第4節 幸福な食卓

話し込むうちにすっかり時間が経ってしまった。

すると、不意にお師匠様が立ち上がる。


「さて、そろそろ食事にするかね」

「えっ? あぁ! しもた! 全然作っとらへん!」

「そうくると思って作っておいたよ」

「お師匠様が……?」


するとエルドラ姉さんは少し嬉しそうに笑みを浮かべた。


「母さんのシチュー……久しぶり」

「私のは特別製だからね」


我が家にとってお師匠様の作る食事は特別だ。

味が段違いで美味しいのもあるが、そもそも多忙なお師匠様である。

キッチンに立つ機会自体が減っているのだ。

平時も、今では基本的に私が食事を作っている。


何か特別なお祝いごとがあった時、嬉しいことがあった時。

時折お師匠様はこうしてキッチンに立ち、手料理を振る舞ってくれる。

私にとっても、そして恐らくエルドラ姉さんにとっても。

それは特別なことだった。


「昔よく……こうして一緒に食べたのを思い出すわ」

「もう何百年と経っているからね」


お師匠様はしみじみと言う。


「それよりエル。久しぶりのラピスの街はどうだった? 懐かしかったろう」

「色々……変わったなって思って。人も街も……住む人が変わればあり方も変わるのね。ラピスは暖かくて優しい街になった」

「暖かくて優しい街?」


私が首をかしげると、お師匠様は静かに頷く。


「エルが住んでた頃のラピスは、まだ人も少なくてね。今ほど賑わっていなかったのさ」

「それだけじゃない……。人の顔も、言葉も……明るくて優しくなってたわ」

「ふふ、どっかの愚かな魔女が毎日騒がしくしてるからね」

「愚かな魔女って、誰か引っ越してきたんですっけ」

「お前のことだよこの愚か者!」


いつも通りのやり取りをする私達をよそに、エルドラ姉さんはそっと窓の外に目を向ける。


「この家に森も出来たのね。……街に精霊樹もあって、驚いた」

「魔女の森も、精霊樹も、どちらもメグが生んだものさね」

「メグが? 植物が好きなのね……」

「好きって言うほどじゃなかったですけど。触ってたらいつの間にか詳しくなってたっていうか。森が出来たのは成り行きですし、精霊樹は何というか奇跡みたいなもんです」

「でも……よく手入れされてるわ。動物たちもあなたに懐いてる。街の人達も、あなたを慕っているようだった」

「でぅへへへへ、そうですかね。うへへへ」

「その肥溜めみたいな笑顔を仕舞いな」

「誰が肥溜めや」

「母さん」


エルドラ姉さんは、いつものトーンを崩さず、お師匠様に目を向ける。


「慈しむ心を……教えたのね。その教えは、私にはなかった」

「弟子が変われば教えることも変わる。得意なことを見出し、それを伸ばしてやるのが師のあり方さね。メグには人や植物と向き合うことが合ってた。それだけさ」

「そう……なら良いのだけれど」


エルドラ姉さんは、無表情の中にも、寂しさに似た感情を抱いているのがわかる。

二人の会話には、どこか私の知らない事情が孕んでいるのかもしれない。




食事を終えた私は、客間で寝床の準備を整え、自室に戻ってようやく一息ついた。

エルドラ姉さんは今夜泊まって、明日の朝帰るらしい。


「なんかどっと疲れたなぁ、今日は」


エルドラ姉さんは、話してみると穏やかで優しい人だ。

だけど、初対面の時に感じたような、独特な気配や緊張をまとっている。

どれだけ私とお師匠様の会話がいつも通りでも、すぐに彼女のペースに飲まれてしまう。

穏やかだったけれども、ずいぶん気を張った食事だった。


初めて会った時、直感で、彼女が人殺しだと感じたことはまだ忘れていない。

戦争にも関与したという噂もあるし、実際そうなのだろうけれど。

実際に話すと、何だかわからなくなる。

あんな穏やかで優しい雰囲気の人が、戦争に加担したりなんてするんだろか。


するとチリン……と、例の鈴の音がした。

また、だ。

そう思って、視線を向ける。

入り口にエルドラ姉さんが立っていた。

どうでも良いがまったく気配がしないから心臓に悪い。


「エルドラ姉さん、どうしたんですか?」

「少し……家を見て回ろうと思って。久々だったから」

「あぁ、なるほど」

「入っても良い?」

「もちろん」


スッ……と、エルドラ姉さんは私の部屋に足を踏み入れる。

存在しているのかしていないのか、わからない人だと思った。

幻だと言われれば、信じてしまうくらいに希薄。


そんな私の考えを知ってか知らずか、エルドラ姉さんは本棚の書物に手を伸ばしたり、壁についた傷を愛しげに撫でたりしていた。

それは、どこか思い出をなぞるようでもある。


「懐かしい……この部屋」

「私の部屋ですか?」

「昔は私も、ここに住んでいたから」

「へぇ……」


そうか。

今や私の自室となっているこの部屋は、元弟子であるエルドラ姉さんが使っていたのか。

不思議な気持ちになる。


そこで私は、彼女に尋ねなければならないことを思い出した。

と言うか忘れてる方がどうかしてるのだ。

この絶好のチャンスに、これだけは、絶対に聞かねばならない。


「あの、エルドラ姉さん。一つ聞きたいことがあるんですけど」

「何かしら」

「エルドラ姉さんは、私の呪いについて何か知ってるんですよね?」


エルドラ姉さんが、じっと私の顔を覗き込む。

少し怖くなって目を逸らしそうになったが、なんとか堪え、その視線を正面から受け止めた。

ここで気圧されるわけにはいかない。

文字通り、私の命が懸かっているのだから。


「私と初めて会ったあの時、エルドラ姉さんが言った言葉を、今も忘れてません。あの意味を、私はずっと考えていたんです。教えて下さい。私の呪いについて」

「それは出来ないわ」


ピシャリと、そう言われた。

思ってもない言葉に、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃を感じる。


「今の私が……これ以上、呪いについてあなたに言うべき言葉はない」

「どうして……?」

「だってその答えは……あなたが自分の手で見つけるものだから。私も……同じだった」

「姉さんも? どういうことです?」

「私も、あなたと同じ呪いに掛かっていたの……」

「えっ?」


衝撃的だった。

今まで七賢人の誰も知らなかった、死の呪い。

その宣告を受けた人が、他にも居ただなんて。


だけど、翌々考えてみるとわかる気がする。

だって実際、エルドラ姉さんは命の種を作って不死となったのだから。

余命一年の呪いにかかり、エルドラ姉さんは自らの力でそれを克服した。

そして、お師匠様がそれをサポートしたのだとしたら、お師匠様が呪いについて詳しい理由にも納得がいく。


――呪いが解ける時、あなたは大切なものを失う。


じゃあ、大切なものって何なんだ?

倫理観とか、道徳観とか、そう言うものなのだろうか。

色々明かされたのに、また新たにわからないことが増えて、一層もどかしさが増していく。


「メグ……あなたは、自分の信じた道を歩みなさい。きっと……母さんが導いてくれる」

「はぁ……」


エルドラ姉さんはそう言うと、静かに私の部屋を出ていった。

私は黙って、カーバンクルとシロフクロウを撫でる。

一体何なんだ。


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