第2節 図書館のエンデ

午後。

家に居るのが何だか気まずくて、私はラピスにある図書館に居た。

エルドラ姉さんの一件以降、図書館で時間をつぶすことが多い。

昔から本を読んで育って来たため、こう言う本が沢山ある空間にいると落ち着く。


ホントはこんな呑気に本なんか読んでる場合じゃないのはわかってる。

でもここ最近は、嬉し涙集めにも身が入らないでいるんだ。


私が死ぬまで、あと半年を切った。

もう、時間がないのに……。


ラピスの図書館は蔵書数が多く、利用者もそれなりに居る。

平日の昼間でも、高齢者や学者っぽい人の姿がチラホラと見受けられた。

館内は静かで、利用マナーも良くて居心地が良い。


私は奥の方にある、人気がないテーブルで本に目を通していた。

手にしているのはミヒャエル・エンデの『モモ』だ。

昔よく読んだのを思い出して、何気なく手に取った。

ただ、本のページを捲っても、内容はほとんど頭に入ってこない。

何となく、儀式的にそうしているだけだ。


「ねぇ、ここ座って良い?」


ふと、向かい側から声をかけられた。

見ると見覚えのない男の子がニッコリと笑みを浮かべている。

小学生くらいの利発そう金髪の男の子。

身なりもキッチリしていて、お金持ちの子にも見える。


「うん、別に良いよ」


答えると同時に、一瞬だけ視界にノイズが走った感覚がした。

ノイズとともに、男の子の姿がブレる。

男の子が男性の姿にも、若い女性にも、年老いた老人にも見えた。

奇妙な現象に思わず目をしばたかせる。


「どうしたの? 変な顔して」


不思議そうな顔をした少年に、私は静かに首を振った。


「大丈夫。変なのは元からだから」

「そうみたいだね」

「あぁっ?」


利発そうに見えたのは見た目だけで、中身は街の子供と一緒か。


「お姉さんって、ひょっとしてラピスの街の魔女?」

「うん、そだよ。よく分かったね」

「インターネットのニュースサイトで写真が載ってたよ。アクアマリンを救った魔女って」

「えっ!? そんな特集組まれてんの?」


本人の知らないところで名前だけが独り歩きしている。

とはいえ、私も有名になったものだ。


一人で感慨にふけっていると、ふと男の子が手にしている本が目に入った。

『地図にない国』……そう書かれてる。

この年代の子が読むにしては、堅苦しそうな本だ。

何だか無性に気になる。


「君の持ってる本、面白い?」

「それなりに面白いよ」

「どういう内容なの?」

「いまから十七年前に滅んだ国のドキュメントなんだ」

「国が……?」


ドキリ、と心臓の鼓動が跳ねる。

そんな私の様子を知る由もなく、男の子は続けた。


「今から十七年前、世界的な大戦争が起きそうになった。でもその戦争は回避された。それは、戦争を牛耳っていたある国が滅んだからなんだ」

「へぇ」


十七年前に滅んだ国。

ちょうど私が生まれたのと同じ年だ。

私が考えていると、今度は反対に少年が私の本を指差した。


「お姉ちゃんは何読んでるの?」

「えっ? 文学だよ。ミヒャエル・エンデって人の『モモ』って物語」

「へぇ、エンデって、僕と同じだ」

「同じ?」

「うん。そう。僕はエンデって言うんだ」


エンデ。

名前じゃなく苗字だろうけれど、珍しいと思った。

この子の雰囲気にあった、不思議な響き。


「ねぇお姉ちゃん。『モモ』ってどんなお話なの?」

「悪いやつが『時間を貯金しましょう』って嘘をついて、皆から時間を奪っていくの。それを、主人公のモモって女の子が助ける話」

「不思議な話だね」

「時間の過ごし方の大切さを訴えてるんだよ。せわしなく生きて、社会が便利に効率的になってるけど、本当に大切なことを忘れてませんかって」

「大切なこと?」


首を傾げたエンデに、私は頷く。


「この本に描かれてる本来の生活は、効率が悪いけれど人との繋がりが深いんだ。のんびり仕事して、のんびり友達と話して。そういう風に、効率的な時間を過ごすのだけが、豊かな人生じゃないって言ってるんじゃないかな」

「ふぅん。何だか難しいね」

「ストーリー自体はシンプルだけどね」

「お姉ちゃんにとって、豊かな人生って何?」

「えっ? めっちゃ難しいこと言うやん……」


私はいままでなんとなく一日を過ごしていた。

でも、余命を宣告されてからは、あきらかに一日一日の価値は大きくかわった。

無限だと思っていたものに、急にタイムリミットが定められた。

だから私は、手にしているものの価値を知ることができた。


誰かとの繋がり、当たり前の生活、魔法……それらの価値。


そうした価値を知ることは、豊かな人生を過ごすことに――突き詰めれば、偉大な魔女になることにも繋がるのかもしれない。


今思えば、お師匠様が導いてくれたお陰で、私はその価値を知ることが出来たのだと思う。


頭では分かっているけれど、言葉にするのは難しい。

何だか面倒くさくなって、私は誤魔化すように肩をすくめた。


「ごめん、よくわかんないや」

「なぁんだ、つまんないの」

「人に聞くより自分で読むほうが早いと思うよ。私はもう読んでるから、これ借りてみたら?」

「そうしようかな。じゃあお姉ちゃん、代わりにこの本も読んでみてよ」


エンデそっと手にしていた本を差し出す。

『地図にない国』――十七年前に滅んだという国について記された本を。


「これ、図書館の本?」

「ううん。僕が持ってきた本。パパの書斎から持ち出してきたんだ」

「借りちゃって良いの?」

「今度会った時に返してくれたら良いから」


少し迷ったが、私はその本に手を伸ばした。

知らないと始まらない。

それで、何かが変わるかもしれないんだから。

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