第3節 地図にない国
その日の夜。
図書館から戻った私は、家に戻ると二人分の夕食を用意した。
だが、お師匠様が部屋から出てくる様子はない。
星の核の制作作業で忙しいから、しばらく部屋で食事を取ると言われていた。
分かってはいたのだけれど、何だか妙な壁を感じる。
「持って行くか」
コンコン、とドアをノックすると、中から「入んな」と声がした。
「失礼します」
食事の乗ったトレイを持って中に入る。
お師匠様はこちらに背を向け、本棚に向けて立ったまま、書物に目を通していた。
「お師匠様、食事をお持ちしました」
「あぁ、そこに置いといておくれ」
「はい」
私は黙って食事を近くの来客用テーブルに置く。
何故かトレイを持つ手が震えていた。
部屋の空気がピリついて、ひどく緊張する。
いつもはこの時間帯に私が部屋にやって来ると、小動物たちが我先にと餌を求めてくるはずだ。
でも今日は、みんな騒がず、そわそわと落ち着かない様子で状況を見守っている。
「それじゃ、失礼します……」
「あぁ」
部屋を出ると、どっと汗が噴き出した。
お師匠様って、あんなにプレッシャーのある人だったっけ。
初対面の人のような威圧感があった。
私の知っているお師匠様じゃない。
『永年の魔女ファウスト』としての威圧感なのだと気づく。
普段、大舞台でお師匠様が出しているプレッシャーを、モロに向けられた。
気のせいじゃないだろう。
実際、私が食事を置いて部屋から出る間、お師匠様は一度たりともこちらを振り返らなかった。
「何なんだよ、くそっ」
思わず悪態がこぼれ出る。
食卓で一人ご飯を食べる。
いつもなら適当な会話が飛び交う夕餉の席には、私の食器の音だけが響く。
カーバンクルとシロフクロウが、そんな私を心配そうに見つめていた。
食事は家族揃って食べるもんだよとか言ってたのは、どこの誰だったか。
「メグ、食事だよ。早くしな」
「やだ! 今テレビが良いところなのっ!」
「見ながらでも食べられるだろう! 冷めちまう前にさっさとおし!」
「だってお師匠様、テレビ見ながら食べたらそれはそれで文句言うじゃん!」
「それでも、だ。人はいつだって別離の可能性を秘めている。明日一緒に食事するのが当たり前とは限らないんだ。いいかい、メグ。食事は家族揃って食べるもんだよ」
そんな昔のことを、今更思い出す。
「自分で教え破ってどうすんのさ……」
私の文句は、食器のぶつかる音と共に空間に溶けた。
食事の片付けを終え、風呂に入って自室に戻る。
濡れた髪の毛を拭いていると、ふと机の上に置いていた本に目が行った。
昼間図書館で借りた本だ。
私はそっと、その本を手にする。
ドキュメントとか、ノンフィクションと言えばよいのだろうか。
魔法史の本とかは別だけど、こう言うジャーナリズム溢れる本は今まで読んだことがない。
読むのに抵抗があったのだ。
著者の思想に染まってしまう気もしたのと、おっさん臭いから。
「『地図にない国』か……」
エンデはまだ小学生くらいなのに、どうしてこんな本読もうと思ったんだろう。
大人になりたくて背伸びしたというやつだろうか、なんて穿った考え方が浮かぶ。
ただ、今の私にとって、この本は読まなければならないもののような気がした。
無視出来ない。
大切なことが、ここには記されている気がする。
十七年前に滅んだ、ある国についての本。
読む前に、少しだけネットで調べてみる。
どうやらこの本、すでに絶版になっているらしい。
しかも、何故か古本屋やフリーマーケット系のサイトでも出回っていない。
だからといって、プレミアがついている訳でもない。
「作者は……亡くなってるのかぁ」
東亜地方で爆破テロに巻き込まれて亡くなったという。
戦場カメラマンというやつなのだろう。
いくつか著書が紹介されていたが、何故かこの本だけリストになかった。
一つだけぽっかりと、穴が空いたように抜け落ちている。
単純に知名度がないのかもしれないけれど。
私は、何か事情があるのではないかと思った。
「読んでみるか……」
私は本を開いた。
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