南アジア編 第11節 種は育ち、やがて芽を出す

すっかり雨が止んだころ、私達は土壌の調査をし、状態を確認した。

最初は難しい顔をしていたベネットだったが、やがて徐々にその表情を緩めると、静かに頷く。


「まだ汚染は残っているけれど、かなり改善されてる。ジャックの意見も聞いておきたいところだけど、これならきっと人体に影響はないと思うよ」


その言葉に、緊張した顔をしていたスラムの人たちがぱっと表情を明るくした。

アニクも目を輝かし、私の手を取る。


「メグ、これで僕たち、出ていかなくても良いんだよね!?」

「うん。大丈夫だと思う」


手を取り合ってはしゃぐ私達に、「ラズベリー」ベネットが声を掛けてきた。


「まだ僕たちの仕事は始まったばかりだ。この街で、君を必要としてる人がたくさんいるからね」

「はい!」


 ◯


朝。


「ふぐぉぉ、ぐぉぉ」


私が寝ていると、ゴン、とベッドが足蹴にされた。


「おい、メグ・ラズベリー。起きろ、朝だ」

「んぇ?」


ぼやけ眼をこすると、目に酷いクマを作ったジャックが、眠たそうな顔で私を見下ろしていた。


「行くぞ。ベネットが待ってる」

「ふぁい……」


フラフラと部屋を出る。

私もジャックも足取りが重い。


「信じられないよ。華の乙女の部屋に無断侵入なんてさ。ココが泣くよ?」

「乙女が白目剥いて寝るかよ」


私に釣られてか、両肩に乗った二匹の使い魔があくびした。


「お前たちはもうちょい寝てても良いんだよ?」

「ホゥ」

「キュウ」


どうやら二匹とも私の使い魔という自覚はあるらしい。

カワユイ奴らめ。

何だか嬉しくなり、くしゃくしゃと撫でてやる。


「それにしても眠いよぉ。私何時間寝てた?」

「二時間ってとこか……」

「二時間て」


それでもまだ寝れるだけマシか。

私はそっとため息を吐いた。


廊下では、当直明けの医療チームの皆の姿がちらほら目につく。

全員顔が死んでる。

地獄のような労働環境なのだ。無理もない。


「全員そろそろ身体の限界だな」


ジャックがボソリと呟いた。



あの雨がスラムを救ってから、約二ヶ月。

私はベネットやルナとスラムの区域を巡り、重症患者の治療と、雨を用いた土壌の浄化活動をし続ける毎日を過ごしていた。


他の医療チームは病院と協力して軽症患者の治療にあたり。

魔法チームの面々は水や土地の調査と、水の浄化活動を行なっている。

状況は良くなってきているとは言え、この膨大な量である。

やるべき仕事に終わりは見えず、徐々に睡眠時間は削られ、体力を奪われていた。



「おはよう、ラズベリー」



廊下を歩いていると、ロビーにいたベネットがヒラヒラと手を振っていた。

他のスタッフが疲労困憊の中、ベネットだけはケロッとしている。

お師匠様もそうだが、大魔道師は疲労を知らないのだろうか。


「おはようごじゃます……」

「お疲れだね」

「クタクタでやんす」


すると、背後から「ふぁあ……」と声がする。


「全然寝足りないわ」


シャオユウが眠そうな顔で立っていた。

私のすぐ後に起きたらしい。

それとほぼ同時に、ピンク髪の男の娘オズや、小太り嫌味おっさんのヨーゼフなど、魔法チームの面々が次々と顔を出す。


「あれ? アボサムは?」


私はキョロキョロと辺りを見回した。

アボサムは黒い肌に高身長だから遠方に居てもすぐ見つけられるはずなのだが。

どこにも姿が見えない。

するとベネットが私の疑問に答えた。


「アボサムは長めの睡眠を取ってもらってる。今日から長時間、運転をすることになるからね」

「運転って……あ、そうか」


私は壁にかけられたカレンダーを見て思い出す。

今日で私たちはゼオライトを離れることになるのだ、と。




ドミトリーの外に出る。

ルナとアニクが仲睦まじく話をしていた。

二人は私の姿に気がつくと、手を振ってくる。


「メグだ!」

「メグちゃんおはよう」

「おはよ……」

「あはは、眠そうだね」

「ドチャクソ眠い」


二人とは、この二ヶ月間ずっと行動を共にしてきた。

スラム区域で治療活動をするのに、現地人であるアニクの協力は必要不可欠で。

重症患者を治療するのに、ルナが居なければ上手く行かなかっただろう。


現地の人と揉めたり。

パニックになった患者が押しかけたり。

何度も頭を下げ、対話し、粘り強く治療を続けてきた。

ルナも、アニクも、私と一緒に修羅場をくぐり抜けてくれた。


もう、あの頃の新米看護師の姿はどこにもない。

そして私も、約三百名以上の重症汚染患者を治療していた。


「ルナ、アニク、おはよう」


ベネットが私の背後から遅れて出てくる。

二人は「おはようございます」と頭を下げた。


「今日で重症患者の治療も最終段階だ。魔法チームの調査も大詰めだし、気を抜かず頑張ろう」

「ベネットはどうするんですか?」


尋ねると、ベネットはいつものにこやかな瞳を私に向けた。


「今日はラズベリーと行動するよ。転化魔術式の構築を手伝おう」

「ふぇーん、恐縮っす」

「メグちゃん、全然恐縮しているように見えないよ……」


ドミトリーを離れて、四人で街を歩いた。

二ヶ月前はゴーストタウンのようだったゼオライトの街。

でも今は、徐々に人の姿が見え始めている。

街は、活気を取り戻しつつあった。


「にぎわってきたなぁ」


私が何気なく言うと、アニクとルナが笑みを浮かべた。


「メグたちのおかげで、みんな病気から回復してるんだ!」

「飲み水や生活水も、安全なものがしっかり供給出来てるみたい」

「そっかぁ……」


まだまだ完全な復興には程遠いけれども。

この二ヶ月、私たちがやってきた事が、徐々に形になりつつあるんだ。

何となく、それが分かった。




「あるべき姿を見せて」


ゼオライトのスラム街にある民家にて。

私が呪文を唱えると、ほのかな魔力反応と共に、女性の肉体が元に戻っていった。

その情景に、患者の家族が声を上げる。


「そんな、信じられない!」

「奇跡だ……神の御業だ……!」

「ほほほほ、もっと言え言え」


この二ヶ月間、みっちり感情魔法を使いまくったおかげだろうか。

私の魔力コントロール力は、以前にも増して上がっていた。

すぐ疲れなくなったし、治療できる人の数も増えた。

それに、感じ取れる人々の『想い』も、より洗練された気がする。


「ルナ、重症の患者さんって、これで最後?」

「うん、そうだよ。メグちゃん、本当にお疲れさま」

「ルナもね」

「メグたちは本当にすごいや! 救世主だ!」

「アニクは大げさ。言うてまだ病院で治療を待ってる人は山ほどいるんだから」

「でも、ひとまずこの街の危機は乗り越えた」


ベネットが、そっと言葉を挟んだ。


「魔物と化す可能性のあった全重症患者の治療を完了。ラズベリー、君がやったことは、他の誰もが真似できない偉大なことだよ。歴史的な偉業でもある」

「ベネット……もっと言ってもらって良いすか」

「それさえなければもっと良いんだけどね……」


ベネットが苦笑いを浮かべると同時に、彼のスマホが鳴り響く。

連絡用に持っていたのだろう。

しばらく電話で話したあと、彼は私達に向き直った。


「病院に向かおう。魔法チームの調査結果が出たみたいだ」




カンファレンスルーム。

医療チームと魔法チームが一同に会する中。

緊張した面持ちのカビーアさんが口を開いた。


「それじゃあ、本当に雨の危険性はもうないと?」


カビーアさんの言葉に、魔法チームのオズが笑みを浮かべる。


「ひとまずは、というところだけどねっ。ゼオライトに降った汚染の雨は一時的なもの。今の所、脅威は去ったって言ってもいいと思うよ」

「そうでしたか……本当に良かった」


カビーアさんは、まるで重圧から解き放たれたように膝から崩れ落ちた。

そんな彼の身体を、近くに居たスタッフが慌てて支える。

彼は街が被災してから、医療現場の最先端でずっと闘い続けていたのだ。

一つ、肩の荷が下りたのかも知れない。


「ありがとうございました。あなたたちが――魔法協会の皆さんがいなかったら、この街に未来はありませんでした」


頭を下げるカビーアさんに「安心するのはまだ早いけどな」とジャックが声を掛けた。


「汚染者の治療状況は、まだ急場をしのいだだけだ。これから先は、お前ら街の人間で乗り越えなきゃならねぇ」

「雨の脅威も、いつまた起こるともしれない。だから国と協力して、先手を打って対処していくことが必要だね」

「はい」


ジャックとベネットの言葉は、優しくも厳しい。

その言葉を、カビーアさんはまっすぐ受け止めた。



死を待つだけだった街に光を灯し。

私達のゼオライト滞在は終わりをとげた。



医療機材を車に積み込み、出発の準備を済ませるころには、すっかりお昼を過ぎていた。

街を出ようとする私たちを、アニクやカビーアさんを始めとする街の人達が見送ってくれる。

それぞれがそれぞれ、街の人と握手したり、別れの挨拶を交わしていた。


「メグ」


アニクが声を掛けてくれる。


「本当にありがとう。メグやルナと過ごしたこと、一生忘れないよ」

「アニクも達者でやんなよ」

「いつかきっと、僕もメグみたいな魔導師になるよ」

「へぇ、こんな口悪い魔女に?」

「それは嫌だな……」

「フォローしろや」


ふっと、アニクと笑い合う。

こんなくだらないやり取りも最後か。

そっとアニクの頭を撫でようとして、手を止めた。


「そういえば、こっちでは頭撫でるのって失礼な動作なんだっけ」

「良いよ、それくらい」


アニクは私の手を取ると、ポンと自分の頭に乗せてくれた。

私はそんな彼の頭を、優しく撫でる。

少し柔らかい黒い髪に、クッキリした濃い目鼻で、意外と肌はキレイだ。

今更ながら、同じ人間なのに、随分違う特徴があるのだと気付かされた。


「アニク、私の教えた魔法の極意、覚えてる?」

「バッチリだよ」


アニクはそっと胸を叩いた。


「魔法は、心で撃つんだよね」

「……うん。それでいい。それが一番、大切だから」


 ◯


車が走っている。

ゼオライトの風景が、どんどん見えなくなる。

私は窓越しに、その様子を眺めていた。


車内で魔法チームの皆が眠りについている。

起きているのは、運転しているアボサムと、私とベネットだけだ。


「……ベネット」

「どうしたんだい? ラズベリー」

「私たち、頑張りましたよね」

「そうだね」

「これだけ頑張っても、私たちが救ったのは、あの街のほんの一握りの人だけなんですよね」

「あぁ。彼らの全員を救うことは、不可能だ」


ベネットは、優しくも、はっきりとした声で言った。


「あの街には沢山の問題があった。病だけじゃない。貧富の差や、そこから生まれた生活や土地の問題が絡み合い、大きな問題に発展していた」

「はい」

「この世には、生まれ落ちた瞬間から、人生を変えることが難しい人たちが沢山いる。一生涯努力したとしても、国家的な事情や、環境の問題で、生活を変えられない人がたくさんいるんだ。だから、変えられないことだってある。僕たちはその中で、最大限のことをしたんだ」

「……はい」


私たちは、ちっぽけなんだ。

そしてそれは、私なんかより、ずっとずっとベネットの方が身にしみてるはずだ。


何千年も生きて。

魔法の始祖と言われていても。

変えられないことが、この世には沢山あるんだから。


――自分の無力さと無知さを思い知らされます。


ゼオライトに入った時、アボサム言われた言葉。

その意味が、ようやくわかった気がした。


「ラズベリー、君はアニクに魔法を教えたね?」

「教えたっていうか、使ってたら勝手に見て学んでた感じです」

「彼はセンスがある。もしかしたら今後、魔導師として成長して、貧困から抜け出せるかもしれない。それはラズベリーがアニクに渡した、希望の種かもしれないね」

「希望の種……」

「今回ラズベリーは、あの街の窮地を救い、アニクに人生を変える可能性を与えた。それはどれ一つ無駄にはなっていないよ。出来なかったことより、出来たことに目を向けるべきだ」


ベネットはそう言うと、なぜか嬉しそうに笑った。


「種が芽を出せば、救うのは何千もの人かもしれないし、たった一人かもしれない。今から楽しみだね。君から感情の魔法を受け継いだアニクが、どんな風に成長するのか」

「そうですね」


私は、窓からそっと空を眺める。

よく晴れた空には雲ひとつなく。

遠くまで、世界が広がっていた。


「希望を与える魔女か……」


車は、次の目的地に向かっていく。

私は、そっと目を閉じて、新しい出会いに思いを馳せた。

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