第22節 魔女は逆境にこそ笑う
混乱する街を抜け、私は魔鐘のある時計塔へと向かう。
世界遺産の鐘が置かれた時計塔。
当たり前だが、鍵が掛かっており中に入ることは出来ない。
そう、普通なら。
「理の名の下に開け」
私が呪文を唱えると、ガチャっと言う音と共に鍵は開いた。
どうやら上手くいったらしい。
世界遺産の置かれた施設だ。
もう少し魔法対策を施してあるかと思ったが、そうでもなかった。
古い建物だし、暖かい季節にしか渡航できないアクアマリンに、わざわざあんな大きな鐘を盗みに来る輩なんて居ないのかもしれない。
誰も見ていないことを確認し、中に入る。
まるで犯罪者だ。
まぁ不法侵入なので間違ってはないのだろうけど。
非常時なので許してもらおう。
長く開放されていなかった時計塔。
レンガ造りの階段を登り、鐘のある屋上を目指す。
普段使用しないはずの場所なのに、しっかりと手入れをされている。
沢山の街の人達に愛されてきた場所なんだって分かった。
どれくらい登っただろう。
そろそろ足も疲れてきた時。
「あった……」
ようやく、屋上への入り口が見えた。
上に押し開けるタイプのドアで、ここにも簡単な施錠がかかっている。
そこの鍵を外した時。
再び大きな地震が、街を襲った。
「ひょええぇぇぇぇ!!」
立ってることすら困難で、思わず座り込みながら情けない声が出る。
突然の揺れと私の叫び声に驚いて、カーバンクルが胸ポケットでキィキィ鳴いた。
さっきよりもずっと大きい。
塔がぐらつき、軋み、パラパラと天井から塵が落ちてくる。
このまま塔が崩れるんじゃないかと思った時。
ようやく、地震は収まった。
「だだ、大丈夫かな……?」
「おい、メグ・ラズベリー! 無事か!?」
声を掛けられ、振り返るとジャックがそこに立っていた。
どうやら追いかけてきたらしい。
「ジャック! ココやみんなは?」
「病院だ。祈がお前を連れて来いとよ。ぶち殺すって」
「鬼ババだ……」
「非常時に勝手にうろつくからだ。あいつなりに心配してんだよ」
「わ、分かってるよ」
でも、私だってこの非常時に遊ぶために来たんじゃない。
ここで引くわけには行かないのだ。
私はドアに手をかける。
「おい、何やってんだ。さっさと戻んぞ」
「待って。この先に行かなきゃ。そのために来たんだから」
「何でだよ。この先には鐘しかねぇだろ」
「呼ばれた気がするんだ」
「呼ぶって、誰がだ」
それは、私にもわからない。
でも、きっと行けばわかる。
私はドアを思い切り開くと、表へ出た。
風が吹きつけ、思わず目を細める。
その風は、潮風なのに妙に乾いて感じられた。
少しずつ視界が利くようになり。
そして私は、その光景を見た。
「なにこれ……」
アクアマリンが一望できる、時計塔の屋上。
美しい街並みのその先に。
壁があった。
視界を横切るように走る、大きな壁。
正確には、それは壁ではなかった。
津波だ。
街より遥かに高い規模の、とてつもない規模の津波が迫ってきていた。
本来なら、美しい海が広がっている場所に、水が一切ない。
海の水が全て引いてしまっているんだと分かった。
それらが今、まるで壁のようにアクアマリンに迫っている。
「何なんだこれは……」
ジャックが唖然とした声を出す。
百メートル級なんてものじゃない。
おそらくその数倍はあろうかという大津波だ。
「話と違うじゃねぇか……こんなの、いくら祈の結界でも……」
ジャックの声には、深い深い絶望の色が混ざる。
きっと、今、この光景を見ている全ての人間が、死を覚悟している。
それが、直感的に分かった。
カーバンクルが、私の胸ポケットから這い出て、肩にしがみつく。
私はその小さな体を、優しく抱きしめた。
震えている。
カーバンクルだけじゃない。
私も震えているんだ。
今まで、何度も死ぬような目に遭ってきた。
けれど、これほどまでに『死』を予期したことは、多分無い。
自分の手がカタカタと震えるのが分かった。
息が震え、緊張で歯がガチガチと鳴る。
信じられない光景に、体がうまく動かない。
私の心の中にも、絶望が満ち溢れそうになっている。
それなのに。
「メグ・ラズベリー……お前、なんて顔してやがる」
私は笑っていた。
私の脳裏には、いつか悪魔サタンに殺されそうになった時のお師匠様の姿が思い浮かんでいた。
絶望の象徴であり、『災害』とまで称せる圧倒的な悪魔を前に。
お師匠様は、不敵な笑みを顔に浮かべていた。
あぁ、そうだ、お師匠様。
私、今ならあなたの気持ちがわかります。
どうしようもない絶望を前にしても。
絶対に無理な状況でも。
私達がもし、生きることを望むなら。
心に希望を宿すために、魔女は……逆境にこそ笑うんだ。
――メグ……
――こっちへ……
再び、あの声が聞こえて、ハッと体の感覚が戻った気がした。
声の方向を見て気付く。
そこに、あの魔鐘があった。
アクアマリンを祝福する、テティスの鐘が。
声は、あの魔鐘から響いている。
私とジャックのすぐそばにある、大きな大きな鐘から。
「この鐘さえ鳴らせば、きっとみんな助かる。そうだよね……」
「バカ言え! もう何人もの魔導師が直そうとして不可能だった代物だ! 無理に決まってんだろ!」
「それでもやらなきゃ! じゃないと皆が死ぬ!」
ジャックの怒鳴り声に負けないくらいの声で、私は怒鳴り返す。
気圧されたジャックは、驚きに声を噤んだ。
そう、ここで私が諦めたら、きっと全員死ぬ。
いくら祈さんの結界でも、即席であの規模の津波は耐えられない。
私がここに呼ばれたのは、決して偶然なんかじゃない。
この鐘に宿った女神テティスの意思が、私を呼んだんだ。
私は、コンコン、と鐘をノックした。
鈍い響きで、美しい鐘の音を鳴らす気配はまるでない。
精霊が完全に死んでる。
金属も古びていて、鳴るような状態じゃないんだ。
「ねぇ、教えてよテティス。どうして私を呼んだのか。私は、何をすれば良い?」
だけど鐘は答えてくれない。
もう、あの声は聞こえなくなっていた。
代わりに、ものすごい轟音が聞こえてくる。
津波がここに迫ってきてる。
その時、不意にお師匠様の言葉が思い起こされた。
それは耳元で囁かれるように、不思議なくらいクリアに。
――メグ、よくお聞き。今日、これからお前は選択を迫られるだろう。身を切られるような、とても辛い選択をね。
――辛い選択?
――お前は自らの意志でその選択に向き合い、そして決めねばならない。正しい答えは、いつだってお前の胸の中にある。
瞬間、私は不意に悟った。
私が余命一年の宣告を受けたこと。
今日、この時まで私が生きてきた理由。
私が今、ここに立つ意味。
その全てを、私は理解した気がした。
ああ、そうか。
今だ。
私は、ずっとこのため……この瞬間のために生きてきたんだ。
きっと、これが私の果たすべき役割。
「ジャック。私は誰も死なせない」
私は、そっとジャックにほほえみを向ける。
その笑みは、自分でも驚くほど清々しいものだったと思う。
私の表情を見て、ジャックは目を見開く。
「お前……何する気だ」
「鐘を鳴らす」
私は、まっすぐその瞳を捉えた。
「女神テティスの鐘は、今日、アクアに鳴り響くんだ」
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