南アジア編 第1節 南アジアの都市ゼオライト

車で走っていると、徐々に空気の湿度が増してきた。

この時期は……確か雨季に入っているんだったか。


先程までの広大な光景が一変して、小さな家や店が視界に入ってくる。

どうやらどこかの街に入ったらしい。

少し古びた建物に、剥がれたコンクリートの壁。

西欧地方に比べるとその街並みはなんだかごちゃついていた。


整地された道の端々には、かなり大きな水たまりや濡れたゴミなんかが目に入る。

豪雨で冠水したのだろうか。

馴染みがないが、そう思わされる道路状況だった。


ただ不思議なことに、これだけ大きな街なのに、人の姿はほとんど見えない。

そういえば、確かここは魔力災害の被災地なんだっけ。

もっと建物が崩れたりしているかと思ったが、その様子はない。

ここで一体何があったんだろう。


「なんだかゴーストタウンみたい……」

「あそこが我々の目的地だ」


運転していたアボサムの言葉に、フロントガラスから前を見る。

大きな病院が目に入ってきた。

見た目にも古く、少し荒れた印象を受ける。


「南アジアの都市ゼオライト。その中央病院だ」

「ゼオライト……」


ここが、最初の目的地か。




車を中の駐車場に停め、ようやく車を出た。


「あー、肩凝ったぁ」


首を回すとボキリボキリと骨が鳴るのがわかった。

そこで、ふと見ると、私の肩に乗っていたシロフクロウの元気がない。

明らかに弱っているのがわかった。


「おーい、大丈夫? どうしたんだよぅ」

「魔法での体温調整を怠らないほうが良い」


いつの間にか側にアボサムが立っていた。


「その動物は、北国に生息する鳥でしょう。南アジアの気候は暑すぎる」

「あ、しまった……そっか」


今まであまりシロフクロウを遠征に連れて行くことがなかったため失念していた。

幻獣カーバンクルはどの気候でも平気そうだが、シロフクロウはそうじゃない。

この子にとっては、二十℃くらいの気温が適温なのだ。


「ここから先の気候は、あなたが居た国とは大きく変わってくる。魔法での気候調整は出来ますか? ミス・メグ」

「あ、うん。大丈夫。ほら、シロフクロウ。こっちおいで」

「ホゥ……」


私が魔法をかけると、一気にシロフクロウの表情が楽になる。

私は使い魔を連れているから、これからこの子たちの体調管理にも気を配らねばならない。


「アボサム、ありがと。動物のことをよく見てるんだね」

「私の故郷は多数の動物と共存していました。これくらいは普通です」

「そうなんだ。アボサムは……こういう活動に参加するのは初めてなの?」

「過去に何度か。災害支援や、ボランティア活動に出向いたことが」

「へぇ、どうだった?」

「状況によりますが……楽ではありませんでした。自分の無力さと無知さを思い知らされます」

「無力さと無知さ?」

「大災害の前では、私達が出来ることなど限られています。魔法を学びつづけて、これしか出来ないのかと思い知らされた。助けられた人より、助けられなかった人の方が多いんです」

「助けられなかった人の方が……」

「それに、私達は他国の人々の生活を知らなさ過ぎる。自分がどれだけ恵まれた環境に居たのかを、まざまざと見せつけられます」


先程の市街地の情景を思い出す。

あの一瞬だけで、かなりの文化的な違いを感じた。


これから、そんな情景がもっと広がるんだろうか。


「ラズベリー、こっちへおいで」


考えていると、不意にベネットに手招きされた。


「なんすか?」

「ちょっと君に魔法をかけておこうと思ってね」

「魔法? 何の?」

「音の魔法だよ。言語に関する魔法でね。相手の言葉と、自分の言葉の音を変え、ギャップを埋める。つまり翻訳魔法だ」

「そんなん出来んの?」


ベネットがそっと微笑んで私の額に指をあてると、魔法が自分にかかるのを感じた。

こころなしか、さっきよりほんの少しだけ、聴こえてくる音がクリアになった気がする。


「今までは皆共用語で会話していたが、ここからは全員が全員、母国語で話しても大丈夫なはずだ。お互いの言葉を理解できるようになるはずだよ」

「ふぇー、すんごい。こんな魔法使える人いる?」


驚いて周囲を見ると、魔法チームの皆が静かに首を振った。

どうやら誰も、この魔法の原理を解明できていないらしい。


全世界の人間と一瞬で会話出来るようになる魔法。

魔法は、こんなことをも可能にしてくれるのか。


「ベネットって、使えない魔法を探す方が大変そうですね」

「そんなことないさ。君たちより長く生きている分、持っている知識が多い。それだけだよ」

「はーん……」


何にせよ、これでお互いコミュニケーションが取りやすくなったわけだ。

実際、さっきから周囲で会話しているスタッフの言葉が、かなり流暢に聞き取れる。


「じゃあ病院に入る前に、まず宿泊施設に向かう」


ジャックの号令で、私達は動き始めた。




宿泊施設は、病院の直ぐ側にあるドミトリーだった。

男女で部屋が別れており、一室六名にそれぞれ二段目ベッドが割り当てられ、寝泊まりすることになる。

風呂も夜間の一時間のみ、使える水は最低限に留めるらしい。


「うわぁ、最悪。トイレもめっちゃ汚い。まぁ……お風呂入れるだけマシかぁ」


施設の説明に、シャオユウが露骨に顔を歪めたあと、不思議そうに私を見た。


「七光り。あんた、ずいぶん平気そうね?」

「まぁ私はゴキブリの中でも寝れるから」

「えっ……」


絶句する彼女に、私は黙ってトイレットペーパーを手渡す。

するとシャオユウは怪訝な顔をした。


「何よこれ」

「見てわからん? トイレットペーパーだよ」

「何でこんなもの……」

「嫌なら別にいいんだけど。なんかこの国はトイレの後は紙使わないで手で拭くらしいよ。ジャックが言ってた」

「えっ……手?」

「水で流しながら、左手で拭くんだって」

「手で拭くって、お、大きい方も……?」


私は頷いた。


「大も小も、両方だよ」


シャオユウは泡を吹いて倒れた。

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