南アジア編 第6節 災厄の待つ場所
私達の目の前に立っていたのは、現地人らしい少年だった。
十二、三歳くらいだろうか。
ラピスに居る子供達とはまるで違う。
その目はまるで試すように、私達を揺らぐことなく見つめる。
「ねぇ、あんた達、病院の人?」
「病院の人と言うか……」
ルナが困惑した調子で私を見る。
仕方なく私は続きを受け継いだ。
「私達は魔法協会から派遣されたボランティアだよ」
「ボランティア?」
「うん。この街を助けに来たんだ。あなた、この街の子だよね?」
「そうだよ。ねぇ、魔法協会の人なら、魔法を使うのが得意なんだよね? 姉さんが言ってた。魔法協会は魔法のエリートの集まりだって」
「エリートって……」
ずいぶん過大評価されたものだ。
周囲からの評価と、現実があまりにかけ離れ過ぎている。
困惑する私達には気付かず「エリートならさ、僕の姉さんを助けてよ」と少年は言った。
「この前の雨で、姉さんが病気になっちゃったんだ」
「お姉さんが?」
私が問うと、少年は頷いた。
「酷い病で、家から出ることも出来ないんだ」
「魔力汚染かな。どう思う? ルナ」
「見てみないことには何とも」
「ねえ、頼むよ。あんた達魔法協会は、そのために来たんでしょ?」
「そうだけど、私は現場が……」
ルナが困ったように私を見る。
少年を見捨てることも出来ない。
かといって現場はもっと苛烈な状況だ。
判断に迷ってるのだろう。
「じゃあ私が行くよ。何が出来るか知らんけど、行かないと分かんないっしょ」
「メグちゃん、一人で行くの?」
「任せといてよ。ルナはみんなを手伝わないと。ルナの治療を必要としてる人が、大勢居るんだから」
「でも、一人で行って、もしトラブルに巻き込まれたら……」
「大丈夫だよ。一応
「不吉なこと言わないでよ」
少年が顔をしかめる。
ルナが歯切れの悪い返答をするのも無理はない話かもしれない。
慣れない異国で、治安はほとんど崩壊している状況だ。
そんな中、女一人を行動しようというのだから、不安にもなる。
ただ、こんな状況下だからこそ、信用しなければ何も出来ない。
私はそう思っている。
「じゃあ、とりあえず行くのは私でもいいかな? 魔法はそれなりに使えるから、何かしら役に立つと思うよ」
「外れの方かぁ……わかった」
「誰が外れじゃ」
「あ……」
私達が行こうとすると、ルナは一瞬迷った様子を見せたあと、やがて決心したように顔を上げた。
「メグちゃん、やっぱり私も行く」
「えっ? でも現場は?」
「どうせ抜けてきちゃったし。メグちゃんを一人で行かせる方が気になるから」
「そっか。ありがと」
笑い合う私達を見て「そんな心配しなくても、何もしないよ」と少年が顔を膨らませた。
まぁ、最初から疑うなぞ、ずいぶん失礼な話だとは思う。
○
少年に連れられて、私達は街を歩いた。
相変わらず人通りは殆どない。
今、この街の大半の人が、出歩ける状況にないのだ。
「そういえば名乗ってなかったね。僕はアニク」
「アニク?」
「うん。『強い』って意味なんだ」
「変な名前」
「じゃああんたは何て名前なのさ」
「私はメグだよ。メグ・ラズベリー」
「変な名前だ」
「ぶち殺すぞ」
「メグちゃん、理不尽が過ぎるよ……」
病院のカビーアさんと言い、このアニクと言い、異国の名前は未だに慣れない。
こうした細かいところでも、価値観や文化的な差を感じる。
田舎に住んでいては中々気づけないことでもあった。
「それで、アニクの家ってどこなの? 近い?」
「街の外れだよ。割と歩く」
「そんな遠くからわざわざ?」
「どの病院も一杯だからね」
話に聞くと、アニクはかなり色々な病院を歩いて回って来たらしい。
その先で、私達と出会った。
病院では、たくさんの人が治療を受けていた。
それなのに、まだまだ治療の手は行き届いていない。
こんな少年が街中を渡り歩かねばならないほどに。
アニクに連れられて長い道を歩いた。
その間、この街の状況や、アニクについて聞く。
現在、この街ではほとんど経済的な活動が止まってしまっているらしい。
いつもは沢山の車が走るこの大通りも、今は一台も姿が見えない。
活気に溢れたゼオライトの街の鼓動は、止まってしまっている。
「まさか雨がこんなに大きな被害になるなんてね」
「僕たちにとって、雨は祝福だから」
「祝福?」
私の言葉に、アニクは頷く。
「このゼオライトでは、毎年暑季になると水が不足するんだ。特に僕たちが暮らしている地域は水があまり回ってこなくて。水が使える時間も制限されたりするんだよ」
「へぇ、そりゃ不便だね」
「お金持ちの人はそうじゃないみたいだけどね。だから、僕たちにとって雨は天の恵みなんだ。雨がたくさん降ってくれれば、水を沢山使えるから」
でも、その雨が原因で、この街は壊滅的なダメージを受けた。
雨を『祝福』と呼んだ彼らにとって、それはあまりに残酷な仕打ちだ。
しばらく歩くと、高い建物が続く街並みから、やがて路地のような場所に入った。
先ほどと違って臭いがきつい。
道路の脇に濁った水が流れ、ゴミが多くて、道が狭く、暗かった。
「アニクの家ってこの先? すげぇとこに住んでんね」
「もう少し入ればマシになるよ」
「メグちゃん。ここから先ってスラム街だよね」
薄暗い道を見つめ、ルナが怯えた声を出す。
「大丈夫かな……」
「大丈夫だよ」
「なんで分かるの?」
「アニクを信用してるから」
私が言うと、アニクは少し顔を赤くしてプイとそっぽを向いた。
お子ちゃまめ。可愛いんだから。
「ただ、別の心配はあるかな……」
カンファレンスの時のカビーアさんの言葉が脳裏に浮かぶ。
――彼らは主に貧困層の住民でした。スラム街に住んでおり、特定の住所がない人も大勢います。
あの言葉がもし、本当なのだとしたら。
行方知れずになった重篤の患者は、もしかして……。
「メグ、ここが僕の家だよ」
アニクは一軒の長屋の前で立ち止まる。
コンクリート製の古い建物だ。
隣の家と繋がっているらしく、壁は古びていてひび割れている。
「上がってよ。姉さん、魔法協会の人を連れてきたよ。助けに来てくれたんだ」
中に入るアニクに、私達も続く。
中を見て、ルナが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
「メ、メグちゃん、これって……」
「やっぱりそうだった」
それは、もはや人の姿をしていなかった。
奇妙に膨らんだ手足。
変わり果てた骨格。
言葉にならぬうめき声。
それでも飛び出た目玉は、まっすぐ私達を捉えた。
ステージⅣ以上の患者は、スラムの住人だった。
アニクの姉は、ステージⅣ以上の患者だ。
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