第13節 感情の欠片

研究の合間の休憩時間中。

雰囲気が最悪な研究室を出て、病院の中庭のベンチでビンを眺めていると、ジャックが声をかけてきた。


「何見てんだ、メグ・ラズベリー」

「なんだ、ジャックか。去ね」

「その口縫い付けんぞ小娘」

「許して」


先ほどまで苛立たしげだったジャックは、ベンチに座るとボリボリと頭を掻く。


「さっきはその、悪かったな」

「さっきって、机叩いたこと?」

「あぁ。お前の使い魔を驚かせた」

「別に誰も気にしてないよ。この子だって、ちょっとビックリしただけだし」


そう、普段味わってる恐怖に比べたら、ジャックの怒鳴り声など屁でもないのだ。

不特定多数の小動物との交配をさせられそうになっている普段と比べれば……。


なぜそんなことをするのか?

なんてことはない。

売れると聞いたのでちょっと繁殖して小金を稼ぎたいだけだ。


私が邪悪な考えを浮かべているのも知らず、ジャックは興味深そうにビンを眺めてくる。


「感情の欠片か……」

「分かんの?」

「まぁな。普通の液体とは違う感覚がする」

「ふぇぇ、やっぱ七賢人となるとそう言うの気づくんだねぇ」


私には相変わらず、ただの液体にしか見えない。

でも。


「これはさ、私にとっての宝物なんだよ」

「宝物?」

「だって、私が愛したラピスの街の人達や、大切な魔女仲間たちがくれた涙があつまっているんだから」


すでにこの液体は、私にとってかけがえのない代物だった。

大切な人たちの涙が沢山込められた、涙の結晶。

最早今となっては、どれくらいが嬉し涙なのか、お師匠様なしにはその割合もわからないけれど。

私にとってかけがえのない人達が示した、最高の感情表現が、ここにあるのだ。


「お師匠様は、ここから命の種を作るって言ってたけど、どうやるんだろ」

「感情の欠片には高密度のエネルギーが乗っていると言われている。魔力以外で魔法に働きかける第二のエネルギーってところか。そのエネルギーを集めた結晶が、命の種だ」


お師匠様は、私の持つこの涙の結晶を『清らかな涙だ』と言った。

きっと、人にとって望ましい感情がないと、感情の欠片は機能しないのだ。


「涙が集まったらそのエネルギーを使うことになるのかな。具体的な方法はわからないの?」

「古い呪文だとは聞くがな。俺もそのあたりは専門外だ。民族魔法や、古代魔法の類に分類する」

「ふぅん。南米の部族の魔法とかなのかなぁ。シャーマニズム的な」

「それは知らん。ただ、魔法を使って寿命を伸ばす方法はいくつかあるが、その中でも最も効果が高く、また難度が高いって言われてるのが命の種だ」


そこで私はふと考える。


「もし涙が間に合わなかった場合、他の方法を取れば生き永らえることが出来る……?」

「時間稼ぎにはなるかもな。でも、老化を止める魔法や、体内臓器を保護する魔法も使わなきゃならねぇ。お前の呪いがもし本当に一ヶ月で百歳老いるものだとすれば、二、三百年程度の寿命は二ヶ月で消費されるから、焼け石に水だな。体のガタが来る方が先だろう」

「なんだ……」


そこでふと考える。


「魔法で寿命を伸ばせるなら、ジャックは今まで沢山の人の命を永らえさせてきたの?」

「治療上、それが効果的だと思うならそうした。だが……」

「だが?」


私はジャックの顔を見つめる。

彼は、神妙な面持ちをしていた。


「人の運命さだめって言うのは、簡単に歪めるべきじゃねぇ」


運命さだめ

お師匠様も似たようなことを言っていた気がする。

ことわりを歪めるな、人の運命を歪めるなと。


寿命を迎えた人を無理やり生きながらえさせるのと、事故や怪我で死にかけている人を救うことは、まるで違うんだ。

何となくわかるような、わからないような。

私が彼の言葉の意味を考えていると、不意にジャックは立ち上がった。


「そろそろ戻るぞ。まだやるべきことはたくさんある」

「ふぁーい」


私はもう一度、チャポチャポとビンを振ってみる。

命の種は、あらゆる現象を引き起こせる奇跡の種。

その素材となる、感情の欠片。

本当にこの中に、そんな凄まじい力が眠っているのだろうか。


「感情の欠片か……」


ジャックはまたも私のビンを見て顎に手を当てている。


「さっきから何さ? 何か引っかかってんなら言ってよ」

「いや、ちょっと気になってな」

「気になる?」

「魔法はいわば、現象と現象の間に神秘を宿すことで生まれている。例えば、火と水は両立出来ない。だが、魔法があれば、それは可能となる。一見不可能に思える現象でも、魔法を間に挟むことで、それは成立させられる」

「それがどうしたのさ?」

「今回の転化魔法……いや、転生魔法って言ったほうが良いのか。重度の魔力汚染者の体内に存在する魔力を用いることで肉体構造を変化させ、別のものに転生させる。簡単な話、体内に侵食した魔力を使い切ることで、汚染を浄化するだろう。理論上はそう言うことだが、実際は魔法が発動しない。そこに、何か欠けてるものがあるんじゃないかと思った」

「欠けてるものって?」


私の顔を、ジャックはまっすぐ見てくる。

その瞳には、どこか曇りが晴れたような印象を受けた。


「例えば……感情とかな」


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