南アジア編 第9節 世界一の大賢者

カンファレンスルームにて。

医療チームと魔法チーム、現地のスタッフが集まっていた。


「原因は水の流れにあったんだ」


ベネットの言葉に、皆が耳を傾ける。

その場には、アニクも居た。


「この街の人は土砂降りでも雨具を使わない。それなのにこれだけ患者の汚染状況に差が生じたことに、違和感を抱いていたんだ」

「それは、汚染された水の浄化が間にあってないからじゃあ……?」


カビーアさんが尋ねるも、ベネットは首を振った。


「ラズベリーが倒れた時、ここにいるアニクから話を聞いて違和感を抱いたんだ」

「違和感?」


首を傾げた私にベネットは首肯する。


「同じスラム街でも、汚染状況に差が出ていたんだよ」

「どういうこと? アニク」

「うん……」


アニクが一歩前に出ると、皆の視線が集まった。

最初は少し緊張した顔をしていたアニクも、やがてゆっくりと口を開く。


「みんな……酷い病に苦しんでた。日に日に悪くなって、姉さんは会話すらできなくなった。でも、隣の区域のみんなはそんなことなくて……。どうして僕たちだけって、ずっと思ってたんだ」

「その話を聞いて、ルナに協力してもらって調べてみたんだ。すると、アニクの住んでいた区域には重症患者が多く、その隣の区域に住む住民は皆がステージⅠであるとわかった」

「病状は体質でも差が出る。個人差によるものじゃねえだろうな?」


ジャックが疑わしげな目をべネットに向ける。

しかし「個人差じゃありません」とはっきり答えたのは、ルナだった。


「ベネットと調べてみてわかりました。この数の症状の偏りは異常です。スラムの場所ごとに、明らかに病状に差が出ています」

「一体どうしてそんなに差が……?」


カビーアさんの言葉に、ベネットが「排水だよ」と答える。


「原因は、この街の排水構造にあるんだ」

「排水?」

「この街では、各家庭から流れ出た水を一定区域に集め、そこから下水処理を施しているんだ」


ベネットは机の上に二枚の紙を広げる。

一枚はゼオライトの排水経路を記したもの。

そしてそこにもう一枚、ゼオライトの地図が載った薄い紙を被せた。

二枚の紙が重なり、一つの図が浮かび上がる。


「あっ……」


そこに描かれていたのは、アニク達が暮らしていた場所が、ちょうど下水の貯まる場所の真上に位置しているということだった。


「こんな風に、下水が集まっている場所がゼオライトには十数箇所存在している。そしてその真上に存在する区域こそ、重度の汚染患者たちがいる場所だ」

「でも、一体何で?」


私が首を捻ると「土壌か……」とジャックが呟いた。


「豪雨で冠水して下水が氾濫したんだ。魔力に汚染された水が集まり、それが地上に溢れ出る。必然的に、下水が集まるポイントの土壌は重度の魔力に汚染される。人間の許容範囲を超えた魔力にな」

「でもジャック。私もルナもこの場所は歩いたけど、二人共ピンピンしてるよ?」

「お前らが居たのはほんの一時だろう。それくらいなら影響ねぇよ」

「じゃあもし、そこで生活をしていたとしたら……?」


嫌な予感が、私の脳裏を巡る。

その予感を肯定するように、ジャックは唇を噛んだ。


「治療した患者はもちろん、アニクも重度の魔力汚染にかかるだろうな」

「そんな……」

「今回、アニクは魔力汚染に掛かっていなかった。でももし、わずかでも魔力に汚染されていたなら、今頃ステージⅤになっていてもおかしくなかっただろうね」

「どの道時間の問題だったってわけだ」


アニク達に行き場はない。

他の土地に逃れて生活することは難しい。

彼らは、死ぬことをわかっていても、その場所で生活することを余儀なくされている。

さもないと、どの道のたれ死ぬだけだから。


「この街を助けるには、どうすればいいんだろう」


気がつけば、私はそう言っていた。


「土を浄化するしかねぇ。土地の浄化さえ出来れば、少しずつでも状況を改善できる」

「じゃあ土の魔力を何かに転化して浄化しちゃうのは? 水で出来るなら土でも出来るでしょ?」


私が言うと、見覚えのある小太りの男が鼻で笑った。


「あのなぁ、お嬢ちゃん。この広大な土地を浄化して回るのに、一体どれほどの人手が要ると思っているんだ?」

「馴れ馴れしいな……あんた誰だっけ」

「ヨーゼフだよ! 同じ車内にいただろうが!」

「あぁ、そう言えば……」


シャオユウと一緒になって嫌味言ってきた魔法チームのおっさんか。

嫌なことは二秒で忘れるようにしているので記憶から抹消されていた。


ヨーゼフは気を取り直したようにゴホンと咳払いすると「とにかく」と続ける。


「今は水を浄化する魔導師の数すら足りない状況だ。土壌の浄化にまで手が回るはずないだろう。そんな人手があるなら、今頃状況はもっとマシになっている」

「うぐぐぐぐ……」


そこでひらめきが私の脳裏に舞い降りる。


「そうだ! 雨は? 雨を使えばいい! 街を破壊したのが雨なら、街を助けるのも雨なんだ!」

「馬鹿を言うんじゃない。こんな状況下で雨なんて降らせてみろ。それこそ二次災害になる可能性だってあるぞ」

「広域に降らせたら大惨事だけど、汚染濃度が濃い場所に範囲を絞って、住む人たちに避難してもらったら?」

「スラムの人間を説得して回れって言うのか? 一軒一軒訪ねて? 馬鹿言え」

「んなもんやってみないと分からんでしょうが! このクソ親父!」

「黙れ小娘! そもそも雨を降らせるなんて、とんでもない大魔法なんだよ! そんなこと出来るなら、この街の水事情はもっと良くなってるだろうが!」

「それはまぁ……確かに」


私が口籠ると、ヨーゼフはフンと鼻を鳴らした。


「大体そんな大魔法、誰が出来るってんだ。それこそ世界一の賢者でもなければ出来るわけ……ない……」


そこで、皆が黙った。

自然と、ベネットに視線が集まる。


始まりの賢者は、老人の姿のまま、静かに微笑んでいた。

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