第14話 世界の果てで

旅立ち編 第1節 いつもの紅茶と、命の呪文

旅立ちの朝は、雲一つない快晴だった。

何だか心臓が高鳴って、心が落ち着かない。

いつもより、三十分ほど早い時間に目が覚めた。


コンコン、とドアをノックすると「入りな」と中から声がする。

部屋に入ると、いつもと同じように、永年の魔女は本を読んでいた。


「朝の紅茶っす」

「今日はずいぶん早いじゃないか」

「何だか眠れなくて」

「お前にとっちゃ初の長期遠征だ。魔法協会の依頼ということもあって、プレッシャーもあるだろう」

「そうですね……」


弱々しい笑みを浮かべる。

するとお師匠様は「メグ、そこに座りな」と来客用の四人がけのテーブルを指差した。

言われるままそこに座り、手に持っていた紅茶セットを置く。


するとお師匠様は、私の対面に座り、私の分のカップに紅茶を注いでくれた。

一緒に飲もうとカップを二つ持ってきたことに気づいたのだろう。

お師匠様がこうして紅茶を入れてくれるなんて、初めてかもしれない。


「こうして紅茶を飲む機会は、もう当分ないだろうね……」


少し寂しそうに、お師匠様が言う。

私達の間に、以前のような気まずさはもうなかった。


「ずっと前、祈さんに誘われて世界に出てみたいって言ってたのが嘘みたいです。でもまさか、こんなに急に機会が巡ってくるなんて」


「言ったろう。焦ることはないとね。やるべきことを積み重ねた。その結果が認められただけさね。旅先ではかなり忙しくなるだろうから、覚悟しときな」


「私だけじゃないですよ。お師匠様だって、もうすぐ星の核が完成するんでしょ? 色々バタバタしそうじゃないですか」


「そう大したものじゃない。去年の暮れに魔法式典が行われた北米の聖地があるだろう。私がやるのは、あの場所にエルを送り届けることだけさね」


「どうしてあの聖地に? 二十年に一度しか開かない場所なんでしょ?」


「星の核を使えば開くことが出来るだろう。あの場所は星とつながってる。あそこで星の核を使って、少しずつ、この星の乱れを正していくのさ」


「星を浄化する執行人になるんでしたっけ……」


エルドラ姉さんは、たった一人で、この星を救おうとしているのだ。

それは、きっと想像もつかないような孤独との戦いなんだと思う。

でも彼女は、その役目を担うことを選んだ。


どうしてそんな人が、オルロフを滅ぼしたんだろう。


本ではエルドラ姉さんの行動が、結果として第三次世界大戦を止めたと書いていた。

でもきっと、理由はそれじゃない。

エルドラ姉さんは……自分の行動を『復讐』だと言っていた。

オルロフが滅ぼされたのは、エルドラ姉さんの個人的な事情だ。


そしてお師匠様は、大量虐殺の罪を少しでも償いたくて、私を助けた。


その事実を知った時は、取り乱していて分からなかったけど。

オルロフの生存者がほとんどいないことからも、お師匠様はかなり危険を犯して私を助けてくれたんだと思う。


悪魔サタンと退治した時も。

オルロフで私を救った時も。


お師匠様は、命を投げ出して私を救ってくれた。

私のことを『愛娘』と呼んでくれた。

家族として受け入れてくれた。


だからそんなお師匠様の想いを、私は信じたい。


「メグ、お前に、この呪文を教えておこう。今のお前なら、使えるはずだ」

「呪文?」

「命の種を生み出す呪文だ」


私の全身に、ゆっくりと緊張が走った。


「『フィアト・ルック』……ラテン語に由来する呪文でね。意味は『光よ、生まれろ』。涙が千粒集まった時、この呪文を唱えな」

「はい」


ずっと命の種を生み出す明確な方法を、お師匠様は教えてくれなかった。

それを私に教えた意味について考える。


お師匠様は、私を認めてくれたんだ。


「この呪文は、ただ唱えただけだと意味がない。分かるね?」

「感情を、想いを載せる」


私が言うと、お師匠様はいつもの不敵な笑みを浮かべて、ゆっくり頷いた。


「お前に涙をくれた人たちを想い、そして出会ってきた全ての人達に捧げるつもりで、この呪文を唱えな。それが出来た時、感情の欠片たちはお前の呼びかけに応えるだろう」


「でも、私が持つ涙は、嬉し涙じゃないものも混ざってます」

「それでも、ビンが集めた涙ということは、重要な意味がある。お前はただ、信じれば良い。自分のしてきたことをね」

「……わかりました」


その時、鳩時計が八つの鳴き声を上げた。

お師匠様が時計を見上げる。


「メグ、そろそろ時間じゃないのかい」


気がつくと、ずいぶん時間が経っていた。


「そうですね、そろそろ行かないと」

「荷造りは済んでるのかい」

「はい。玄関に置いてあるんで、いつでも出れます」

「そうか。なら良い……」


するとその時、玄関のチャイムが鳴り響いた。


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