第7節 二人の愛娘
夜闇に溶け込むような黒い服。
顔を隠す黒いヴェール。
死を形にしたような外見の魔女エルドラは、静かに部屋の入り口から、私を見つめている。
「え、エルドラ姉さん、ど、どうしたんですか? こんな夜更けに」
「あなたの部屋から、強い恐怖の感情が伝わってきたから……」
お師匠様と話していた時にも、似たようなことを言っていた。
どうやら魔女エルドラには、人の感情を察知する力があるらしい。
それは、強い魔力を内に秘めた魔導師だけが持つ、嗅覚のようなものなのかもしれない。
でも、彼女は気づけていないんだ。
私の抱く『恐怖』が、自分に向いていることを。
エルドラ姉さんが部屋に一歩入る。
自分の身体が硬直するのが分かった。
怖い。
純粋な恐怖が、全身に駆け巡る。
「こ、来ないで……」
絞り出すようにそう言うと、エルドラ姉さんはピタリと足を止めた。
「メグ、どうしたの……?」
「夢を見たんです」
「夢?」
「潜在夢って言うやつだと思います。他の夢と、明らかに様子が違ったから」
「……どんな夢だったの?」
「たくさんの人がいる大きな街に、突然一人の魔女が現れて街を壊滅させる。そんな夢です」
「それは……とても怖い夢ね……」
「街を破壊していた魔女は、エルドラ姉さんでした」
漂う沈黙。
「夢の中で、一人の女性が赤ん坊を抱えていました。その女性は、赤ん坊のことを『メグ』って呼んだんです。あの女性は、もしかしたら私の本当のお母さんじゃないかって。教えて下さい。私の話に、心当たりがあるかどうか。私の両親と故郷を焼いたのは、本当にエルドラ姉さんなんですか?」
「あなたの見た夢が、本当に潜在夢なら……そうかもしれないわ」
エルドラ姉さんの声のトーンが落ちたのが分かる。
まるで……何かを悟ったかのように。
「あなたが孤児だと聞いた時から、ひょっとしたらと思っていた……。私はかつて、国をいくつも滅ぼした。メグは、その生き残りじゃないかって」
「国を滅ぼすって、どうしてそんなことを? あなたは、理由なしにそんなことをする人じゃないはずです」
「それは……」
少しの間を置いて、エルドラ姉さんははっきりとした声で言った。
「復讐だった」
その言葉を聞いて、私の脳裏に突如として記憶が浮かんだ。
夢の中で、魔女エルドラが言った言葉。
――これは、復讐よ。
彼女は、確かにそう言っていた。
「どうして?」
「家族を殺されたから」
「家族って、お師匠様じゃないんですか?」
「私の……もう一つの家族」
もう一つの家族?
魔女エルドラには家族がいて。
その家族を殺されたから、お師匠様に弟子入りしたのか?
あんな凄惨な光景を生み出すために。
でもそんなこと、お師匠様が許すはずない。
分からないことが多すぎる。
話せば話すほど、謎が深まる。
当事者なのに、どんどん自分だけが置いていかれている気がした。
叫べばよいのか、泣けばよいのか、怒ればよいのか、恐ればよいのか。
自分がどういう感情を抱くべきで、何を言うべきなのか全然分からない。
私が固まっていると、エルドラ姉さんは静かに部屋から出ていった。
「待って……!」
声がかすれて上手く出ない。
緊張で硬直していた体を無理やり動かし、私はベッドから這い出る。
足元がふらついてまともに歩けなかったけれど、必死にその姿を追った。
玄関先に、エルドラ姉さんが立っているのが分かる。
声を出して呼び止めないといけないのに、ヒューヒューと息だけが漏れ出る。
極度の緊張で、まともに声が出せないでいた。
すると。
「エル」
凛とした声で、誰かが私の肩を支えた。
立っていたのは、お師匠様だった。
お師匠様は、まっすぐにエルドラ姉さんを見つめている。
薄暗かったが、悲しげな瞳を浮かべているのだけは分かった。
「母さん……今の話、聞いていたんでしょう」
「あぁ……」
「教えて。メグが見た潜在夢が、真実かどうか……」
「それは……」
お師匠様は黙る。
その沈黙は、肯定を意味していた。
お師匠様の様子に「やっぱりそうなのね……」とエルドラ姉さんは顔を伏せる。
「母さんがメグを預かったのは……贖罪だったのね……」
エルドラ姉さんの言葉に、お師匠様は諦めたように頷いた。
お師匠様の顔に、汗が浮き出ている。
その弱々しい表情は、私が見たこともない、永年の魔女の姿だった。
「お前は大勢の人を殺してしまった。私は止めることが出来なかった。それは、私たち母娘が抱えた罪だ。だから、罪を償うべきだと、そう思ったんだ」
「それが、メグを引き取るということ? なら……私とメグを会わせるべきじゃなかった。私達を会わせたのはどうして?」
「愛娘二人には、手を取って支え合ってほしい。そう思っただけだよ……」
そう述べるお師匠様は、情けないほどに泣きそうな顔をしていた。
いつもの凛として、不敵で、揺るがぬ強さはそこにはない。
永年の魔女が被っていた仮面が、剥がれたのだと分かった。
「……残酷ね。それは親心じゃない。ただの母さんのエゴよ。母さんが本当にメグのことを大切に思うなら……贖罪をする気なら……私のことは捨てて、メグと二人で暮らすべきだった」
「そうしたら、エル……お前に味方がいなくなってしまう! 世界中に恨まれ、お前は独りで生きていくことになってしまうじゃないか!」
「それでよかった。だって、それが私の罪だから……」
ピシャリとした物言いだった。
お師匠様は、ぐっと言葉に詰まる。
永年の魔女が、ここまで気圧される姿を、私は知らない。
「メグの故郷を私が滅ぼした。私は言わば……メグにとっての仇。その仇の味方になれだなんて……母さんは……残酷なほどに重い運命をメグに背負わせようとしている。その事実が露呈した今……もう私はここに居るわけにはいかない」
エルドラ姉さんは、玄関の扉に手を掛ける。
「あ……の!」
どうにかして、言葉を振り絞った。
エルドラ姉さんは、静かにこちらを振り向く。
何を言えば良いかわからない。
だけど、ここで言葉を紡がないと、きっと永遠にこの人とは会えなくなる。
そんな気がした。
「私は……あなたを恨めば良いのか分かりません」
私のたどたどしい言葉を、エルドラ姉さんは聞いてくれている。
耳を澄ましているのが、気配で分かった。
「許すって言うのも違う気がして、でも恨むっていうには、生まれ故郷の思い入れや、記憶もなくて……。お師匠様が言うように……多分、世界中に、あなたを憎んでいる人がいるんだと思う。あなたを殺したいって思う人が、きっと、たくさんいるんだと思う」
それでも私は。
「あなたと、話したい。姉さんと」
私の言葉に、エルドラ姉さんがハッとするのが分かった。
「私は、今はまだあなたが怖い。多分あなたも、殺した人間の家族と居たくはないと思う。でもいつか、もう一度……私と、いつかこうして話をしてもらえませんか?」
どうにか言葉を紡ぎ切る。
息が上がり、膝が震えた。
こんなに体の自由が効かないのは、生まれてはじめてだ。
長い沈黙があった。
時計の針の音と、私達の呼吸だけが静かに満ちる。
糸を限界まで張ったような緊張が、室内に満ちた。
「……まだ私を、姉と呼んでくれるのね」
エルドラは静かに口を開いた。
その表情は、布に覆われて見ることが出来ない。
でも、嫌がっている訳ではない。
「メグ。あなたはとても強い人。だけど私は……弱い人間なの。滅ぼした街の子と、まともに向き合うことすら出来ないほど、愚かで、弱い人間。だから、いつか時が来て……もし私が、その時、過ちを犯そうとしていたら」
エルドラの視線が、まっすぐ私を捉えた。
「どうか、あなたが私を殺して」
その瞬間。
玄関の扉が開き、外からものすごい風が吹いたかと思うと。
魔女エルドラの姿は、まるで霧のように霧散し、忽然と私の前から消えた。
瞬間、全身の感覚が一気に元に戻るのがわった。
鈍っていた感覚が、フッと蘇ってくる。
先程まで動けなかったのは、ただ緊張していたからだけじゃない。
狼狽した魔女エルドラの呪いが暴発して、無意識に私の自由を奪っていたのだろう。
呪いを掛けられていたと自覚すらさせず、相手の身動きを奪う。
その圧倒的な実力が、人を殺す方へと向いたなら。
きっと何千万もの人が、命を落としたことだろう。
「まさか、潜在夢があの時の情景を写すなんてね。その可能性は、読むことが出来なかった。私の千里眼がこんなかたちで破られるなんてね……」
お師匠様が、こぼすように呟く。
「真実を知るのは私だけで良かった。墓まで持っていこうと思っていたのに」
「お師匠様……」
「この親指一本じゃあ、お前への贖罪には到底足りないね……」
かつて、私を助けるために悪魔サタンに捧げた親指を静かに撫で、お師匠様は心から悲しげな表情を私に向けた。
その姿は、どこにでも居る、弱々しい老婆に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます