中東編 第3節 伝説の魔導師アスラ
「よし、これでとりあえずは大丈夫ね!」
「おー、すごい」
「何であんたが感心してんのよ……」
シャオユウが呆れ顔で私を見る。
水の汚染問題の解決に、時間はかからなかった。
湧き水の水源を浄化し、結界で保護することで事なきを得る。
大事に至らず、内心ホッとした。
「思った以上に早く終わっちゃったね。もう次の街に向かう感じなのかな?」
「いや、今日はここに泊まりだよ」
声がして見ると、いつの間にかベネットが近くに立っていた。
「ベネット、もう用事は良いんですか?」
「ジャックに任せてきたよ。どうやら思った以上に水による食中毒の患者が多いらしい。治療に時間がかかるから、今日は泊まりだね」
「えぇ、車の中で雑魚寝ですか……?」
シャオユウが絶望の顔を浮かべた。
それなりに育ちが良いらしい彼女は、寝床の状況をかなり気にする。
ちなみに私は横になれたらどこでも寝れる。
そう、生ゴミの中でも。
するとベネットは、そっとシャオユウに微笑んだ。
「宿なら心配しなくて大丈夫だよ」
「えっ?」
◯
私たちが案内されたのは、村の中にある一軒の民家。
支援活動のお礼に、村人が家に泊めてくれるのだそうだ。
それぞれ二名一組になり、村人の家にお世話になる。
壁紙代わりに民族柄の布が張られた、レンガ作りの家だった。
いくつか床に敷物を重ねているが、床材が石だから硬い。
電気こそ走っているものの、家電製品はほとんど見当たらなかった。
「中東の人って結構原始的な生活してんだねぇ」
私が感心していると、シャオユウが「バカね」と呆れ声を出す。
彼女も私と同じ家に泊まっていた。
「中東の都市はめちゃくちゃ都会よ。あんたの住む田舎町よりずっと栄えてるわよ」
「知らずに好き放題言ってくれる」
「ここは中東の中でも特殊。秘境に入るわ。ずいぶん山奥にあるから生活様式も変わってるの」
「詳しいんだね」
「中東は学生時代に旅行したことがあるのよ。街の人も親切で、面白い場所よ」
「そうなんだ。もっと怖いイメージあったなぁ」
私が幼い頃、中東は紛争やテロ事件などが多く起きていた。
テレビでも頻繁にニュースをしていたし、一時期は渡航も禁止されていた。
でも、ある時を境に、中東の大半の国に渡航許可が下りた。
安全圏であると認められ、情勢もかなり落ち着いた記憶がある。
その理由を私は知らない。
「そう言えば学生時代って言ってたけど、シャオちゃんいくつ?」
「えっ? 二十二だけど……」
「二十二!?」
驚きで声が出て「な、何よ……」と彼女は怯む。
「シャオちゃん、同い年くらいだと思っとったわ」
「あんたよりずっと先輩よ! だからもうちょっと敬いなさい」
「えー、もう友達じゃん。フランクに行こうよフランクに」
「何でよ!」
私達が騒いでいると「ふふ、にぎやかね」と家主のおばさんが食事を運んできてくれた。
ケバブとスープとナンだ。
「あ、ごめんなさい。騒がしくしてしまって……」
シャオユウがシュンとする。
すると「いいの」とおばさんは優しい笑みを浮かべた。
「私はずっと一人だから。こうしてにぎやかなのが嬉しくて」
「生まれてからずっとこの土地に?」
「ええ。生まれも育ちもこの村よ。あなたたちみたいな、外国の人を泊めたことも何度もあるわ。あなたたちは、みんな魔導師なの?」
「私たちはそうです。でも、魔導師だけじゃなくて、お医者様もいます」
「そういえば、治療して回ってくれたのよね? みんな感謝していた。支援活動をしているの?」
「はい。魔法協会のプロジェクトで、各地を巡っています。被災したけど、医療や魔法が届かない、人手が足りない、そんな地域を支援する活動です」
「凄いわねぇ……」
おばさんはそう言うと、ふっと遠い目をする。
「豊穣の大地を戻しに来てくれたのだと思っていたけれど、違ったみたいね」
「豊穣の大地?」
気になって、思わず口を挟んだ。
そんな私に目を向け、おばさんは優しく語る。
「以前まで、この中東はとっても土地が豊かだったの。日差しも強くて、天候も過酷な土地だけれど。それでもこの大地は沢山の石油と、豊かな農作物を与えてくれた」
「それが、豊穣の大地のお陰?」
「ええ。この中東の大地は、かつて偉大な魔導師が、各地の魔導師と協力して生み出したものなの。瑞々しい土を作り、乾いた大地に住む私たちに、生きる術を授けてくれた」
「へぇ、そんな凄い魔導師が居たんだ」
ふとその時、アクアマリンに住む魔女テティスのことが思い浮かぶ。
彼女のような偉大な魔導師は、かつてこの世界に何人も居たのだ。
いや、今だって偉大な魔導師はたくさんいる。
七賢人だけじゃない。
ロンドの街のローズマリーのような、土地に根ざし、そして人々に愛された魔女や魔法使いが。
時代が変わり、そして人が移ろっただけなんだ。
「伝説の魔導師を信仰する人は、今もたくさんいる。この土地の神様が人となり生まれた。そう信じる人も多いわ」
「その魔導師って、名前は何ていうんですか?」
興味が湧いたのか、シャオユウが尋ねる。
すると、少しの静寂のあと――
「アスラ」
と、おばさんは呟くように言った。
「それが、この国に伝わる、偉大な魔導師の名前だよ」
「アスラ……」
「もう、何千年も前の人だけれどね」
◯
その日は何だか寝付けなかった。
かつてこの世界に居た、偉大な魔導師の逸話。
珍しい話を聞いて、胸がドキドキした。
伝説的な魔導師の話。
この世界には、きっと私が知らないだけで、そんな話がたくさんあるのだろう。
そのほとんどを、私は知らない。
魔法を生み出した始祖ベネット。
時魔法を発案した魔女ファウスト。
お師匠様やベネットも、後世ではそう呼ばれるだろう。
改めて、自分がどれだけ凄い人と関わってきたのかを実感した。
眠れないのはそのせいか。
「祈さんだって、伝説の魔女扱いされるかもなぁ。薬学の常識を塗り替えた、とか」
誰もあの女が素足でブーツに足を通す激臭素足の持ち主だとは知らないのだ。
いや、めちゃくちゃいい人だし、散々お世話になってますけども。
でも足は臭い。
ふと横を見る。
カーバンクルを抱いてシャオユウが寝ていた。
すっかり気に入ったらしい。
ほほえましい光景に、ふっと笑みが浮かぶ。
最近色々あったし、目まぐるしかったけれど。
こういう光景が、心を和らげてくれる。
私は、どうなっていくんだろう。
もちろん、まずは嬉し涙を集めることが最優先だ。
死んでは元も子もないからな。
じゃあ、もし生き残れたら、私はどうするんだろう。
少しずつ生き残れる可能性が出てきて、最近そんな考えが浮かんだ。
魔女で有り続けるとは思う。
でも、どんな魔女なりたいのかを、私は決められずにいた。
余命一年の先。
ラピスを出て、祈さんやソフィと活動して。
その先で一体何を目指せば良いんだろうか。
そんなことを考えていた時、不意に投げかけられたのだ。
伝説の魔女という言葉が。
「いやいやいや、我ながら野心が過ぎるて……」
色々と思考が巡ってまとまらない。
今考えても仕方がないのに。
これが若さか。
「ちょっと散歩でもするか」
家から外に出ると、村はすっかり真っ暗だった。
「ホウ」
夜目が効くシロフクロウが屋根から声を掛けてくれた。
そこで、ふと空を見上げ。
思わず声が出た。
視界一面に、満天の星空が広がっていたから。
「そっか、この辺りは光源がないから、星がよく見えるんだ……」
「ホウ」
私が空に見とれていると、不意に視界の端を何かが横切った。
思わず目を向ける。
誰かが座っている気配がした。
ごつい服を着た誰か。
村の人じゃないだろう。
その人物は、そっと私の方を振り向いた。
「やぁ、ラズベリー」
居たのは、始まりの賢者ベネットだった。
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