠然と彼女が感じているのはわかった。
「それじゃあ皆、しばらく留守を頼むよ」
ベネットを医療チームの皆と見送った。
アボサムとリーくんが物資の調達と共に彼を送迎するらしい。
三人が車で走り去るのを見届け、ジャックが「ふー」っと長い息を吐く。
「それじゃあ今日はもう遅い。各自部屋割を始めてくれ。今更言わなくてもわかってると思うが、絶対に単独行動はするな。昼間でもだ」
その言葉に、全員が頷いた。
私達が宿泊するのは街のホテルだった場所だ。
内装は綺麗だが、細かな埃や汚れが目立つ。
メンテナンスがあまりされていないだと知った。
「七光りって何でいっつも手掃除なの? 魔法でパパッと掃除しちゃえばいいでしょ?」
「いや、そりゃそうなんだけどさ……」
新しい街についた時、私達は最初に寝具を整える。
魔法が使えるメンバーは魔法でサッと汚れを取り払うものだが。
私はなるべく自分の手で掃除するようにしていた。
何でも魔法に頼るな、自分でやれることは自分でやれ。
それがお師匠様の教えだ。
こんな極限状態ではあるけれど、そんな教えを私は守っている。
そうすることで、自分の心の拠り所があると実感できる気がした。
その日は全員疲れていたのか、夕食をとると、全員死んだように眠った。
だが、私は眠れず、妙に目が冴える。
この街の異様な雰囲気に、何だか心がざわめいていた。
寝れなくてホテルのロビーに足を運ぶ。
すると、電気が点いているのがわかった。
電気が生きていると言え、むやみに消費するなと言われていたはずだが、一体誰だろう。
見覚えのあるピンクの髪。
男性とは思えない線の細い色っぽい顔立ち。
オズだった。
一人で座って本を読んでいた彼は、私が入ってくるのを見ると、「やっほー」と手を振ってくる。
「お弟子さんも眠れないクチ?」
「うん。何だか落ち着かなくて。オズも?」
「そだよ。何だかこの街の惨状見てたら落ち着かなくてねぇ」
相変わらず間延びした緩い口調だが、その顔は浮かない。
私は、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「前から聞きたかったんだけどさ、オズは、ヨーゼフと知り合いなの?」
「どして?」
「いや、何だか彼の事情に詳しいみたいだったから」
私が言うと、オズはどこか遠い目をして「知り合いってほどの関わりはないかもしれないけどね」と呟いた。
「僕の友達が彼と同じ大学の研究室だった。それだけだよ。その関係で少し話したり、食事に相席したくらい」
「友達?」
「大学の院生だったんだぁ。魔法史の研究科でね。ヨーゼフのおじさんは、当時その研究室の助教だった」
「そうだったんだ……」
ヨーゼフの中に感じられる遺跡への情熱は、そんな過去から来ていたのか。
「昔のヨーゼフってどんな感じだったの?」
「情熱的な人だったよぉ」
「情熱的?」
耳を疑った。
しかしオズは、静かに頷く。
「今ではあんなひねくれた、嫌味なおじさんだけどねー。昔は面倒見の良い、魔法の歴史を紐解くことに情熱を捧げる人だったんだぁ。目も子供みたいにキラキラしちゃってさ。魔法の凄さや、魔法の歴史の奥深さを熱心に語る人だった」
「今は家業を継いだんだっけ?」
以前聞いたことがある。
ヨーゼフは確か独国にある魔法の名家の生まれなのだと。
「継いでるって言っても、当主は別に居るみたいだけどねー。お手伝いみたいなもんじゃないかなぁ」
「そうなんだ」
そこでふと思う。
「ヨーゼフは、今も魔法史が好きみたいだった。どうしてそんなに愛してたのに、その道を諦めたんだろ。家の事情かな」
「いや、違う」
オズははっきりと否定した。
「彼が人を死なせてしまったからだよ」
「死なせた?」
聞き捨てならない言葉だ。
「正確には事故だけどねー。彼が率いた遺跡の調査で魔法が暴発する事故が起きたんだぁ。そこで彼以外の全員が死んだ」
「でも、事故だったんでしょ?」
「そ、事故。ただ、魔法を発動させたのは、ヨーゼフのおじさんだった」
「えっ……」
「彼が不用意に、遺跡の表にあった石碑に刻まれた古代文字を読んだんだ。読み上げた文字は魔法式になってた。古い魔法は普通、それだけだと機能しない。だけどそれは罠だった。声や接触で文字が魔法式として発動する罠。遺跡にはたまにあるんだな、そう言うのが。それで遺跡は崩落した。ヨーゼフ以外の研究員や院生が中にいる状態で」
「助けは?」
「もちろん呼んだよぉ。でも手遅れだった。全員生き埋め。重量のある瓦礫は、中にいる人間を絶命させるに足りていたんだな」
「そんな……」
「でも、誰も彼を責めなかった」
フッと、何故かオズは優しい表情を浮かべた。
「遺跡での魔法の暴発事故は珍しいことじゃない。どれだけ注意しても、事故はついて回るものなんだ。古代の魔法はわからない部分が多いし、土地ごとに方式が変わって、今よりもずっと体型がバラバラだったから。解読出来てることの方が少ないんだ。だから、誰もがヨーゼフのおじさんと同じ事故を起こす可能性はあった」
「なのに、ヨーゼフは諦めた……」
「彼にとっては、慕ってくれていた部下や後輩や仲間を自分が原因で死なせてしまった訳だしね。未来ある若人の生命を自分が奪った。その事実に耐えられなかったんだ」
オズはそこまで話すと本を閉じ、フーッと息を吐いて伸びをした。
「それでも彼の中に野心や、執着は残ってたんだねぇ。いや、夢への情熱って言ったほうがいいのかなぁ。だから、ここに来て遺跡のことを調べたいと言いだした時は正直ビックリしたよ」
「どうしてなんだろ」
「それは本人にしか分かんないねぇ」
「オズは、ヨーゼフを憎んでないの?」
私が尋ねると、オズは少し考えるように黙った後、口を開いた。
「……全く遺恨がないって言ったら嘘になるなぁ。だから、最初に遺跡に寄った時は思わず嫌味言っちゃった」
――ヨーゼフのおじさん、まだ昔の夢、捨てきれてなかったんだねぇ。
以前、最初の遺跡に寄った時。
オズはいつもの口調で、ちょっとだけヨーゼフを揶揄した。
それは、普段飄々とした彼の中からわずかに湧き出た『怒り』だったのかもしれない。
「だけどね、僕はちょっと嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「そう。僕の友達は――ジェイドは、心から彼を尊敬していたから。情熱的で、子供のようで、純粋に魔法と歴史を愛したヨーゼフのおじさんを。いつかあんな人になりたいって、そう言ってた」
オズはそう言うと、私を見つめた。
「だからねお弟子さん。もし良かったら、もう少しだけおじさんに付き合ってあげてよ。死んだように生きて、家のことと利権だけしか考えなくなったおじさんが、かつての夢に少しだけ触れた。その物語の結末の見届け人になってあげてほしい」
「うん。わかった……」
私が答えると、オズは何だか満足そうにニンマリと笑みを浮かべた。
「ちょっと話過ぎちゃった。僕はもう部屋に戻ろうかな。そっちはどうする?」
「私は少しお茶を飲んでから寝るよ」
「そっかぁ。じゃあおやすみぃ」
「うん……また明日」
ヒラヒラといつものように手を振って去っていくオズを見送る。
静かなロビーに、私だけが取り残された。
なんだか、不思議な時間を過ごした気がする。
シャオユウはいつか故郷の美しい景色を取り戻したいと言い。
ヨーゼフは、学者になりたかった夢に再び触れた。
きっとオズやアボサムも、何か特別な事情を抱えている。
人の数だけ、人生がある。
人が住む場所に、歴史がある。
この星に刻まれたたくさんの歩みや、想い。
私は今、そんなものに触れている気がする。
もっと人に向き合いたい。
もっとこの星のことを知りたい。
そんな想いが、私の中にあふれるのを感じていた。
その時。
不意に、玄関の方から物音がした。
「誰……?」
ロビーから出て、薄暗い玄関の方へ足を運ぶ。
すると、すりガラス越しに大きなローブを来た人影が見えた。
頭まですっぽりとローブで覆われており、シルエットだけが浮かび上がる。
あんな目立つシルエットの人を、私は一人しか知らない。
「ベネット……?」
確か二日、三日留守にするという話だった気がするが、もう帰ってきたのか?
それにリー君やアボサムとは一緒じゃないんだろうか?
もしかして、トラブルがあって彼だけ戻ってきたとか?
考えていると、ガチャガチャと、少し乱暴にドアノブが回される。
鍵が掛かっていて開けられないのだ。
鍵を開けようかと手をのばしかけて、ふと思いとどまる。
何だか胸騒ぎがした。
ベネットが、わざわざ開かない鍵をガチャガチャするだろうか?
彼なら魔法でさっさと開けてしまうはずだ。
そう思った矢先だった。
パリンと、小さな音がしてガラスが割れたかと思うと。
そこからニュッと手が伸びてきて、内側のロックが外され。
静かに、玄関のドアが開いた。
開いたドアの先には、大きなフードをかぶった男が立っている。
「えっと、あれ? ベネットじゃ……ない?」
呆然としていると、不意に腕を捕まれ、建物の外に引きずり出された。
何が起こっているのかまるでわからず目を白黒させる。
すると、男がそっと胸元から何かを取り出す。
ナイフだった。
ぎょっとした次の瞬間には、そのナイフを首元に当てられていた。
それは、時間にしてたった五秒の出来事だった。
「動くな。動くと殺す」
その声は、暗闇によく響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます