第15節 最高の医者

私達が駆けつけた時、もう変異は始まっていた。

口が八つに避け、白目を剥き、奇妙に隆起した筋肉は更に巨大化する。


そこに、少女の面影は残っていなかった。

人と呼べるかも怪しい状態。

その姿は、かつての精霊セレナと如実に重なる。


「ヤバいな……暴走を起こしてる」


ガラス越しにジャックが言う。


「状況は? どうなってる?」

「さっきガス麻酔薬を流したので、もうすぐ効いてくると思います!」

「焼け石に水でしかないか……」


すると「ジャック」と院長もやってきた。

普段穏やかなその面持ちも、今日ばかりは緊張に包まれている。


「容態はどうじゃ?」

「最悪です。すでに魔力が細胞にまで影響している。止まってた筋肉の肥大化が始まってます。このままだと、心臓が潰れる」

「事態は一刻を争うと言う訳か……」

「麻酔は後五分もあれば効くはずです。ただ」

「治療魔法が完成してない」


ジャックの言葉を、祈さんが引き継いだ。

その言葉に「間に合わなかったか……」と院長は肩を落とす。


「ジャック、どうすんの? このままだとあの子は死ぬ。治療するかどうか、主治医のあんたが決めないと」

「わかってるよ。でも助けられる確実な手段はない」

「最悪のケースを考えねばならんのう」

「あの子、親御さんは?」


祈さんの問いに、ジャックは首を振った。


「死んだよ。魔力災害でな。助かったのはあの子だけだ」

「孤児なんだ……」


私の境遇と、目の前の女の子の境遇は良く似ている。

私は助かった。

でも、あの子は死ぬ。

そんなに歳も境遇も変わらないのに。

この運命の違いって何なんだ。


苦しまないように見送ってあげるのか。

一縷いちるの望みにかけて、魔法での治療を試みるのか。

ジャックは迷っているようにも見えた。


「効果的な治療法はない。延命措置も出来ない。出来るのは、痛みを消して安らかに眠らせることか、成功するかもわからない、感情魔法を使った治療を試みることくらいだ」

「感情か……厄介ね」

「想いの強さや対象との親密度がどれくらい関わるのかもわからない。そもそも、発動させるには古い魔法の技術が必要だ。魔力の流し方、魔法の構築方法……癖みたいなもんだろうな。一朝一夕で出来るもんじゃない」

「古い魔法の知識……」


その言葉を咀嚼するように、私は呟いてみる。


私がお師匠様に魔法を習って、嬉し涙を集めて、今日まで生きてきたこと。

何だかそれは、私がここに居る意味にも感じられた。


「ねぇジャック。やろうよ」


私が言うと、その場に居る全員が私を見た。


誰もが怯えた目をしている。

これだけの世界有数の知識人が集まっているのに、誰も彼もが絶望を瞳に宿しているんだ。

諦めようとしている。


私は辛気臭いのは嫌いだ。

そして、諦めるのはもっと嫌いだ。

だってここで諦めたら、私は認めてしまう気がしたから。

自分がもうすぐ死ぬということを。

運命には、抗えないということを。


だから私は、絶対に諦めない。


「祈さんが術式を組んで、私が魔法を発動させる」

「わかってんのか? 人の命が掛かってんだぞ」

「人の命が掛かってるからだよ! 何もせず見殺しにするのは、絶対におかしい! 例えダメでも、最後までみっともなく足掻くのが医者ではないのか!」

「お前……」

「でもメグ、どうすんの? あんたが魔法を使ったところで、この子の治療には感情が要る。この子に対して、それだけの気持ちがあんたにあるの?」


わかってる。

いつもの冗談じゃ済まされない。

失敗しても許されない。


これは一発勝負。

この子の命が掛かった、大勝負なんだ。


「私の気持ちじゃ、きっとこの子を助けられない。でも、この中で一番この子に向き合って来たジャックの想いなら、助けられるかもしれない。ジャックが私の魔法に感情を込めるんだ」

「何バカなこと言ってんだ、お前……」

「私はこの数日間、ジャックと行動してわかったよ。ジャックはどんな患者にも手抜きしない。助けたいって強い想いを、ちゃんと持ってるって」

「わかったようなこと言うな」

「分かるよ! だってジャックは、人が死ぬのを怖がってる!」


私が言うと、ジャックは黙った。

図星だったのだろう。


「それって、誰よりも患者のことを考えてるってことだよね。助けたいって強い想いがなければ、ジャックはとっくの昔に医者をやめてたはずでしょ。それでも、今も向き合ってる。目の前の命から、目をそむけたりしない」

「それは……」

「ねぇジャック、最高の医者の条件って何さ。技術も人望も経験も、どれも必要だし大切だけど、それよりもっと大切なことがあるんじゃないの? 死なせたくないって想いが強いのは、最高の医者の条件だと思う」

「メグ……」


そう。

私が思いつく限り、あの子を助けるなら、これしかない。


魔法だの、理論だの、感情だの、色々小難しい話をしていたけれど、なんてことはない。

最初から、物事はいつだってシンプルで、単純なんだ。


だってこの私が成功したくらいだからな!


ジャックは何かを確かめるように、私の正面に立つ。

その瞳は先程までの怯えたものではなく。

ちゃんとしっかり、医者の顔をしていた。


「お前、自分の言ってる意味がわかってるよな」

「当たり前じゃん」

「命を扱うんだ。命を扱うってことは、人の一生を背負うことだ。冗談じゃ済まない」

「覚悟の上だよ」

「はっきり言うと、どうなるか想像がつかん。失敗すれば、あの子を死ぬより辛い目にあわせてしまうかもしれない。一生物のトラウマをお前は抱える可能性がある。それでも良いのか?」

「それでも良い」


私は、ジャックから視線を逸らさない。


「やろうよ、ジャック。私達であの子を助けるんだ」


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