中東編 第5節 夢
次の日。
「おはようラズベリー」
朝、私が起きると、ベネットが何事もなさそうに話しかけてきた。
「今日にはもう村を出るよ。やることはいっぱいあるからね。忙しくなりそうだ」
「ソウデスネ」
昨晩、人に散々プレッシャーをかけたことなどなかったかのように、ベネットはいつもと変わらぬ様子だ。
私ゃどんな気持ちで居ればいいんだよ。
水の状態や病人の様子を一通り見て回り。
午後には、おばさんに別れを言って、私たちは村を出た。
先行する医療チームの車を追いかける形で、私たちは次の目的地を目指す。
「次は少し大きな街に寄るよ。ここから徐々に北に向けて走るんだ。件の樹があるところに向かうイメージだね。中心に近づくに連れて、街は大きくなるし、やることも増えてくる」
「街の治安はどうですか?」
運転席のアボサムが言うと「あぁ」とベネットは返事する。
「治安は悪化傾向にある。北に向かうほど、それは顕著だ。街についたら、単独行動や、夜の外出なんかも気をつけたほうがいい」
「土が死んで、根に侵食されて。建造物が倒壊して住めなくなってる土地も多いからね。それに伴う経済活動の停滞、物資の枯渇、災害の増加。中東は元々原油国だし、栄えた街が多かった。けれど今、樹の影響が強いこの地方はずいぶん荒れてるみたいね」
シャオユウはベネットの言葉を補足する。
「中心に近づけば現状は嫌でも分かるよぉ。かなり酷いみたいだから」
爪をいじりながら、オズが口を挟んだ。
飄々とした口ぶりだったが、気軽さは感じられない。
何だか嫌な空気だ。
楽しい空気になるはずもないのだが、せめてもう少し肩の力を抜きたいものである。
私はそっと、外の景色を眺めた。
乾いた大地に緑が生い茂り、徐々に美しい景色が広がるようになった。
私のイメージしていた中東の景色が、ようやく広がってきた感じだ。
死地にちかづくと、この景色も無くなるのだろうか。
「きれいな場所なのにな……」
やがて、目の前に変わった形状の建物が見えてきた。
遠目ではわからなかったが、かなり古いものであることが分かる。
岩で出来ていて、一部損壊はしているものの、しっかりと原型は残っている。
遺跡というやつだろうか。
「止めろ! 止めてくれ!」
「わっ、びっくりした」
突然ヨーゼフが叫び出し、車内が騒然とする。
アボサムが車を止めた途端、ヨーゼフは慌てて外に出た。
何事かと、私たちも続く。
「おぉ……すごい、やっぱりここだ」
ヨーゼフが遺跡を前に目を見開いている。
明らかに興奮していた。
「何よおっさん。私たち、別に観光旅行しているわけじゃないんだけど?」
「うるさい小娘! 貴様には……貴様にはこの歴史的価値が分からんのだ!」
「何よ、顔真っ赤にしちゃって」
プンスカするシャオユウをものともせず、ヨーゼフはベネットに懇願する。
「ベネット、お願いです。どうかこの遺跡に立ち入ることをお許しください。埋め合わせは必ずします」
「そうだね、どうしようか……」
いつにない彼の様子に、ベネットは困った顔で頬を掻いた。
するとアボサムが「良いんじゃないでしょうか」と口にする。
「少し車の調子が悪かったので、ちょうど点検したいと思っていたんです。交換する部品があれば、どこかで調達するか、魔法協会に依頼せねばなりません」
「アボサムが言うならそうしようか。ずっと走りっぱなしだったからね。少しくらいならジャックも許してくれるかな」
実直なアボサムは、すっかりベネットの信頼を集めている。
彼の提案で、ベネットの許可は降りた。
意気揚々と中に入るヨーゼフを追いかけ、私たちも後に続いた。
アボサムは車の点検で、オズは興味が無いらしく、それぞれ車内に残るようだ。
「誰もいないみたい」
屋内に入り、シャオユウの声が響く。
中にほとんど物がないから響くのだ。
「こういう場所って政府が管理してたりしないのかしら」
「今は情勢が情勢だからね。管理はほとんど放棄されているんだ。割と自由に出入り出来るよ」
「そうなんですね」
ベネットとシャオユウの会話を耳にしながら、私は遺跡の中を見回す。
すでに陽は傾き、夕陽が崩れた場所から朱く射していた。
荒廃した石造りの建物は夕陽に染まり、まるで異界のようにも感じる。
シンと沈んだ建物には、私たち以外の気配はない。
先に中に入ったヨーゼフに続くと、彼はどこかさみしげな表情で壁を眺めていた。
いつもは人に嫌味を言うか、すぐ文句言うかのどちらかだから、このおっさんがこうした表情をしているのは初めて見る。
私は何気なくその視線を追い
「わぁ、すごい……」
思わず声を出した。
壁に、大きな絵が一枚描かれていたから。
壁画というやつだろう。
黄金の草原の中に、一人の長いひげをした男性が立っている。
手には杖を持ち、どこか遠くを見つめていた。
彼を中心に光が広がる様が、独特の絵柄で描かれている。
絵の周囲には、読めない文字が書かれていた。
何かを表現しているのは確かだが、何を表しているのかはわからない。
魔法のお陰で話し言葉に支障はないものの、やはり文字まで判別するのは無理か。
「なんだろう、この絵。不思議だな……」
「魔導師アスラだよ」
ボソリと、ヨーゼフが呟く。
「これはかつて、この地に住んだ魔導師アスラが、豊穣の大地と呼ばれる豊作の地を生み出した時のことを表現したものだ。周囲の光は精霊を表している」
「へぇ、詳しいんだね」
「ヨーゼフは魔法史を学んでいたからね。土地の風俗や、歴史に詳しいんだ」
いつの間にか追いついてきていたベネットとシャオユウが背後に立っていた。
ベネットの言葉に「昔のことですよ」と弱々しくヨーゼフは言う。
「今は過去の知恵と経験で生きている亡霊みたいな物です。魔法史が詳しくとも、食べていくことはできませんから」
そう言ったヨーゼフは、どこか、とても寂しそうな表情をしていた。
取り返せない過去を思うような、悲しげな表情を。
「ねぇ、ヨーゼフのおっさん」
「だから私はおっさんではないと何度も」
「あれ、何て読むの?」
「あん?」
私が言葉を重ねると、虚をつかれたようにヨーゼフはキョトンとした顔をした。
そして彼は、しぶしぶ壁画に目を向ける。
「……かつて大地が人を生んだ」
ヨーゼフは、静かに答えた。
「どう言う意味?」
「言霊だ」
「言霊?」
「この区域で伝わる、古い精霊に呼びかける言霊だろう。今でこそ魔法は魔法協会に統一され、世界中同じ規則で紡がれる。でもかつては違う。始祖の魔法を土地に合わせて、魔導師たちが独自の体型に変えて行ったんだ」
「じゃあこれは、その魔法の呪文ってこと?」
「単純に言えばそうなる」
「唱えれば発動するかな」
「無理だな。この呪文は未完成だ。完全じゃない」
「何でわかるの?」
「十二節の構文と同じだ。節が足りない。この土地の魔法の構文は……六節だ」
「六節かぁ」
私が嘆息していると、ヨーゼフはサラサラと手帳に目の前の文字を書き綴る。
自分のことを亡霊と言いながらも。
その瞳は、どこか少年のような好奇心に満ちていた。
「好きなんだね。こういうの」
「な、何を馬鹿な……!?」
図星だったらしく、ヨーゼフの顔がボッと赤くなる。
その様子を見て思わずクスクス笑った。
「少し暗くなってきた。そろそろ出ようか」
ベネットが、そっと外に目を向ける。
「この辺りは他にも遺跡があるからね。旅の途中で出会うこともあるだろう。時間があればまた寄ろう」
「……ありがとうございます」
珍しく殊勝な態度で、ヨーゼフはベネットに頭を下げた。
◯
「おっかえりー」
車に戻ると、オズが私達を出迎えてくれた。
「すまないね、オズ、アボサム。待たせてしまって」
「全然? 気にしないでくださぁい」
いつもと変わらぬ飄々とした様子で、オズはベネットにヒラヒラと手を振る。
そんな彼の様子に、ベネットは苦笑を浮かべた。
すると、不意にオズはヨーゼフを見て、どこかいたずらっぽくニンマリとした笑みを浮かべる。
「ヨーゼフのおじさん、まだ昔の夢、捨てきれてなかったんだねぇ」
「……黙れ」
いつもの茶化しに、ヨーゼフはどこか口籠もっているようだった。
その様子に、どこか違和感を覚える。
この二人、知り合いなのだろうか?
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