中東編 第4節 始まりは語る

「ベネット、起きてたんですか」

「僕は寝ないよ。基本的にはね」


降りてきたシロフクロウを頭に載せ、ベネットに近づく。

すると、彼の姿がいつもの老人姿と違い、ラピスで会った時と同じ若者の姿をしていると気がついた。


「今日は若いんですね」

「気分転換だよ。若者の姿の方が気持ちが上向くからね」

「ベネットでもそういうのあるんだ……」


私は黙って彼の隣に座った。

改めて見ると、めっちゃイケメンだな。

それがかつての姿なのか、あるいは取り繕った物なのかを私は知らない。


「どうしたんだい?」

「いえ、別に……」


目が合いそうになり、慌てて空に視線を逃した。

燦然と輝く星々が、視界を埋め尽くす。

なんだかロマンティックな夜だ。


異国の地で、イケメンと二人きり。

本来なら垂涎物のシチュエーションなわけですが。

私の心は、なんだかもやついていた。


「ラズベリー、何か悩みかい?」

「えっ? いや、えっと。……はい」


どうやら始まりの賢者にごまかしは効かないらしい。

私はそっとため息を吐いた。


「将来のこと、考えちゃって」

「将来?」

「余命を超えた後のことです」

「ずいぶん早計だね」

「自分でもそう思います」


ハハハ、と乾いた笑いが出る。


「ラズベリーは、生き残れたらどうしたいんだい?」

「どうしたいん……ですかね。色々やってみたいことはやるけど」


私はそっとイメージする。

すべてが終わった、その後のことを。


祈さんの助手になって働く約束をしているし、お師匠様と世界を巡ってみても楽しそうだ。ソフィのパレードの旅にも付き合ってみたいし、北米のクロエにも会いに行きたい。


だけどやっぱり。


「最終的には、またラピスで静かに暮らすのかな。なんて」


そっと手にシロフクロウを乗せて、これまでのことを思い返す。


北米の聖地や、アクアマリン、南アジア、そして中東。

色んな場所を訪れ、色んな人に巡り会った。

もっともっと、世界を知りたいと思う自分がいる。


だから余計分からなくなるのだ。

もし、全てが終わって、その先で生きることが出来たら、自分がどうなっているのかが。


「私は、どんな魔女になるんだろ……」


世界一の大魔導師になる。

その漠然とした目標から、もう少し具体的な夢を私は描けないでいた。


この一年間、ただずっと死なないことだけを目標にしてきたから。

すべてが終わった時、またグータラな魔女に戻りそうで、少し怖い。


「君は沢山の夢がある。だから、どこにでも行けるよ」


ベネットは優しく笑った。


「ファウストは寂しがり屋で過保護だ。だから君がどこかに行くのを恐れていた」

「寂しがり屋で過保護……?」


あのクソババ……お師匠様にはおよそ似つかわしくない言葉だ。

それでもベネットは、何かを確信したように頷いていた。


「でも不思議なのは、彼女が今になって君を外の世界に出すようになったことだ。君をアクアマリンに出し、このプロジェクトに参加することを許可した」


「アクアマリンは怪我の治療もあったし、遠征もベネットが説得したからでしょ? それに、嬉し涙を集めないとダメだったし」

「それだけじゃないと思う。以前の彼女なら、きっと跳ね除けた」


ベネットはジッと、私の目を見る。

いや、私の目というよりは。

その奥にあるものを見定めようとしているように見えた。



「ファウストはきっと君に“何か”を見たんだ」



何か。

何かって何だ。


「詳しくはわからない。でもきっと、君じゃないと生めない、特別な光景だ」

「私にしか生めない光景……?」

「僕は、この星を変えることじゃないかって思っている」


とんでもないことを言い出した。

田舎娘になんちゅう戯言を吹き込んどるのだこの人は。


怪訝な顔で見ると、ベネットの表情は至って真剣そのものだった。

どうやら本気で言っているらしい。


「七賢人のソフィを始めとして、同年代で君よりも実力や、知識や、才能を持った魔導師は沢山いる。でも、ラズベリー。君の中には彼や彼女らにないものがある」


「ソフィたちにも無いものって……」

「人と繋がる力だ」


はっきりした声だった。


「君の言葉は人の心に届く魅力がある。君はこの世の誰ともつながれる人だ」

「言い過ぎやろ」

「言い過ぎじゃないさ」


何かを思い返すように、ベネットはそっと遠くに目を向ける。


「分かるんだ。君は彼女によく似ている。沢山の人を笑顔にした……イヴに」

「イヴ?」



――個人的に少し興味があってね。間近でラズベリーの行く末を見届けたい……そう思っただけさ。彼女は昔の知り合いによく似ているんだ。



ベネットがラピスでお師匠様に言った言葉がリフレインする。

イヴが、ラピスで言っていた『昔の知り合い』だろうか。


「イヴは、時代を変えた魔女だった」


「時代を変えたって……」

「魔法という概念をこの世に広げた、と言えばよいのかな」


「それは、ベネットがやったんじゃ?」

「僕だけじゃない。イヴがいなければ、それは成し遂げられなかった」


魔法の始祖ベネット。

彼は、この世の魔法の根幹に関わったと言われている。

この世に魔法が生まれた、その始まりをもたらした人だと。


ベネットの話が本当だとしたら、イヴもまた、魔法の始祖なのだろう。


「ラズベリー。かつてこの星には、魔法を使えば迫害され、火炙りにされる時代があったんだ」

「魔女狩りってやつですか」


「中世の魔女狩りは酷かったし、魔女狩りの風習が残る区域は今もあるけれどね。僕が言っているのは、この世に魔法の概念が生まれていなかった時の話だよ。隣に住むおばあさんが子供の怪我を魔法で治療したら、翌日広場で燃やされているような時代があったんだ」


「酷い……」


そんな残酷な時代があったのか。

ベネットの言葉は、本で読む歴史よりもずっとリアルで生々しい。


彼はずっと見てきたのだろう。

沢山の人が死に、友人が死に、家族が死ぬ中で。

人のエゴや、悪意や、暗い部分を。


その先で彼は今、世界と関わることをやめ。

『観測者』としてここに居ることを選んだ。


きっとベネットは疲れたんだ。

人に関わることが。

どれだけ努力を重ねても、変えられないことがあると知ることが。


だから、彼の表情はいつも達観して見えたし、どこか諦めも感じられた。

それでも。


「イヴは、人と魔女の関係に大きな変化を与えた」


『イヴ』について語るベネットの瞳には、光が宿って見えた。


「僕は思うんだ。時代の節目には、沢山の人と繋がる魔女が生まれるんじゃないかって。そして、君もその一人じゃないかと僕は思っている」


そんな人、いくらでも居そうなのに。

なぜ私なんだ。


「ラズベリー、この星の観測者として見守る中で、僕は気づいたことがあるんだ」

「なんですか?」

「この星に、終わりが近づいている」


そっと息を呑んだ。

それは、あまりに突然の『死の宣告』だった。


私が、余命一年を宣告された時のように。

ベネットは、たった今、この星の余命を告げたのだ。


「魔法協会はプロジェクトを発足し、星の核も生み出した。それでも、僕の予感は消えることはなかった。星は少しずつ、終わりに近づいている」

「そんな……」


ベネットは、そっと私の頬に手を当てる。


「けれど、君を見た時、それは違うのかもしれないと思った」


辺りが暗かったから、自分の顔が赤いのはどうにかバレずにすんだと思う。


「ラズベリーに僕は光を見た。誰も消せなかった星の終わりの予感を、なぜか君からは感じない。そして気づいたんだ。皆が終わりに向かう中、君だけは始めようとしていると」

「始める……?」


「終わりを迎え、また始める。ファウストが君に見た情景は、その瞬間の光景じゃないかと思った。君は人の可能性を信じてる。故に成し遂げられることがあるんだと思う。それなら、僕はその橋渡しになるべきだと思った」


「だから、『観測者』なのに、このプロジェクトに参加したの?」

「そうだよ。君が作る新たな時代に生きる若い世代を、導くべきだと思った」


静かな夜。

風も無く、虫の声すらしない。


「ラズベリー、君は時代を変える」


静寂の中、ゴクリと自分がつばを飲む音が聞こえた。


「私ゃただの西欧の田舎魔女ですよ。期待が過ぎると言うか、背負いきれませんて」

「それでも、君はいずれきっと重要な役割を担う。新しい時代を始める役割を」


ベネットはそっと、笑みを浮かべる。


「新しい時代で、君は自分だけの『魔女の形』を見つけられるはずだ」


私の心のモヤをはらうには十分すぎる言葉だった。


その時、視界にノイズが走った。

幻覚でも見ているかのように、ベネットの姿がぼやける。


急な感覚に混乱する。

何が起こった……?


七光ななひかりぃ、何やってんのよこんな夜中に」


不意に、背後から間の抜けた声がした。

振り返ると、シャオユウがカーバンクルを抱き抱えて寝ぼけ眼で立っていた。


「夜中にうろつくんじゃないわよ。危ないでしょ」

「あぁ、ごめん。起こしちゃった?」

「それは別にいいけどぉ、あれぇ……?」


シャオユウは私を見ると、不思議そうにキョロキョロする。


「どったの?」

「今ここにめっちゃ格好いい人いなかった?」

「えっ? いや、どうだったかな……」


ベネットに助けを求めると、もう彼の姿はなかった。

逃げたらしい。

さっきの感覚は幻影魔法か。


もっと色々聞きたかったのに、すっかり水をさされてしまった。

私は頭上のシロフクロウに目で合図する。

仕方がないから話を合わせておこう、と。


「私は一人だったし、寝ぼけてるんちゃうかね」

「ホウホウ」


「えー……せっかく運命の出会いだと思ったのにぃ」


寝ぼけ眼でぼやくシャオユウを見て思った。

この女、意外と惚れやすいのかもしれない。


――ラズベリー、君は時代を変える。


私の脳裏には、ベネットの言葉がはっきりと刻まれていた。

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