第17節 父親

少女の容体が落ち着く頃には、私達もクタクタになっていた。

病院側でしばらく経過を看てくれるそうなので、一旦今日は休むことにする。

家路に着くと、すっかり陽が傾いていた。


「流石に体力の限界だわ。私は戻って休む」

「祈さんも、もう歳ですね……」

「だな」

「あんたらの体力が異常なのよ!」


ホテルに戻る祈さんと別れ、海沿いの道をジャックと一緒に歩く。

祈さんには強がりを言ったものの、私もジャックもボロボロだ。


「なんでお前はウチに来んだよ」

「いいじゃん。ココが御飯作って待ってるって言ってたし」

「ったく、すっかり同居人だな」


ぶつくさ言うも、何となくそれが本音で無いことくらいは分かる。

私は何だかそれが嬉しくて、ジャックの隣について歩いた。


アクアマリンの夕暮れ時は、世界有数の美しさだと私は思う。

夕日を海が反射し、緩やかに寄せては返す波がそれを揺らす。

波の音が穏やかで、なんだか一仕事終えた私たちを労っているようにも見えた。


「あぁー! マジでめっちゃ疲れた! 今日は爆睡したろっと」

「そうだな」


私が夕日に向かってぐっと伸びをする。

横では、何だか少し嬉しそうにジャックも頷いていた。

その顔は、何だか憑き物が落ちたようにも見えた。


「これであいつも、きっと報われる」


ジャックはポソリと言う。

あいつとはきっと、奥さんのことだ。


「俺があいつの最期を看取った時、何もすることが出来なかった。だからあいつが死んでから、死に物狂いで医学と魔法を学んだよ。それでも、あいつが死んだ病を克服出来なかった。お前が来るまではな……」


そう言って、ジャックは私を見る。


「メグ・ラズベリー。俺はお前に助けられた」

「大げさだなぁ。あの魔法はジャックがいなかったら成功しなかったよ」

「それでも、だ。お前が居なかったら、俺は何も出来ないまま、あの子を見殺しにしていたかもしれない。お前の中にある、深い希望が俺を動かしたんだ」

「希望?」


初めて言われた。


「教えてくれ、メグ・ラズベリー。お前はどうして笑っていられる? 死を前にしているのに、何でお前はまだ、自分じゃなく人のために行動出来る? どうして希望を持っていられる?」

「めっちゃ質問するやん。うーん、どうしてって言われてもなぁ……」


なんと答えるべきかは分からなかった。

希望なんて、宿そうと思って宿した訳じゃないのだ。


「あっ」


でも一つ。

言えることがあった。


「私はさ、ただ諦めてないだけだよ」

「諦めてない?」

「そう。生きること、生き抜くことを諦めたくないんだ。だって私には生きる理由があるから」


余命宣告を受けた時、私には何もなかった。

背負うものも、夢も、目的も、別段持ち合わせては居なかったのだ。


でも、今は違う。

今の私には、沢山の物が乗っかっている。


フィーネやソフィや祈さんとの約束。

フレアばあさんの記憶。

ラピスの皆の笑顔。

それに……お師匠様。


みんな、私を信じ、私に託し、私を待ってくれている。


「嬉し涙を千粒集めろって言われて、そりゃ最初は無理だと思ったよ。でも諦めなかったから、ここまで来れた。もし私が今、何かを諦めたら……認めることになる気がするんだ」

「認めるって、何をだ?」

「私があと半年で死ぬってことをだよ」


私が言うと、ジャックは黙った。

私はそっと、海の方へと目を向ける。

海から吹く夕焼けの緩やかな風が、妙に心地よい。


「私が与えられた課題は、多分最も難しい。だから、もし他のことで諦めてしまうくらいなら、嬉し涙を集める課題なんてクリア出来ない。それを私は認めたくないんだ。だから諦めない。ダメでも、なんか行動する。だって私には、それしかないから」


見上げると、空には宵の一等星が輝いていた。

美しい空に、宵の色彩と、夕陽のグラデーションが広がっている。


「私は沢山の人の想いや、期待を背負ってる。だからもう、私の命は私だけのものじゃないんだ。その人達のために、私は生き抜きたい」

「想いを背負う……か。お前にしては随分と真面目な答えじゃねぇか」

「別に特別なことじゃないよ。ジャックだって一緒じゃん」

「あっ?」

「だってジャックには、ココっていう可愛い娘が居るじゃん。ココだけじゃないよ。アクア医院の皆や、院長、アクアマリンの街の人達。ジャックだって、知らないうちに沢山の人達の想いや期待を背負ってんだよ」


ココはいつか、「お父さんは死に場所を探している」と言っていた。

その理由が、今は少し分かる気がする。


ジャックは、随分と生き急いで見えた。

娘ほっぽりだして、海外の危険な地域に行って、研究ばっかして。

死んだ家族の姿をずっと追いかけているように見えた。

過去に囚われて、今自分が持っている大切な物に気づいていなかった。


私がそう見えるってことは、多分ココはもっとそう見えたんだと思う。


たぶんジャックは、ただ必死なだけだった。

奥さんを失って、もしココも同じような状況になったら……。

そう思ったから、焦って、怖くて、必死にもがき続けていた。

でも必死過ぎて、いつしか大切な物が見えなくなっていたんだ。


ココとジャックは助け合って生きていた。

でもきっと、言葉には出来ないわだかまりや、溝があったんだと思う。


「形は違うけどさ、人を生かすのも、自分が生きるのも、本質はきっと一緒だよ。そこに生きたいという願いや生きててほしいという想いがあれば、希望は宿る。そして魔法は、それに応える力があるんだ」

「お前……」

「絶望は、諦めたり、死を受け入れるから宿るんだ。だから私は、絶対に振り返らない。いつも前を向いて、前だけ向いて走れば良いんだよ。簡単じゃん」


私はニッと笑みを浮かべる。


「今までは、死んだ奥さんのトラウマを払拭するために医術を勉強してたかもしれないけどさ。今度は奥さんじゃなくて、娘に向き合いなよ。そうすれば、きっともっとすごい医者になれる。人間はさ、後ろ向くより前向いたほうが、ずっと早く走れるんだから」

「ったく、何でそう言う話になんだよ。いちいちうるせぇ奴だな」


ジャックはバツが悪そうに頭をボリボリ掻いた後。


「あー、でもそうするよ」


と、そっけなくそう言った。

素直じゃないんだから。

そうした不器用な姿は、何だか見ていてこっちまでムズムズして。


「よし! じゃあ良いケーキでも買って帰ろう! それを皆で喰うのじゃ!」

「それお前が喰いたいだけじゃねぇか。全く、魔物みたいな奴だな。ポジティブモンスターだよ、お前は」

「誰が魔物じゃい」


何となく、父親が居たらこんな感じなのかな、なんてすこし思った。

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