第18節 シエラ

アクア総合医院の診察室にて。

私の足に巻かれたギプスを、ジャックが外していた。

その様子をすぐそばで腕組みをした祈さんが眺めている。


「ほら、外れたぞ。これで完治だ」

「おぉー、やべぇ、足軽い」


久々にギプスが取れた解放感に、思わず感動の声が漏れ出る。

今なら赤い彗星の如き動きが出来そうだ。


「一応完治してるが病み上がりだからまだ無茶するんじゃねぇぞってお前! 何やってんだ!」

「へっ? 喜びの旋風脚を少々……」

「メグ! 年頃の乙女が恥ずかしげもなく股開くんじゃないの!」

「そういう問題じゃねぇ!」


ジャックは「はぁ、全くお前らはなぁ……」と呆れたように頭を抑えると、真剣な顔で私に向き合った。


「いいか、メグ・ラズベリー。これで貸し借りは無しだ。契約を終えた今、次に骨折ったら正規の金額を取る」

「うげ、マジで」


後で瓦に踵落としを決めようと思っていたがやめることにした。


「それでお前ら、今日発つんだったか。せわしねぇな」

「まぁ、私もメグも結構長居しちゃったしね」

「あんまりのんびりしてると、お師匠様にドヤされるんだ。休んだ分死ぬまで労働させられちゃうよ」

「師弟関係見直せ」


そこでジャックは、何か考え込むような表情を浮かべた後、立ち上がった。


「お前ら、出る前にちょっとこっち来い」

「何さ、藪から棒に」

「良いから来い」


意味が分からず、私と祈さんは顔を見合わせる。

祈さんも肩をすくめていた。

とりあえず今は従うほうが良さそうだ。


ジャックに連れられてやってきたのは一般病棟だった。

個室が立ち並んだ一画。

その中の一室の前でジャックは足を止めると、コンコン、とノックをした。


「入るぞ」


ジャックがドアを開ける。

中の光景を見て、私は何故自分がそこに連れられてきたのかにすぐ気付いた。


ベッドの上に、あの患者の女の子が座っていたからだ。


ステージⅤの少女。

でもあの時の、汚染で変わり果てた姿とは違う。

まだ髪は生えていないようで、頭には包帯を巻いているものの、顔はもう普通の女の子と相違ない。

こうしてみると、まだ随分と幼い女の子だった。

十歳行くか行かないか、と言うところか。


「今日はお客さんだ」


ジャックが少女に声を掛け、私達に仕草で合図する。

入ってこい。そう言っていた。


「ようやく一般病棟に移動になってな」

「そうなんだ。医者でもない私が会っちゃって良いの?」

「あんたが会わなくて誰が会うのよ。メグがいなかったらこの子は助からなかったんだから」


困惑する私の背中を、祈さんが押す。

少女の前に立たされ、私は内心ドギマギしながらも、無理やり笑みを浮かべた。


「初めまして。私はメグ・ラズベリー。あなたは?」

「あぅあ」

「えっ?」

「あぅ、あぇ、あう」


少女は、うまく言葉が話せないように、パクパクと口を開く。


「この子、言葉が……」

「あぁ、まだちゃんとは話せねぇ。一時的なもんだがな」

「そっか……」


よく見ると、少女の外見はところどころ少しおかしい。

と言うのも、耳がないのだ。

正確には、人間のあるべき場所に耳がなく、獣のような耳が頭部に生えている。


「頭が猫耳モードなってる」

「それも魔力汚染から回復した後遺症だ。魔力の変異で、臓器なんかはそのままだが、耳の感覚器官はちょっとした獣状態だな」

「まだ魔法による治療は完璧ってわけじゃないのね」


祈さん向かって、ジャックは神妙な顔で「あぁ」と肯定する。


「この魔法の後遺症をなくす。それが、俺の当面の課題だな」

「課題……」


それはきっと、私に与えられた課題でもあるのだろう。

考えていると、祈さんが興味深げに少女の顔を覗き込んだ。


「それでこの子、容態はどうなの?」

「悪くない。知識も記憶もある。長く人じゃなかったから言葉を失っているが、じきに回復するだろう。判断力も、知性も、徐々に戻ってくる」

「そりゃ良かった」


私はホッと胸を撫で降ろした。

しかし、ふと疑問が浮かぶ。


「この子、両親が死んじゃったんだよね。回復したらどうなるんだろう?」

「普通なら、魔法協会の管理する孤児院行きかしらね。魔力の災害孤児は魔法協会管轄だから」と祈さん。

「孤児院? 故郷には帰れないんですか?」

「こいつの故郷は魔力災害で滅んだ。帰る場所はねぇ」

「そんな……」


故郷もない。

家族も居ない。

そんな場所で、これからこの子は生きなければならないのだ。

たった一人で。


「こんなに幼いのに、一人なんて……」


七賢人の一人、祝福の魔女ソフィの姿が、何だか重なった。

ずっと一人で生きてきたソフィは、孤独を抱え、魔法を憎んでいた。

この子もそうなりはしないかと、少しだけ不安がよぎる。


私はこの子を助けた。

でもそれは、この子の人生を思うと、果たして正しかったんだろうか。

そう考えていると「勘違いすんな、メグ・ラズベリー」とジャックが口を開く。


「こいつの人生がどうなるか、決めるのはこいつ自身だ。俺達じゃない」

「メグ、本質を見失うんじゃないよ。命を助けることは悪じゃない」

「祈さん、ジャック……」


ジャックは、まっすぐ少女を見つめる。


「こいつの人生は決して楽なものじゃないだろう。ただ、俺達が助けなければ、こいつは人生をどう生きるか、選ぶことも出来なかった。たとえこの先、こいつが生きることを後悔したとしても……それでも俺は人を生かす。命を助ける。それが、俺の仕事で、役割だ」


その言葉は、何だか胸に響く。

ジャックの奥さんが生きたかった今日を、この子は生きている。

誰かが生きたかった日を生きているからこそ、私達は生きねばならない。

例え、それを望まなくとも。


その時、少女が机に向かって手を伸ばし始めた。

ジャックの持ってきた紙とペンを指差している。


「何だよ。何か書きたいのか?」


ジャックが示されるまま紙とペンを渡す。

すると、少女はなぐり書きのように何か書き始めた。

いびつで、震える線で。


「ミミズみたい。なんじゃこりゃ」

「文字じゃない? シエ……ラ? シエラって書いてある」

「名前だな」

「名前って、この子の?」


私が見ると、少女は私を見て、薄っすらと笑っていた。

その笑みに、私も自然と笑顔が浮かぶ。


「あなた、シエラって言うんだ」

「あぅあー」


私が名を呼ぶと、まだ、幼くあどけない笑顔が顔いっぱいに広がる。

その笑顔を見た時、私は不意に、泣きそうになり、ぐっと唇を噛んだ。


私達がやったことは間違いじゃない。

この子を助けて良かった。

心からそう思った。


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