中東編 第10節 導き

目が覚めると、薄暗い天井が目に入ってきた。

頭がボーッとしていて、うまく思考が回らない。

私は、どうしていたんだっけ?


そこで思い出す。

暗闇に浮かんだあの目を。

白目だけが異様に浮かび上がり、深淵に覗き込まれたかのような恐怖感を覚えたのを。


「……っ!」


思わず声にならない声を漏らし、私はガバリと体を起こす。

呼吸が荒く、心臓がバクバクしている。


私は、狭い部屋のベッドの上に横になっていた。


「良かった、目が覚めたのね」


声を掛けられる。

私のすぐ横に、若い女の人が座っていた。

肌の色や顔立ちが違う。

現地の人だとわかった。


女性の奥には小さな祭壇のようなものがあり、その前には年老いた男性の姿も見える。

ヒゲがフサフサで、帽子を被った、柔和そうな老人だった。

どこか目の前の女性と似ている。


「大丈夫? あなた、危ないところだったのよ」


そこで思い出した。

そうだ、この人達が助けてくれたんだ。

騒ぎを起こしてくれたお陰で、逃げ出すことが出来た。


「魔法協会の人よね? 私の言葉はわかりますか?」


返事をしようと口を開くと、うまく声が出なかった。

話そうとすると、喉がすぼむように縮み、ヒューヒューと息だけが漏れ出る。

自分の体のコントロールが上手く出来ない。


「無理しないで。酷いことがあったんだもの、まだ混乱してるんだわ。お茶を持ってきますね。おじいちゃん、この人しばらく頼むわね」

「あぁ、大丈夫だよカウサル」


カウサルと言うのは女性の名前らしい。

女性が出ていった後、老人と私だけが部屋に取り残される。


すると私を見て老人は「本当に良かった……」と穏やかな顔を浮かべた。


「街を救いに来てくれた人が、街の住民によって被害に遭う。そんなことがあってはならないことだ。お嬢さんが助かったのも、アスラ様がお導きくださったお陰じゃよ」

「あ……ひゅ、あ?」


ようやく声が出たと思ったら、ろれつが上手く回らない。

しかし言わんとしていることは伝わったのか、老人は「そう、アスラ様だ」と頷いた。


「かつてこの土地に豊穣をもたらし、我々に安寧と平和を渡してくれた魔導師様だよ。君が助かったのは、偶然この祭壇の飾りが落ちたからなんだ。孫娘のカウサルが奇妙に思い部屋に来て、外の物音に気づいた。ここの窓から、外の様子をよく確認できるからね」


老人の話が本当だとしたら、私は相当幸運だったに違いない。

もしかしたら、本当に彼が言っている通り、アスラの導きだったのだろうか。

どちらにせよ、それがなければ私は助からなかった。


「おじいちゃんったら、またアスラ様の話をしているの?」


いつの間にか、お茶を載せたトレイを持って女性が戻ってきていた。

カウサルさんだっけ。


「ごめんなさいね、おじいちゃんは熱心なアスラ信徒なの。何でもアスラ様に結びつけちゃう」


呆れたように笑うと、カウサルさんはお茶をカップに淹れて渡してくれた。

温かいお茶が、今は心を落ち着けてくれる。

お茶を飲む私を見て、カウサルさん嬉しそうに微笑んだ。


「本当に助かって良かった。最近、この街では犯罪が増えていて、夜に人が歩くことはまずないから。おかしいと思ったんです」


どうやら彼女の機転で私は助かったらしい。


「あ……るぃ、が、つぉ」

「ありがとう? 良かった、言葉は通じるみたいね」


カウサルさんは聖母のように微笑むと、そっと窓の外を覗き見る。


「この街では防犯用に玄関のシャッターを降ろすのが当たり前なのだけれど。あなたたちが泊まっているホテルは、もう管理する人が居なかった。だから、狙われてしまったのね」


「み、んぬぁ、ぶぅ、じ……?」


「わからない。でも、今夜はまだ戻らない方がいいと思います。夜は危険だから。連絡手段はありますか? もう少し落ち着いたら、無事を知らせた方が良いかもしれません。少しくらいなら、電気も貸せると思います。幸い、うちはまだ電気が生きてるから」


彼女の提案に、私はコクコクと頷く。

口にしたお茶は、どこか独特な癖のある味がする。

これが、この街に伝わる味なのだろう。


私の姿を見ながら、彼女は視線を落とす。


「……この街は、昔はこんな風じゃなかった。スピネルは豊かで、暮らしやすい街でした。観光客もたくさんいて、商店も賑わっていて。治安だって、夜に出歩いても問題ないくらいには穏やかでした。でも、災厄が全てを変えてしまったんです。物資は少なくなり、政府の対応も滞り、行く宛のある人は街を出て、残った人はどんどん荒んでいってしまった……」


「裁きかもしれん」


老人が言葉を紡ぐ。


「わしらは与えられた以上の贅沢な暮らしを望んだ。夜も街を昼のように輝かせ、犯罪を犯し、慎ましさも忘れてしまった。だから、アスラが輝かせた大地が怒ったのかもしれん」


「またおじいちゃんったら、そんなこと言って……」


カウサルさんは、そっとため息を吐く。


「あ……あぬぉ」


私が声を出すと、二人がこちらを見る。


「こ、ことぅぉだぁ、ま。しって、ます、か」

「言霊?」


必死で話すと、なんとかカウサルさんに通じた。


「あ……すぅ、るぁ、ことぅ、どぁ、ま」

「アスラ様の言霊かい?」


老人の言葉に、私は何度も頷いた。


「わ、わぁとぁしぃ、あとぅ、めぇ、てりぅ。あすぅるぁ、ことぅ、どぁま」

「言霊を集めてる……?」


カウサルさんの言葉に私は首を縦に振る。

すると、老人は考えた素振りを見せたあと、祭壇の前に置かれていた本を手に取り、私に見せた。


「良いかい? これは経典でね。教えがある。アスラ様がわしらに与えた、聖なる教えじゃ。だが、記載されていないものもある」


記載されていないもの?


「聖なる言葉。古い言葉で、熱心な信徒だけがこの言葉を学ぶ。言霊とは、それのことだろう。土地に根ざす者だけが、その言葉を知ることを許されておる。お嬢さんはそれを、知りたいというんだね? 何のために?」


「た……すくぇ、たい。み、んな、うぉ」


助けたい。みんなを。

その言葉は、確かに伝わった。


老人は経典をベッドに置き、ジッと私の目を見つめる。

何かを図られている気がした。

私はなるべく視線を外さないよう、その目を真正面から受け止める。


するとその時。

ベッドの上の経典が、風も無いのに静かに開いた。


私も、老人も、カウサルさんも。

全員が驚いてその現象を見つめた。


そんな私たちをよそに、パラパラとめくれていたページは。

やがて、ある場所を開いて、動きを止めた。


そこには、見覚えのある絵が記載されていた。

以前、ヨーゼフと遺跡探索した時に見た絵と同じものだ。


黄金の草原の中に、一人の男性が立っている。

その周囲には精霊が飛び交い、何かの魔法を唱えている情景が描かれていた。


それは、伝説の魔導師アスラが、この土地に豊穣の魔法を唱えた姿だった。


私たちは、信じられない光景に息を飲む。

やがて、何かを察したのか。

老人は口を開いた。


「導けと、仰るのですね。アスラ様……」


そして彼は、私の顔を見ると、その言葉を紡いだ。


「【正しき言葉はここにある】……。それが、アスラ様から伝えられた、古の言霊じゃよ」



【かつて大地が人を生んだ】

【人は神に語りかけるため】

【言葉を授かった】

【正しき言葉はここにある】

【我らの声に】



五つ。

これで、揃った。


「お嬢さん、どうやらあなたは、アスラ様に導かれているらしい」


老人は、静かに言うと「北に向かいなさい」と言った。


「わしらを導いた救いの魔導師アスラ。その教えが刻まれた始まりの石碑は、この街から北に行った場所の湖に存在しておったんじゃ。かつては誰もが、そこに足を運んでいた。だが今は、誰も近づくことは出来ない」


どうしてだろう。

私が不思議に思っていると、カウサルさんが教えてくれる。


「アスラの聖地はね、災厄の中心地になってしまったの。今では恐ろしくて、誰も近づかない。誰もがその場所を死の土地だって思っているから」


誰も近づかない、死の中心地。

私たちは、そこに向かう予定だった。

そして、その場所でアスラの最初の教えがあるという。


偶然かもしれない。

でも、そうは思えなかった。


アスラは災厄の地で待っている。

そんな気がした。



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