第21節 命の選別

それは、立っていられないほどの巨大な地震だった。

悲鳴が上がり、全員がその場にしゃがみ込む。

棚が倒れ、机が揺れ、電灯が明滅して。

ようやく揺れは収まった。


実際には、一分なかったと思う。

でも私には数時間にも感じられる長さだった。

怒涛のような騒音が消え、代わりに死んだような静寂が満ちる。


「院長、無事ですか?」

「あぁ、すまんのうジャック」


ジャックが体を起こす。

その腕の中には院長の姿もある。

どうやらとっさに庇ったらしい。


「お前ら大丈夫か?」


ジャックの声に、スタッフから無事の声が上がる。

とりあえずは皆無事のようで、室内に安堵の息が漏れた。

酷い地震だったが、そこまで被害は酷くなかったようだ。

棚が少し倒れたくらいで済んでいる。


「ちょっと、今の地震何!? 皆無事!?」


少し遅れて祈さんが部屋に飛び込んできた。

そんな彼女に無事を告げるようにジャックはユラユラと手を振る。


「こっちはとりあえず大丈夫だ」

「祈さん、私も無事です。ご心配なく」

「メグは別に心配してない」

「心配して」

「それより患者の様子を見てこねぇとな。街の様子も気になる」

「院内はこっちでなんとかしよう。皆、すぐに患者さんの安否確認を」


院長の言葉に他のスタッフが手早く動く。

この非常時にも統率が取れているのは、さすが世界トップクラスの病院だ。


「それで、電話はどうなった?」


ジャックの言葉に、祈さんは首を振った。


「もう電話が通じない。魔力干渉が強まりすぎた」

「魔法協会はなんて?」

「方法はないって言われたわ。魔力が強すぎて魔導師の派遣が出来ない。外側からの援助が出来ない状況なのよ」

「とうとう見捨てられたって訳か」

「でも、まだ助かる道がないわけじゃない」

「どういうことだ?」

「いまから結界を張れば……病院内の人だけでも助けられるかもしれない」

「じゃあ、他の人達は……?」


私が尋ねると、祈さんは静かに首を振った。


「島民全員を入れる広さはねぇ。それにあの数を避難させるとなるとパニックになる。誰を助けるか、選別しろってことか」

「それしか方法はないと思う。もっとも、百メートル級の津波なんて結界が持つかわかんないけどね。可能性があるだけ、ゼロよりマシよ」

「そんな……」


祈さんは私を見つめる。


「施術の都合上、私はここに残らなきゃならない。メグ、あんたも結界に入りな」

「私も……? 他の人を優先してくださいよ」

「私はあんたをファウストばあさんから預かり受けてる。私にはあんたを無事に帰す義務がある。そのためにここに居るんだから」

「でも、私には寿命が……」

「メグ」


ポンと肩を叩いたのは、院長だった。


「お前さんにはまだやるべきことがある。例え寿命が半年だとしても、ここで死ぬことはない。生きる道があるなら、その道を目指しなさい」

「でも、それだと島の人達が……」

「構わん。……ジャック」

「はい」

「若い島民を優先して引き入れなさい。重病の患者や、助かる見込みが薄い人、高齢者はわしらが公民館に連れて行く」


院長の揺るがない覚悟に、ジャックはつらそうに唇を噛んだ。

その手は、血が滲みそうほど強く握りしめられていた。

ジャックは院長を尊敬している。

その院長の覚悟を無碍にも出来ず、状況を打開する策もなく。

きっと、一番無力さを噛み締めてるのは彼だ。


「街の皆をよろしく頼むぞ、ジャック」

「くっ……」




街に出ると、すでに混乱が見て取れた。

沢山の人が、逃げ場を求めてさまよい歩いている。

先程の地震のせいで地面に亀裂が走り、建物も一部倒壊していた。


街を、私とジャックは見て歩く。

怪我をしている人が居たら治療をし、泣き叫ぶ人がいれば声を掛けた。


若い人は病院へ。

年老いた人は公民館へ。

ジャックは、淡々と命の選別を行った。


でも、彼の瞳は揺れていた。

迷ってるんだ。答えを出しかねてる。

そんなの、当たり前だ。

私だって、ラピスの街の人達の中から誰を助けるか選別しろって言われたら、答えなんて出せないだろう。


でも、迷ってる時間はない。

全員が死ぬか、一部の人だけでも助かる可能性に賭けるか。

これは、そう言う選択なんだ。


「あれだけ大きな地震なのに、ほとんど建物が崩れてないね」

「あぁ、この島は長年、ただ災厄に襲われていたわけじゃない。長い年月と時を掛けて、この島の人の知恵と努力が染み付いてんだ」


ジャックは、アクアマリンの町並みを見つめる。


「この街は、俺とココにとって大切な故郷だ。隣町のじいさん、口うるせぇ魚屋のおっさん、マルコやジル、メアリ。みんな、家族みたいなもんなんだ」


ジャックは、ぐっと唇を噛んだ。


「これまで、被災地での医療活動を何度もやってきた。その中で、助ける命と、助けられない命を選別することは何度もしてきた。例え遺族に恨まれようと、泣き叫ばれようと、一番多くの人間を助ける選択をしてきた。今回だって同じはずだ。それなのに……」

「ジャック……」


見ていられず、私も思わずうなだれる。

そこで、奇妙なことに気がつく。

あれだけ街を走っていた水路がどこにもない。


いや、違う。

水路がないんじゃない。

水路の水がなくなってるんだ。


よく見てみると、水の都とまで言われたアクアマリンに、水が一つも存在しない。

人の流れを読むのに必死で、全然周りが見れていなかった。

これは、明らかに異様な光景だ。


「ねぇ、ジャック、これって――」

「お父さん」


聞き覚えのある声がして、振り返るとココがそこにいた。

ジルさんやメアリ、マルコさんも一緒だ。


「ココ、無事だったか」


ジャックがどこか安堵の色を浮かべる。

大丈夫だと言いながらも、やはり心配だったのだろう。


「お父さんの娘だもん、こんな時ちゃんとしないとね」

「皆無事で良かった!」


私が迎えると、メアリは泣きそうな顔で私に抱きついてくる。

よっぽど怖かったのだろう。

そんなメアリの頭を撫でて、ジルさんが微笑みを浮かべる。


「ココちゃんが私達を誘導してくれて、どうにかみんな無事だったんです」

「そうだったんだ」


皆が皆、再会出来た喜びを分かち合っている。

この人達の中から、命を選別する?

そんなこと、したくない。

綺麗事かもしれないけれど、それでも。


本当にもう皆を助ける方法は無いのだろうか。

皆を助ける方法は……。


――メグ。


その時。

一瞬だけ、何かに呼ばれた気がした。


「ねぇ、今誰か私の名前を呼んだ?」

「えっ? 呼んでないけど」


キョロキョロする私の顔を、不思議そうにココが見つめてくる。

誰でもないなら、一体誰が……?

私は思わず天を見上げた。


女神の鐘がそこにあった。

女神テティスの魔鐘が、そこに。


そこで私は思い出す。

魔女テティスがこの街を作ったという、祝福の鐘。

それは、かつて幾度となく、このアクアマリンを災厄から守ってきた。


これしか無いと、そう思った。


「おい、メグラズベリーどこに行く!」

「先に行っといて! 後で追いかけるから!」


私はジャックの静止を振り切って、時計塔へ走る。

終末は、もうそこまで迫っていた。


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