第8節 思えばとんでもない場所に来たもんだ
世界一の名医は死にたがり。
そんな下らない歌のタイトルみたいなフレーズが、頭からこびりついて離れない。
私は、私はどうしたらいいんだ。
「うーん、しかし神は人の上に人を作らずして右頬を叩かれたら左頬をバックブローでいてもうたれ……むにゃむにゃ」
「なんつー寝言してんだコイツは……。おい起きろでくの坊」
ぎゅむ……と頬をつねられる。
「あだだだ! あだ!
「朝だ起きろ。俺は忙しいんだ。準備したらさっさと行くぞ」
「朝って、今何時……」
時計を見ると時刻八時を指しており、私の顔は青ざめた。
「あわわわ、やばい寝坊だぁ。お師匠様に殺される! 朝食準備して小動物達にご飯用意してゴミ捨てやら洗い物やらやった挙句に森の植物の世話して朝の座学やって瞑想やってなんやらかんやら」
「お前は修行僧か……。ここはラピスじゃねぇ。いいかげん目ぇ覚ませ」
「そう言えばそうだった」
昨日は結局病院には戻らずジャックの家に泊まったのだ。
そして、思った以上に疲弊していたらしい私は爆睡をかましたのだった。
「あ、祈さんに連絡するの忘れてた」
「心配ない。どのみち今日合流する」
「そなの?」
顔を洗ってリビングに向かうと、ジャックの娘のココが慌ただしくしていた。
「あ、おはようメグちゃん! 起きるの早いね!」
「これでも三時間寝坊しとりますんや」
「えっ……?」
「おいココ、俺のシャツ」
「洗濯機の上!」
ココは叫びながらも手は止めない。
どうやら朝食を作りながらお弁当を作っているようだった。
電子レンジでチンしながらコンロでスクランブルエッグを作り、トーストでパンを焼きながらサラダを盛り付ける。
とにかく動きにそつがない。
「毎日こんな手の混んだ料理作ってんの?」
「普通じゃない?」
ココはキョトンとした様子で首を傾げる。
どうやら随分と文化的な差があるようだ。
そう、決して育ちの差ではない。それはもう、そうなのである。
「ココちゃん、将来的にうちの嫁に来る気はない?」
「えっ、嫌だけど……」
「嫌なんだ……」
私が二秒でフられていると、シャツを来たジャックがリビングに来る。
そのジャックの様子を見たココは、すぐさま「もう!」と声を張り上げながらジャックに近づいていった。
「お父さん、だらしない! ほら、寝癖!」
「すまん……」
その甲斐甲斐しい姿はまるでホームドラマに出てくる父娘そのものである。
「あれだけ厳しいマフィアみたいなおっさんでも、娘には弱いんだなぁ」
「お前はバラバラにされたいのか?」
「お父さん、それじゃあ私、学校いくから! メグちゃんとお弁当食べてよ!」
「お、おお……」
「じゃあいってきまーす!」
バタバタと音を立てながらココは出ていった。
まるで嵐だ。
「元気いっぱいだね。毎朝いっつもこうなの?」
「あぁ、もう随分と長い間こんな調子だ」
「お母さんが早くに死んだって聞いたけど」
「ずっと父娘二人三脚で暮らしてきた。母親によく似て器量のある娘に育ったよ」
自慢のわが子を語るジャックの表情は、どこか優しい。
目元に愛情が宿っているのが、何となくわかった。
「そんなココちゃんも、いつか彼氏を連れて来るんスよ、だんな」
「ぶち殺してやる」
目元に殺意が宿っているのが、よくわかった。
朝食を済ませるとタクシーを使って病院へと向かった。
すると、アクア総合病院の入り口に見覚えのある女性が一人。
「祈さん、おはようございます」
タクシーから出てきた私を見て、祈さんは目を丸くする。
「メグ! あんたどこ行ってたの!? 連絡もしないで!」
「すいません、心配させて」
「いや、別にしてない」
「心配して」
いつものやり取りをしていると、支払いを終えたジャックもやってくる。
彼を見た祈さんは「よっ」と旧友に向けるような仕草で挨拶した。
「ジャック、久々ね。前回の会合以来?」
「さてな。もう昔過ぎて覚えてねぇよ」
「半年しか経ってないわよ」
「そんなことより、頼んでたものは持ってきたのか?」
ジャックの問いに「当たり前じゃん」と祈さんは頷く。
「薬効強化の新薬。昨日病院に納品しといたわよ」
「助かる。副作用はどうなった?」
「何度か臨床試験したけど、副作用はなかったわ。調整に苦労したんだから」
「色々苦労かけるな。それより祈。例のラピスの精霊樹の件、お前も一枚噛んでるんだろ? 話聞かせろ」
「別に良いけど、それが人に物頼む態度なの?」
「その分高い報酬出してんだ。金額に見合った仕事はしてもらう」
「やれやれね。いい年してんだから、もう少しレディの扱いを心得なさいよ」
「レディって歳かよ」
「ははっ、たしかに。祈さん、それは無茶ですって」
「あんたら殺す」
話をしていると、不意に病院から老人が一人姿を見せる。
それはこの病院の院長だった。
「ほっほ、朝からにぎやかじゃのう」
「院長、おはようございます」
ジャックが神妙な表情で挨拶する。
今までの様子からは考えられない丁寧な対応だった。
立ちふるまいから、院長への敬意が感じられる。
七賢人にそこまでさせるほどの人なのか?
きれいなハゲ頭を観察しながら私は首を捻った。
「CTの準備はとうに出来ておるよ」
「ありがとうございます。じゃあ始めるぞ、メグ・ラズベリー」
「始めるって何を?」
「お前の治療に決まってんだろうが」
そう言えばそうだった。
私はこの島に怪我の治療に来たのだ。
七賢人が二人に、世界最先端の医療施設の長が一人。
考えてみれば、私は今、とんでもない場所にいるのかもしれない。
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