南アジア編 第2節 破壊の雨
一通りの宿泊施設の案内を受けた私たちは、医療チームと共に病院へと向かった。
何も考えずに歩いていると、小さな水たまりに足を踏み入れそうになったところで、ベネットに腕を掴まれた。
予期せぬことにギョッとする。
「ラズベリー、踏まないほうが良い」
「うぇっ? どうしてですか?」
「これがこの街を襲った“災害”だからさ」
「どゆこと?」
「すぐにわかるよ」
訳がわからない。
釈然としないまま、そのまま病院へとたどりついた。
私達は中に入る。
「何これ……」
院内には、病室に入りきらないくらいの大量の患者で溢れていた。
廊下にストレッチャーがいくつも出され、そこで患者が何人も横たわっている。
それ以外にも、廊下の端や階段、病院の至るところに人がいるのだ。
彼らは肌が変色したり、体の一部が奇妙な形に変異していた。
「病室が足りねぇんだ」
ジャックが言う。
「今この町では、医療崩壊が起きてる。現場の医療スタッフはほぼ休めてねぇ。他国からの医療支援も入ってる。それでも手が足りてない状況だ」
院内を走り回るスタッフの姿は、ずいぶんと疲労して見えた。
目の下に隈があり、生気がない。
今にも倒れそうに見える。
治療する側が、今度は治療される側になる。
そんな負のスパイラルが、いつ起こってもおかしくない状況だった。
この世の地獄。
思わず、そんな言葉が思い浮かぶ。
壮絶な光景に、その場にいる皆が言葉を失った。
「ねぇ、ジャック。この街で一体……何があったの?」
「水だ」
「水?」
「魔力が混ざった雨が降り、生活水の全てが汚染された。ただそれだけだ」
南アジアや中東の気候は、西欧や東洋、欧米とは異なるサイクルで動いている。
暑季には気温が四十℃近くにまで上昇し、雨季には豪雨が降る。
ゼオライトも例外ではなく、毎年雨季に入ると、大量の雨が降るのだそうだ。
雨具は意味をなさず、どしゃぶりでも雨にうたれて歩く。
それは、この地域の人達にとって当たり前のことだった。
しかし、その雨が、大量の魔力を孕んでしまっていた。
雨雲に魔力が混ざる特殊な現象が起きたらしい。
そのせいで、生活水に魔力が混ざり、水を使った人たちも、雨に打たれた人たちも、大量の魔力を体に受け、汚染された。
そして、街中に魔力汚染者が溢れかえったのだ。
「幸いなのは、魔力の濃度が高くなかったことだ。重傷者はそれほどいねぇ。今のところな」
「でも、水が汚染されてるなら、私達が今日使う水は……?」
「もちろん、浄化されたものを使える。水の浄化は、国内や海外から派遣された魔導師たちによって進められ、何とか事なきを得てるからな。元々は魔力だ。魔法を使って水に転化しちまえば良い」
「そっか……」
話を聞いていた他のスタッフたちも、安堵の表情を浮かべた。
皆、不安に思っていたのだろう。
しかし、ジャックは「だが」と付け加える。
「体内に入った魔力は別だ。魔力汚染の治療は、魔法医療の最先端であるアクアマリンでも難しい。特に発展途上のゼオライトでは、治療が進まず、患者が増える一方なんだ」
「それだけじゃないよ」
今度はベネットが話を継ぐ。
「これからゼオライトだけでなく、この国全体が本格的な雨季になる。調査が進んでいない今、また魔力に汚染された雨がいつ降るとも知れないんだ。これから雨季になるこの国にとっては大変な脅威だよ」
雨季に降る雨の量は尋常ではない。
それこそ足首が浸かるくらいにはあふれることも珍しくないらしい。
その雨が全部汚染されていたとしたら。
……魔力汚染を免れるのが極めて難しいのは、容易に想像出来た。
「今から医療チームは現場でレクチャーを受け、治療活動にあたってもらう。僕たち魔法チームは別行動だ。この地域の水と土壌の調査をして、また汚染された雨が降らないかどうか、いち早く見定めねばならない」
「水と土の調査だけ?」
シャオユウが怪訝な顔をする。
「浄化活動に参加するとか、もっと実用的なことはしないんですか?」
「この人数で、最大限力になることをするんだ。ここに居る皆は、魔法協会が認めた知恵がある。現場の作業をするよりも、状況を分析した方が役に立てるはずだよ。ここに居るのはほんの二ヶ月程度。その間に出来ることは限られているからね」
そこで、不意に先程、アボサムが言っていた言葉が思い浮かんだ。
――自分の無力さと無知さを思い知らされます。
世界最高の魔導師であるベネットと、最高の医者であるジャックが居るのに。
私達が出来ることは、この深刻な問題に、ほんの少し対処することくらいなのだ。
二ヶ月という期間で、どれくらいのことが出来るのか、まだ全然想像がつかない。
だけど、今はやるべきことをやるしかない。
それに、土や水の調査なら、私だって加勢出来るはずだ。
植物から、土壌や水質汚染の濃度を読んで、汚染領域を出していけば――
そんなことを考えていると、ジャックが私の肩を掴んだ。
「おい、メグ・ラズベリー」
「はいはいさ?」
「お前はこっちだ」
「えっ?」
ジャックの言葉に、思わず間の抜けた声が出る。
「お前は魔力汚染の治療の
「あー、そっか……」
私は魔法チームだけど、同時に魔力汚染の治療も担わないとダメなんだ。
魔法チームの面々が、ピクリとコチラを見るのがわかる。
またあいつか……そんな目をしている気がした。
「偉大な魔女のお弟子さんは、ずいぶんと七賢人様に気に入られているようだ」
「ま、素人が調査に来ても邪魔なだけだし。治療現場でも邪魔だろうけど」
「何おう……!」
ずいぶんと好き放題言ってくれる。
思わずカッとなったが、ベネットと目が合って、どうにか堪えた。
一々相手にするな。
その瞳はそう言っている。
「ラズベリー、こっちは任せていい。君は君のやるべきことをするんだ」
「はい……」
「じゃあ、行くぞ」
ジャックに促され、私は医療チームと共に奥へと向かった。
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